夢見る町の住人たち8
第三章 夢見る町の住人たち
あの謎の森から三日後の夕暮れ時、とうとう私たちはパーラフェイズの町に到着した。ほとんど休みもなしに疲れた体を引きずるようにパーラフェイズの町にやって来た私たちを迎えてくれたのは、崩れた家と町人の死体だけだった。
夕日が妙に綺麗な夕暮れ時だった…
「…うっ、うっ、うっ…」
ラウル君の泣き声だけがこの静寂の中で響いていた。
目の前にあるパーラフェイズの町は完全に崩壊され、今は廃墟と化していた。
それでも死体はまだ土に還ることが出来ず腐りながらも原形をとどめていた。中には手や足がない死体や、どんな殺され方をしたのかまるでひき肉のような死体もあった。
あの森で見たことが本当にここであったことなのかは今でもわからないが、結果は同じようだった。
森の中で見た兄弟のお母さんとあなたの死んだ場所へ行くと、お母さんの上に覆いかぶさったあなたの姿と、その背中に突き刺さっているあなたの愛用の剣レイピアがあった。
森の中で見たものとまるっきり同じものだった。
「…あなた」
泣かずにはいられなかった。泣かずにいられるわけがない。
しばらくの間、泣き声だけがこの場を支配した。
誰もが泣いていた。もう会えない人のことを思って…
日も暮れ、私たちは近くの林で野宿することにした。
「ラウル、遅いな」
火に薪を放り投げながら、ライズ君はポツリと呟いた。
ラウル君は薪を取りに行っているのだが、いくらなんでももう帰って来なくてはおかしい時間だ。
「迷ったのかしら?」
心配になり、私は薄暗く見えの悪い木々の間を見渡した。
「暗くなってきたし…心配だな」
ライズ君も落ち着かない様子で辺りを見回している。
「そんなに奥まで行かないと思うけど…」
なんだか時が経つにつれ、だんだん心配になってしまい、とうとう私はラウル君を探すことにした。
「フィーラさん、危険ですよ」
ライズ君は止めようとしたが、私はその声を無視した。
私が黙って立ち上がったのを見て、ライズ君も慌てて立ち上がった。
そして、いざ私が林の中に踏み込もうとすると、
「ちょっと待って下さい。フィーラさん」
ライズ君のお止めの言葉がかかった。
「なによ、ライズ君。止めても無駄だからね」
「違います。止めようと思ったんじゃありません。ただ…」
ライズ君は言葉を止め、チラリと林の奥を見た。
「林の奥にはいないと思うんです」
「いないって、じゃあラウル君はどこにいるというの?」
私が聞くとライズ君は少し考え、ある方向に視線を定めた。
「…たぶん。パーラフェイズの町の中に…」
ライズ君の答えに私は驚いてしまった。
「パーラフェイズの町?どうして、そんなところに?」
「よくわからないんですけど…きっとそこにいると思います」
ライズ君自身も自分の言った答えに驚いているようだった。
自信なく言うライズ君に私は疑いの目をかけていたが、よく考えてみればライズ君の方がラウル君のことをよく知っているのだから、ライズ君の言葉は信用出来るかもしれない。
「わかったわ。パーラフェイズの町に行きましょう」
私が言ったと同時にライズ君は駈け出していた。
「えっ、ちょっと待ってよ」
いきなり走り出したライズ君の後を追う。
なんか前にもこんな場面があったような…
今度は行き先もわかっていたので、ある程度余裕を持って走った。そしたら案の定、ライズ君の背中はどんどん遠くなっていった。
見えなくなるかなあと思ったところでライズ君は突然走りを止めてしまった。
どうやらパーラフェイズの町に到着したらしい。
私のことを待っているのかしら…?
