夢見る町の住人たち6
どのくらいの時間見つめ続けたのだろうか。後ろから近づいてくる靴音で私たちは我に返った。
「誰か来る」
固唾を飲んで見守る私たちとは対照的にお母さんは靴音など聞こえないかのように息子の後を見ている。
やがて靴音の正体は私たちから見えるまでの距離にやって来た。
黒い甲冑に身を包み、右手にグレートソードを持ち、男はお母さんのすがたを見つけるとニヤリと笑った。獲物を見つけた獣のような目だった。
「あの胸の紋章は…敵国の兵士だわ!」
黒い甲冑の左胸の紋章は敵国のものであった。となればお母さんの身が危ない。
「逃げろ!母ちゃん」
私の体から離れ、ラウル君はお母さんに叫ぶ。が、もちろん聞こえるはずがない。
「来るな!こっちに来るんじゃねえー!」
迫りくる敵国の兵士にラウル君は殴りかかる。一発、二発、三発…だがそれはどれも敵国の兵士に当たることはなかった。
「来るな!来るな!!」
それでもラウル君は叫びながら殴る。
しかし敵国の兵士はそれに気づくこともなく、お母さんの背後に詰め寄った。
「女」
敵国の兵士がただそれだけ言うと、お母さんはゆっくりと振り返った。
お母さんは慌てた様子も怯えている様子も見せず、落ち着いた目で静かに敵国の兵士を見ていた。
「恐れを出さぬか。フフッ、いい度胸だ」
敵国の兵士は面白そうに顔を歪めると、ゆっくりとした手つきでグレートソードを上段に構えた。お母さんを怖がらせるため、わざとやっているのだ。
「覚悟は良いか」
敵国の兵士の言葉に返事をせず、お母さんは黙って目を閉じた。
「逃げろ!母ちゃん」
ラウル君が叫んだと同時に敵国の兵士がグレートソードを下ろした。
ズサァッ!
「…う、うわぁっっ!!」
その瞬間、ラウル君の絶叫が響き渡った。
敵国の兵士はお母さんの体で止まった剣を狂気に満ちた笑みを浮かべながら引き抜き、またグレートソードを振り上げお母さんの体を引き裂いた。
お母さんは初めのショックで気絶したのか、それとも命を落としたのかグッタリとしたままピクリともしなかった。
「やめろっ!やめてくれえぇぇぇっっ!!」
なおもお母さんの体をグレートソードで切りつける敵国の兵士にラウル君はすがりつき泣き叫ぶ。しかし、その言葉は相手に届かず、空気を震わせ消え去った。
「くそっ!くそぅっっ!」
ラウル君は地面に拳を叩きつけながら、自分の力のなさを呪った。
「ラウル君…」
私はなにも言えなかった。どう彼を慰めればいいのか私には分からなかった。
「ラウル」
ライズ君は出血しているラウル君の手を取り、その血を指でぬぐった。
「ラウル、辛いよな。目の前で母さんの死んでいく姿を見るなんて…しかも手の一つも貸してあげられないなんてさ…情けないよ、自分が…」
ライズ君は涙声でラウル君に話していたが、涙をこらえきれずポタリ、ポタリとラウル君の出血した手に涙がこぼれ落ちた。
「…情けないよ…」
ライズ君はそれだけ言うと口を閉じ、ただ静かに泣くだけだった。
「…兄ちゃん…」
ラウル君も嗚咽を漏らし、泣きだした。
二人の泣いている前で敵国の兵士があきもせず、ただ狂気に染まった顔でお母さんの体を切りつけていた。
これは悪夢なのだろうか?それとも現実…?
それさえもわからない。
なんであの兄弟たちは、このわけのわからない世界をありのままに受け止められるのだろうか?もしかしたら、これは森が見せたただの幻想かもしれないのに…
こんなメチャクチャな現実はありえるのだろうか?
「貴様、なにをしている!」
突然声が聞こえ、この場にいた四人はドキッとし振り返った。
おそらく気配と足音を消して近付いてきたのだろう。いや、それともたんに私たちが気付かなかっただけだろうか?
