夢見る町の住人たち5





 気がつけば私たち三人は、どこかの町の小道にたたずんでいた。ひっそりとしている通りは、どこにも森と関連するところなどなかった。
 ?マークを頭に張り巡らせている私の隣を主婦らしき女の人たちが通り過ぎて行く。
 …どこ…ここ…?
「…ここは…パーラフェイズの町…」
 私の胸の中の疑問に答えてくれたのはライズ君だった。
「パーラフェイズの町?ここが?」
 私は情けない声を出してライズ君に問い返す。ライズ君は驚いたように目を見張り、パーラフェイズの町を凝視したまま呟く。
「ここがパーラフェイズの町」
 初めて見るパーラフェイズの町はなんの特徴もない、ごく平凡な町だった。もちろん、戦争の跡など少しも感じられない。
 まるでなにもなかったように無傷だ。戦争があったはずなのに。
「フィーラさん。本当にここで戦争がおこったの?」
 ライズ君も同じところに疑問を抱いたらしい。
「ええ、戦争がおこったはずよ」
「…そうは見えないよ」
 ライズ君はポツリと呟いた。私にもここで戦争がおこったようには見えなかった。
 私とライズ君はパーラフェイズの町の異様さに顔をしかめていた。
「帰ってきたんだ…俺は帰ってきたんだ!」
 そんな異様さを吹き飛ばすようにラウル君は叫び、駈け出した。
 私とライズ君は驚き、しばし呆然としていたが、先に我に返ったライズ君はラウル君の後を追いかけはじめた。
「ラウル!」
「えっ、ちょっと待ってよ!」
 ライズ君の後を慌てて追う。
 くそう、二人とも走るの速すぎるぞ。
 おばさんの私には追い付くどころか、後を追うだけで精いっぱいだった。
 頼む。頼むから止まってよ〜!
 体力の限界を感じている私のことなんかお構いもなしに二人は全速力で走って行く。これ以上ついて行くことは出来ないとほぼ諦めきった時、二人はやっと止まってくれた。
 たっ、助かった〜
 私は二人に追い付くと力尽きたように地面に座り込んだ。
「あっ、フィーラさん」
 ライズ君は地面に座っている私に「しまった」という顔で声をかける。
 私のこと忘れていたわけね…
 疲れ切ってハァハァと息切れしながら私はライズ君を睨む。
「すみません、フィーラさん」
 ライズ君は素直に謝る。
「以後気をつけるように」
「はい」
 ライズ君は頷くと私に手を差し伸べた。私はライズ君の手を借りて立ち上がった。
「それでラウル君はどうしたの?」
 ラウル君はどこかの家の玄関の前に立ち、じっと玄関を見ていた。少し目が潤んでいるようにも見える。
「あの家は俺たちの家なんです」
 ライズ君はそう言い自宅に目を向ける。その瞳はラウル君の瞳に似ていた。きっと寄せる想いが同じなのだろう。
 でもパーラフェイズの町が兄弟の故郷だなんて初耳だわ。
 内心、今までそんな大事なことを教えてくれなかったのに怒りを覚えたが、二人の様子を見ると怒るに怒れなかった。
 故郷が滅びたってなんの証拠もなく人に言われて、ましてからかわれたりしたら誰だって怒るに決まっているわ。
 私はあのがらの悪い大男に無謀に突っ込んでゆくラウル君の姿や、その後に泣いていたラウル君の涙を思い出していた。
 よかったね、ラウル君。と言いたいところだが、なにかが心に引っ掛かって祝福出来なかった。
 なんだっけ…?そうだ、戦争だ!