ラウル君のことが心配であんなに急いでラウル君を探す為走っていたのに、どうして町の前で止まったのかわからなくて私は不思議に思いながらも走っていた。
「ライズ君どうしたの?入らないの?」
ポンと肩を叩いたら、ライズ君はビクリと体を震わせた。
「どうしたの?」
振り返ったライズ君の顔は真っ青で体はブルブルと震えていた。
「嫌なんだ!この町に入りたくない…」
ライズ君は自分の体を抱きかかえ、絞り出すような声を出した。
「ラウルはこの中にいる。はやくラウルのところへ行かなくちゃいけない…でもこの町に入りたくない」
「…ライズ君…」
「…入りたくない…」
ライズ君はギュッと目をつぶり、それから一言も話さずただ震えているばかりだった。
私はライズ君の不可解な状態に途方に暮れてしまい、空を見上げた。
「あら…」
見上げた空には満月がぽっかり浮いていた。その満月はライズ君の顔と同じように真っ青だった。
「ライズ君。私は行くわ」
私の言葉を聞いたライズ君はバッと私の顔を見上げた。私はライズ君にニッコリとほほ笑み、パーラフェイズの町に一歩踏み出した。
「ダメだ!フィーラさん」
後ろから声が聞こえたと同時に私の腕を引き留める手の感触を感じた。
だがそれはパーラフェイズの町に入った後のことだった。
入った瞬間、背中にゾクリとするものが走った。
冷たい。ここは冷たい…
寒いのではない、冷たいのだ。
「フィーラさん」
ライズ君は変わらず真っ青な顔で空を見上げていた。
「月がない…」
ポツリと呟いたのを聞いて私も空を見上げた。
そこにはなにもなかった。月どころか星もない。かといって曇っているわけでもないのだ。そこには闇しかなかった。完璧な闇しか…
「…フィーラさん」
再びライズ君が私の名を呼んだ。
「ここって廃墟でしたよね?」
「なに言っているのよ。当り前じゃない…!!」
笑いながら言った私の顔はライズ君の背後にある建物を見て固まった。
その建物は普通に立派に立っていた。いや、その建物だけじゃない。他の建物も全部壊れていたものがまるで嘘のように元に戻っていた。
「そっ、そんな。夕方見た時は壊れていたのに…」
信じられなかった。夕方見た時、確かに廃墟と化していた町が今は普通の町に戻っているなんて。
「フィーラさん。ここはパーラフェイズの町なんでしょうか?」
ライズ君は悲しそうな表情で私に聞いてきた。
「わからないわ。それよりもう気分の方は大丈夫なの?」
「いえ。今でも嫌な気分は消えません。でもそれより俺はここが本当のパーラフェイズの町なのかを確かめたいんです」
「さっきまであんなに嫌がっていたのにね」
「入ってみたら意外と嫌な気分も和らぎました」
ニッコリとライズ君は笑い、懐かしそうに建物を眺めた。
「ここはパーラフェイズの町の匂いがするんです…でも温かみが抜けて冷たい感じがします…」
「えっ。ライズ君も冷たい感じがしたの?」
私はライズ君が同じ感じをこの町に受けていたのに驚いた。ライズ君も同様驚いていた。
「やっぱりこの町なにかあるわね」
私はこの町の冷たさを肌で感じ、ゾクリとしながら呟くとライズ君も隣で頷いた。
あまり同意して欲しくなかったけどね…
私はこっそり溜息をつく。
「フィーラさん。俺の予想だと母さんとカウンテスさんの亡くなったところにラウルがいると思うんですけど…」
「そうね、行ってみましょう」
ライズ君の予想を信じて、私はお母さんとあなたの亡くなった場所へと歩き始めていた。
黙って歩いているとだんだんと速度が増し、最後には私たちどちらが先とも知れず走っていた。
私たちの走り去る横には普通に暮らしている町人たちの姿があった。
町人たちは私たちの走りを気にすることもなく、自分たちの生活に没頭していた。時々私たちを見ている人もいることから、私たちの姿が見えないこともないらしい。ただ、見るほど珍しいことでもないので、無視しているだけみたいだ。
「あらライズ。いつの間に帰って来たの?」
自分の名を呼ばれ、ライズ君は足を止め声の方に振り返った。
「おばさん」
どうやら知り合いらしい。
「お母さんが心配してたわよ」
ニコニコと笑うおばさんは優しそうなほんわりとしたイメージを持つ人だった。いかにも近所のおばさんっていう感じの人だ。
「母さんが?」
訝しげな様子でおばさんを探り見る。
ライズ君はおばさんに良い感覚をつかめなかったようだ。
この人、本当に人なのかしら…?
そこら辺の魔物が幻でもかけているんじゃないかしら?
などと思いながらじっとおばさんを見ると、おばさんは私に気づきニッコリと笑ってきた。
「そちらの方はどちら様かい?ライズの彼女にしては、ちょっと年齢が離れすぎだけど…」
ニヤニヤ笑いながらおばさんはライズ君の脇を肘でつっつく。
その瞬間、ライズ君の顔色がサッと変わった。
バッとおばさんから離れる。
「どうしたんだい?ライズ」
驚いた様子もなくおばさんはほほ笑みながら問いかける。
しかしそのほほ笑みの中にさっきまでとは違う冷たさを私は見破っていた。
「おばさん…なんで…なんでそんなに肌が冷たいんですか?」
「冷たい?なに言ってるのさ。この町ではこれぐらいが普通さ」
おばさんはライズ君に冷たく笑いかけ、ライズ君に二、三歩詰め寄る。
「どうやらライズ。おまえはこの町の住人ではないようだね…でも安心おし。今すぐこの町の住人にしてやるからね!」
口を大きく歪め、おばさんはいきなりライズ君に襲いかかった。
咄嗟のことでライズ君はなにも反応できずおばさんと共に路上に倒れ込んだ。
「おばさん…」
「ライズ。おまえも私たちの仲間になるんだよ」
ライズ君が抵抗もせず呆然とおばさんを見つめていると、おばさんは優しくほほ笑みライズ君の首に手をかけた。
「うっ…!」
その手に力を込めるとライズ君は小さくうめき声を上げた。
ライズ君は抵抗しようともせず、ただ苦しそうに眉を寄せているだけだった。
「なにやっているの。抵抗しなさいよ!」
ただ路上に寝そべっているライズ君に叱咤したが、ライズ君はなすがままの状態だった。
もしかして苦しくて動けないんじゃあ!!