「なんだよ、敵国の騎士様かよ」
敵国の兵士はお母さんの体に突き刺していたグレートソードを引き抜く。グレートソードからはお母さんの血が地面へと滴り落ちていた。
「貴様!その女性を…」
敵国の兵士の後ろの女性の影を見かねるように、敵国の兵士の敵国の騎士、ようするに本国の騎士は敵国の騎士を見据える。
…あの本国の騎士は…!
「あ、なた…なの?」
私は信じられない思いで本国の騎士を見つめていた。
あの切れ長の黒い瞳、切り揃えられていないバサバサの深い黒色の髪。そして誰よりも一番私が愛おしいと思ったその声。
間違いない。あの本国の騎士はパーラフェイズの町で戦死した私の夫、カウンテスだわ。
私は懐かしさで胸がいっぱいになって、しばらくカウンテス、あなたに見とれていた。
もう二度と会えないと諦めていた人が目の前にいる。
「あなた…」
私の双眸にはいつの間にか涙が溢れていた。それをぬぐうことなく、私はただあなたを見つめていた。と、私の顔色が変わった。
「…フィーラさん?」
私のただならぬ雰囲気に気づいたのか、ライズ君は怪訝な顔で私を見る。
しかし私にはライズ君の怪訝な顔に構っている余裕などなかった。
ここが本当に過去の世界なら、この人はここで死ぬ!
ほとんど直感のように感じた。別に戦死するにしても今ここで戦死するとも限らないのに、私は何故かそう感じた。
この人はここで死ぬ!と。
「その女性の敵。覚悟!」
あなたは自分の愛用の剣、レイピアの柄に手をかけ、敵国の兵士に襲いかかった。
「あなたぁっ〜!」
私は悲鳴じみた声を上げた。
と、突然周りの動きがスローモーショーンになった。
嫌な予感が頭に閃いた。とてつもなく嫌な予感が…
一コマ、一コマ、ゆっくりとあなたの動作が頭の中に飛び込んでくる。
敵国の兵士にもう一歩で攻撃範囲に入るというところで、あなたの動きがピタリと止まった。
目の前にお母さんの死体が迫ってきている。敵国の兵士がお母さんの死体をあなたに投げつけたのだ。まるで物のように…
あなたは一瞬ためらったが、すぐレイピアを捨てお母さんの死体を受け止めた。
私はホッと息をついた。あなたもホッとしてお母さんの死体に気を取られていたその時!
一本のグレートソードがお母さんの死体から突き出てきた。急なことで避ける術もなくあなたの体にそれは突き刺さってしまった。
目の前が鮮血で染まった。
グレートソードはあなたの体を突き通し、背中から覗いた刃が血の色にギラリと輝いている。
あなたはなにも言えず敵国の兵士の勝利の笑みを黙って睨みつけていた。
敵国の兵士はそんなあなたの目を笑いながら楽しんでいた。
やがてグレートソードを伝って敵国の兵士の手に血が渡ると、敵国の兵士は一気にグレートソードを自分のもとに引き寄せた。
グレートソードが体から抜けると二人はなす術もなく地面に叩きつけられた。
お母さんの上に覆いかぶさるように倒れたあなたを見て、敵国の兵士はなにか思いつき、あなたの愛用の剣レイピアを拾った。
あなたの前に立ち、敵国の兵士は面白そうに笑いレイピアの刃を下に垂直に構える。ニヤリと口を歪めると思いっきり力をこめレイピアを下に、あなたの体とあなたの体の下のお母さんの死体に振り下ろした。瞬間、あなたの体がビクリと震えた。
「うわああー!」
途端にラウル君の悲鳴が響いた。
地面にはあなたとお母さんの死体に深々と突き刺さっているレイピアの地獄絵図があった。
「…こんな、こんなこと…」
実際にあるわけがないと思いながら、私は暗闇の中に落ちていた…