 兄弟の家もやはり戦争の傷跡が見られなかった。
 この町で戦争が繰り広げられていたとは思えなかった。いや、その方がいいのかもしれない。この兄弟を見る限り、そう思えてならない。
「敵襲だー!!」
 ビクリッと二人の体が震えた。
「民衆は家に避難するんだ。絶対に外に出るな!」
 その声に混じり女の人の甲高い悲鳴や大勢の人の慌ただしい靴音。わけのわからない爆音。剣の風を切る音が聞こえてくる。
「ライズ!ラウル!」
 突然玄関の扉が開き、一人の女の人が出てきた。
 バチッとラウル君と女の人の目が合う。
「かっ、母ちゃん!」
 ラウル君が歓喜の声を上げる。
 母ちゃん?この人がライズ君とラウル君のお母さん…
 兄弟のお母さんは二人を生んだとは思えないほど若く、綺麗な人だった。この美形兄弟を生んだことも納得できる。
「よかった。無事で…」
 ラウル君は泣いているのか、笑っているのか。それとも両方なのか区別がつかないグチャグチャの表情で言葉を漏らす。
 隣にいるライズ君も言葉では言い表せないほど複雑な表情を浮かべている。
「どこなの!ライズ!ラウル!」
 目の前にいるラウル君が見えないかのようにお母さんはもう一度息子の名を呼ぶ。
「!!」
 ラウル君はお母さんの行動がショックでその場に固まってしまった。
「…なに言ってんだよ、母ちゃん!俺はここにいるよ!!」
 ラウル君が目の前で叫んでもお母さんはピクリともせず、息子の名を呼び続ける。
「母ちゃん!!」
 グイッとお母さんの肩をつかもうとした…が、ラウル君の手はお母さんの肩を通り越してしまった。
「!!」
 そんな馬鹿な…
 一瞬、私たちは時の経過を忘れ、立ちすくんでしまった。目の前に起きたことが信じられなかった。
 ラウル君がゆっくりと自分の手をお母さんの肩から引いた。その間もお母さんは変わりなく息子の名を呼び続けていた。
 ラウル君は自分の手をマジマジと見つめていた。これは俺の手なのかというように。ラウル君の手はわずかに震えていた。余程ショックだったのだろう。
「ラウル君」
 私はラウル君の手をそっと握りしめた。私の手の中でラウル君の手はガタガタと震え続ける。そんな震えを和らげたくて、ただ手を握りしめていた。
「…フィーラ」
 ラウル君がうつむき加減に見上げる。その目は少し潤んでいた。
「やっと名前で呼んでくれたのね」
 ニッコリと優しく笑ったその途端、ラウル君の表情がメチャクチャに崩れた。
 私はなにも言わずラウル君の背に腕を回した。ラウル君は抵抗もせず黙って私の肩にもたれる。
「…ああ、そうか…」
 今までその場に立ちすくんでいたライズ君がポツリと一言呟いた。口の端にわずかな笑みを浮かべて。
「これは過去の記憶なんだ。パーラフェイズの町の過去を俺たちは見ているんだ」
「…兄ちゃん?」
 私の肩から顔を上げ、ラウル君はいきなりのライズ君の発言に目をパチクリとさせている。そんなラウル君の顔を見て、ライズ君は一つの場所を指し示す。
 よくわからないままラウル君は指し示された場所に視線を動かす。
 ラウル君の目がこれ以上開かないとばかりに大きく開かれる。そこにはなんとライズ君とラウル君の姿があったのだ。
 さすがの私も思考回路が停止してしまい、ただ呆然と立ちすくむしかなかった。
「ウラル、覚えてるかい?町の中にいきなり敵兵が現れた時のことを。その時俺たちは母さんのことが心配で急いで家に帰ったんだよね」
 ゆっくりと話すライズ君の前をお母さんは通り過ぎ、過去の兄弟のところへ駆け寄る。
「…そんな…」
 ギュッと兄弟を抱きしめるお母さんを悲痛な顔でラウル君は見つめていた。
 私の肩にラウル君の指がくいこんで痛かったが、これ以上の苦しみをラウル君が感じていると思うと、この痛みさえ煩わしい気がしてならなかった。
「母さんに会えた後、母さんは町の裏道から俺たちを逃がそうと町の外れへ走ったんだ…」
 空虚な目で過去の自分たちとお母さんを見つめながら、ライズ君は何者かに乗り移られたように口を動かしていく。
 そしてライズ君の言った通りに動く過去の人たち…
 場面が映画のように通り過ぎていく。動いてもいないのに私たちは過去の人たちの動きを追っていた。
 懸命に走る過去の人たちの後を地面がそれに合わせるかのように滑っていく。私たちはその軌道に乗り、死に物狂いで走る過去の人たちをまるで物語を見ているように見入っていた。
「俺たちは無事に町の外れに着いた。母さんは俺たちだけを町から逃がそうとした…」
 お母さんが自分は町に残り、兄弟たちだけ町から逃がそうと知った時、ラウル君は頭を振り乱し、行かないと言い始めていた。
「当り前だ!母ちゃんを残して逃げれるもんか!!」
 ラウル君が、今のラウル君が過去の自分と同時に叫んだ。
「そうだ!兄ちゃんは母ちゃんを残して俺を無理やりこの町から引っ張り出したんだ。母ちゃんを残して!!」
 気がつくと肩の洋服が湿っていた。
 ラウル君は凄まじい形相でライズ君を睨んでいた。
「母さんは…自分が足手まといになると分かってたんだ。女の足で逃げることなんて出来ないって分かってたんだ…だから俺たちだけを逃がしたんだ…」
「そんなの言い訳にしかならねえよ!」
 ラウル君の鋭い声が飛ぶ。
「言い訳でもいい…あの時、俺にはラウルと一緒に逃げることしか出来なかった…母さんの…母さんの優しさが痛いくらい分かったから…」
 そう言ったライズ君は辛そうな顔で泣いていた。
「さあ、行きなさい。ライズ、ラウル。私はあなたたちの無事をここで祈っているわ…」
 目の前で過去行った別れのシーンが上映されていた。
 お母さんの顔は無関係な私でも泣けるくらい優しさに満ち溢れていた。
「母ちゃん…」
 ラウル君は苦しそうに母の名を呼んだ。その表情は過去のラウル君のものと一緒だった。
 お母さんは息子が見えなくなるまで、いえ、見えなくなってもずっとその後を見続けていた。その瞳にはただ祈りだけが込められていた。息子の幸せの祈りだけが…
 私たちは眩しいものを見るように目を細めながら、ただお母さんを見つめ続けていた。



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