夢の翼番外編1
冒険に出るのは幼い頃からの夢だった。
家族に反対されても、その夢を捨てることは出来なかった。
半ば家を追い出されるようにして実現した夢は、思い描いたような夢物語ではなかったけれど、決して後悔するようなものではなかった。
しかし、今になって思う。旅に出なければ良かったと。あのまま家族と平凡で幸せな日々を過ごしていれば良かったのではないかと。
だけど、どんなに悔やんでも時は戻らない。
そう、戻ることはない…
「お兄さん、こんな時にどうしてこの国に戻ってきたのよ?」
酒場の給仕の少女が子供を叱るような口調で話しかけてくる。
「…こんな時だから戻ってきたんだよ」
運んできてくれた酒を受け取り、ロイは微笑んだ。
少女は眉をひそめるが、
「この先の町に家族がいるんだ」
ロイの言葉に納得したように頷いた。
「そう、早く帰ってあげなさいよ」
少女は母親のように優しく微笑み、別のテーブルへと移動して行った。
ロイはそんな自分よりも年下の少女に母親の面影を思いだしながら、酒を口に運んだ。少し苦味のある国名物のこの酒はロイの好物だが、今日は少しも美味く感じられない。
「…戦争か」
小さく呟くと胸の中に焦りが広がる。
今、この国は戦渦に巻き込まれようとしていた。
酒場中はこの話題で持ちきりだった。本来の酒場の明るさは影を潜め、各テーブルでは密やかに今後の戦争の動きについて話しあわれている。
もう、近くまで敵国の侵略は進められていた。この村に戦がやってくるのは時間の問題だった。
ロイはグルリと酒場の店内を見回した。
客が少ない。ほとんどの村人は村を捨て逃げてしまったのだろう。
「あーあ、暇だわ」
仕事のなくなってしまった給仕の少女が伸びをしながら、ロイの隣りに立つ。
「お客さんが少ないね」
今すぐ襲撃にあってもおかしくない状態で少女は微塵にも恐れを出さない。
何もかも戦争が色濃く出ているこの村で少女の表情だけが平常だった。
「そりゃあ、戦争が起こるからね。今、村の残っているのは、他にどこにも行くあてのない人や、この村を捨て去ることが出来ない人だけよ」
店内を見渡す少女の瞳は優しい。ロイは少女が店内に残る理由は、この村を捨てることができないからだと思った。
「君は、村を捨て去れない方だね」
「どうかしら?…私は両方だわ。村を出て行くところもないし、この村に愛着があるのも確かね」
ほがらかに微笑む少女にロイは好感を抱いた。
自分も戦時中の真っ只中に故郷に帰る身、その気持ちには同感できる。
「そうだな、俺も長い間旅を続けてきたけど、やっぱり最後に帰る場所は両親のいる生まれ育った町なんだ…」
空になったグラスを傾けると氷のぶつかる音が響く。少女は黙って空のグラスに酒を注ぎ足した。
もうすぐだ、もうすぐで故郷に帰れる…
ロイはこの先にある故郷に帰る際にこの村に泊まりこんだ。明日には村を出て故郷に着くつもりでいる。
ロイは16才の時に家を追い出されるようにして冒険に出た。旅に出る事を両親が許してくれなかったのだ。
それでもロイは冒険に出ること、夢を諦めることはできなかった。そうして4年間、今まで一度も家に帰ることはなかった。
だが、祖国での戦争の話を聞いてロイは慌てて故郷に帰ってきた。両親が無事であることを祈り、戦が始まる前に帰らなければと焦り、道中を飛ばしてきたのだ。
やっと明日両親の元へ帰ることが出来る。今思うと自分が冒険に出たのは、両親を守るために力をつけたのではないのかと思うのだ。
「待っててくれよ、父さん、母さん…」
グラスを傾けロイは一気に酒を飲み干した。
そんなロイを少女は少しうらやましそうに見ていた。
「お兄さんには待っていてくれている人がいるのね。じゃあ、早く帰らなきゃね!」
明るく笑う少女にロイの表情も笑顔になる。
グラスをテーブルに置くと同時に下から突き上げるような衝撃が走った。
「襲撃だ〜!」
何事かと視線を巡らすと外から襲撃を知らせる声と共に悲鳴と、それに合わせて破裂音が聞こえてくる。
「敵国の侵略か!」
ロイは唇を噛み、椅子から立ち上がる。すでに村の人たちは店を飛び出し、襲撃に備えていた。行動が早いのは前もって打ち合わせをしていたからだろう。
「もう、こんなに近くにいたなんて!」
この村が襲撃されたとなれば故郷が襲撃されるのも遠くはない。ロイは真夜中にも関わらず、村を出て故郷へ向かうべきか悩んだ。
「何をしているの、悩んでいる場合じゃないでしょう!?」
考えているうちに少女に首根っこを掴まれ、店の奥に引っ張られてしまった。
「あんたはここで隠れてなさい。大丈夫、戦は私たちに任せておいて」