おばさんなんかの力にライズ君がかなわないわけがないと思っていたが、おばさんは化け物なのだからもしかしたら尋常ではない力を持っているのかもしれない。
「ライズ君から手を離しなさい!」
おばさんの肩をグイと引っ張った後、私の体は真横に吹き飛ばされていた。
激しく路上にぶつかると、横っ腹にズキンと痛みが走った。
「邪魔をするな」
目の前は私の横っ腹を蹴った男がそびえ立っていた。
「っ!いきなり…なにをするのよ」
立ちあがる瞬間、横っ腹に鋭い痛みが走り、足に力が入らなくてストンとその場にしゃがみこんでしまった。
「…フィーラさん」
ライズ君は私の名を呟くと、首を絞めているおばさんを思いっきり突き飛ばした。
「…ライズ。おまえも私たちの仲間になるのを拒むというのかい?」
突き飛ばされたおばさんはライズ君の行動のショックでその場を動けなくなっていた。
「…フィーラさんに手を出したら、いくらおばさんといえ許しません」
キッパリと言い放ったライズ君を見て男は大声を出して笑いだした。
「女の為に戦うなんて、お前も男だねえ」
男はライズ君を馬鹿にしている素振りで言うと意味ありげに口の端を上げた。
「おまえの弟もそうやって俺たちを拒んだんだぜ」
「ラウルが!!」
やはりラウル君はこの町にやって来ていたのだ。
「ラウル君をどうしたっていうの?」
キッと見上げ私が問いかけると、男はニヤリと笑い、
「さあな」
と答えた。
なによ、この男!
その答え方にむかついて、私は目を鋭くして男を睨んだ。
「ラウルを助けなきゃ!」
ライズ君はラウル君を助ける為走りだそうとしたが、私のことを思い出し止まった。
また私を忘れていたわね…
ライズ君はラウル君のことになると周りが見えなくなるのよね…
「ライズ、行かせはしないよ。おまえも私たちの仲間になるんだ」
おばさんは異様なほど目をぎらつかせ、ライズ君の前に立ちはだかる。
「ライズ君…」
立ちあがろうにも足に力が入らず、私は悔しくてギュッと唇を噛んだ。ライズ君は目の前に立ちはだかるおばさんに困惑の色を隠せないでいた。
こいつさえいなければ…
目の前にそびえ立つ男を睨むが、男はライズ君とおばさんのやりとりを楽しげに眺めている。
こいつさえ!
と強く願った時だった。
私の頭上を棒のような物が飛んでいった。
ドカッ!
その直後、目の前から鈍い音が聞こえ、その二、三秒後男がゆっくりとその場に崩れ落ちた。
あまりにも突然の出来事で私はなにも反応出来ないでポケーと座り込んでいた。
すると頭上から黒い影が飛び出て、今度はおばさんをやっつけていた。
またまた反応出来ず、私はただホェーと見ているだけだった。
「おばさん!」
「大丈夫。気絶させただけだ」
突然出てきた黒い影の声に私はピクリと反応した。
聞き覚えのある声だった。
こ…この声って!
黒い影は背中しか見えなかったが、それにも見覚えがあった。私は瞳に涙がたまっていくのを感じた。
「…あなた!」
押し出すように出した声には、今出会えた喜びや、今まで会えなかった悲しみも一緒に出ていた。
あなたはゆっくりと振り返った。
そしてあなたの瞳に私の姿が映る。
「…フィーラ」
ただ、驚きの声。
「フィーラ!」
そしてあなたはもう一度私の名を呼んでくれた。それは喜びの声。
私はこれが本当のことで、それがとても嬉しくて、今すぐあなたのところに抱きつきたいほど嬉しくて、でも立ち上がることすら出来ない自分がもどかしくて、とにかく私はその場でただ涙を流すことしか出来なかった。
「フィーラ。まさか、おまえがいるとは」
近づき言うあなたに私は黙ってほほえんだ。
「じきここに町人が集まってくるだろう。急いで避難しないと。フィーラ、動けるか?」
私は返事の代わりに、あなたの首に腕を巻きつけた。
「…わかった」
あなたは頷くと軽々と私を抱き上げた。
私は嬉しくてギュッとあなたにしがみつく。
「ライズ君。それを持ってきてくれないかな」
それとは男の頭に投げつけた物だった。
つまりはじめに私の頭上を飛んでいった物はあなたが男を狙って投げたもので、それは見事に男の頭に当たって、男を気絶させた。
ライズ君は慎重にそれを拾い、男から離れた。
あなたが投げた物は鞘に入ったレイピアだった。
「これは…」
ライズ君はマジマジとレイピアを見る。きっと森の中で見た時にあなたが持っていたレイピアを思い出したのだろう。
「ライズ君、ここは危険だ。場所を移動するからついて来てくれ」
「はい」
ライズ君はレイピアを抱え、走り出す。