鍋を頭に被り、片手にフライパン、反対の手にはおたまを持って少女が勇ましく微笑む。
「そんな姿で戦うつもりか…?」
無謀な姿にロイが言葉をなくしていると、
「仕方ないわよ、ここを守るためだからね」
少女は恐れもせずにロイにウィンクをしてみせる。
「あんたはこの村の者でもないし、あんたには待っている人がいるんでしょう?なら、ここで死んでしまうわけにはいかないわ。その剣はその人たちのために使いなさい」
ロイの腰に下げられた剣を見つめ少女は優しく笑った。途端にロイはこの村の人を捨てて、自分の町へ急ごうとした自分が恥ずかしくなった。
自分はこの村の人を助けようなんて考えもしなかったのに、心優しい少女は自分に戦う剣があると知っていながら逃げろと言ってくれたのだ。
「…」
ロイの手が無意識に柄に伸びる。村の人を助けるならば剣を抜かなければならない。
しかし、それを少女は遮る。そっとロイの手に触れ、首を横に振った。
ロイは少女に微笑み、剣を抜いた。やはり、この村の人を見捨てることなど出来なかった。
「…馬鹿ね、あんた」
少女が呆れたようにロイを見る。
「そうかもね」
ロイも自分のお人好しさ加減に呆れてしまう。これで故郷に間に合わなかったら笑ってしまう。
2人が覚悟を決めて店を出ようとした時、外から飛び込んでくるように1人の村人が入ってきた。
「駄目だ!全く歯が立たねえ。逃げるしかねえよ、シータ!」
村人は血に濡れた耕作用の鍬を杖に何とか立っているが、全身傷だらけでもうこれ以上戦うことはできそうになかった。
「みんなは?」
「村の外に避難してる。俺は逃げ遅れた村人を助けに来たんだ。シータ、お前も逃げろ」
「駄目よ、逃げることなんてできない。この酒場を残してどこにも行けないわ」
少女、シータは村人の言葉をキッパリ断る。
「シータ」
聞き分けのないシータに村人は情けない言葉を出す。
「わかってるわよ!逃げなければならないことなんて…」
シータは何かに耐えるように唇を噛んだ。
「でも、私にはこの場所を捨てて逃げるなんてこと出来ないわ!!私の居場所はここにしかないんだもの…」
シータの叫びに村人とロイは押し黙った。
外では絶え間なく破裂音が響いている。一刻も争う状況なのに、誰もシータを力づくで連れていこうなどという人物はいない。
2人共シータの気持ちが痛いほどわかるからだ。
沈黙が店内に落ちる。誰も動けないまま時間が過ぎて行く。
この時、この瞬間、村は敵国の兵士によって崩れ焼け落ち、村人が殺されているのかもしれない。
こんな所でグズグズしている暇はないのだ…
「…行こう、シータ」
ロイがシータの腕を引くが、シータは頑としてその場を動こうとはしない。
「シータ!」
聞き分けのないシータにロイが大声を上げるが、シータは身を震わせたまま店を捨てることを頑なに拒んだ。
「今、君の我がままのせいで傷ついている村人がいるんだ!君は村人の命より、この店のほうが大事なのか!!」
腕を掴んだ手に力を込めると、シータがその強さに小さくうめく。
慌ててロイはシータの腕から手を離した。
シータはロイに掴まれていた腕をさすりながら、ロイから顔を背ける。
「…君の気持ちはわかるよ。でも、この場所にこだわって命を落としたら、元も子もないじゃないか。生きてさえいれば、居場所はどこにだって作れるんだ」
「そうだよ、シータ。行こうぜ!」
ロイと村人の必死の説得にシータはチラリと2人を見る。
「…居場所はどこにでも作れる…?」
「そうさ!作れるよ!!」
シータの呆然とした呟きに、ロイは明るい声でシータを励ます。
「…私にも居場所が作れるの…?」
シータの心細そうな表情にロイは大きく頷く。そしてシータに手を差し出す。
「…」
シータは振り返りジッと店内を見つめた。この姿を胸に刻むように。いつまでも忘れないように。
「…ごめんなさい。行きましょう!」
まばたき1つして、シータは吹っ切るようにして気合を入れ、ロイの手を握り締める。
「それじゃあ、シータと旅人さんは森に逃げ込んでくれ」
「ちょっと待って!私たちだけ森に逃げ込むなんてできないわ。村人の救出を手伝うわよ」
「え〜」
またも情けない声を出す旅人にシータはウィンクをする。
「大丈夫よ。強力な助っ人がいるから」
シータは頼もしそうにロイを見つめ、ロイの肩をバシッと叩く。
「お、俺?」
「もちろん!」
戸惑うロイにシータはニッコリと微笑んだ。
「はやく、急ぎましょう!」
先頭を切ってドアへと走ったシータだが、店を出る時に見せた切なそうに表情にロイは何も言えなくなってしまった。