雪降る聖夜に5





 笑い声が冬の校舎に響き渡る。
 鏡の前で再会を果たして以来、平太たちは抜けていた歳月を埋めるように会い続けた。
 期末テストも終わり、あとは冬休みを待つだけの時期も手伝って明日香と幸太郎は屋上へと続く踊り場に入りびたっていた。
「明日香の奴、今回のテスト3つも赤点があるんだぜ」
「ばか!そんなこと言うなよ!」
 返ってきたばかりのテストの結果を平太にばらす幸太郎に顔を真っ赤にしながら明日香が怒鳴る。
「今回はたまたま調子が悪かったんだよっ!!」
「…どうだか」
 明日香の見苦しい言い訳に平太は冷たい眼差しを向ける。
 明日香のテストの点数が悪いことなど今にはじまったことではない。平太の生前から赤点のオンパレードだったのだ。
「うぅ〜」
 平太にピシャリと言い当てられ、明日香は悔しそうにうなり声を上げる。
「平太の意地悪…」
 何も言い返せない明日香はボソリと恨みがましく呟くが、平太は気にした風もなくそっぽを向く。
 そんな2人のやりとりを見て幸太郎がこっそりと笑みを浮かべる。まるで昔に戻ったようで楽しかった。何より明日香の表情に輝きが戻ったことが嬉しかった。
 自分では取り戻せなかった明日香の笑顔。悔しいけど、明日香はまだ平太のことが好きみたいだ。チリリと胸が痛むのを幸太郎は押し隠した。
「今日は泉君いないんだね」
 鏡の中にいる平太以外の唯一の住人泉のことを思い出し、明日香は平太の後ろに泉の姿を探す。
 3人が再会に凍り付いていた時、平太を探して鏡のところへ来た泉が事情を説明してくれたのだ。
 鏡の中には平太と泉以外の人間はいないこと。クリスマスの10日前に鏡と現実世界が双方から見ることができるようになること。
 だが泉にも何故平太が鏡の世界にいるのか、クリスマスに起こる奇跡がなんのかはわからなかった。
 それ以来、毎日のように平太と明日香と幸太郎は鏡の前で談笑をしているのだが、泉は気が向いた時にだけ加わっている。
 と言っても話すわけでもなく、ただ平太の後ろに黙って座っているだけなのだが。
「ああ、今日は雨が降ってないから外で遊んでいるんだろう」
 最近は雨ばかりで室内でしか体を動かせなかったら、久しぶりに外で遊んでいるのだろう。
「ふ〜ん、そうなんだ」
 さして気にすることもなく、明日香はそれ以上泉のことを聞かなかった。
 それよりも平太と話がしたい。今の時間を大切にしたいと思うのだ。
「それにしてもここは寒いな」
 冬の校舎は寒い。冷たい風が吹きぬける踊り場は特に冷える。コンクリートの上に直に座っているのも冷える原因だろう。
 幸太郎は制服の上に着ているジャケットを引き寄せる。
「息が真っ白だもん」
 ハァーと明日香の吐き出した息は白く、天井へと吸い込まれて行く。
 平太はそれを複雑な表情で見ていた。鏡の中の世界には気温というものがないみたいで、平太は寒くもなんともなかった。夏でも冬でも同じ気温。暮らしやすくていいかもしれないが、生前に当たり前のように存在していたものがなくなるのは悲しかった。
「そう言えば、この間さ」
 寒いで思い出したのか、幸太郎が笑いながら話し出す。
「あまりにも寒かったから、明日香に温かい飲み物を買ってこさせたんだよ。そしたらさあ、こいつ何買ってきたと思う?」
「あー、その話!」
 思い出したのか明日香が幸太郎と一緒に笑い出す。
 平太は2人が何のことで笑っているのかわからず、幸太郎の話の続きを待った。
「こいつさ、イチゴミルクを買ってきたんだぜ。あんな甘いもの飲めるかよな」
「うるさ〜い!イチゴミルクは女子高生のかかせない飲み物なんだから!!」
「嘘だろ。あれゲロマズだぜ!」
「ゲロマズ言うな!!」
 鏡越しにじゃれつきあう2人を見て、平太は3人の間にある隔たりを感じていた。
 3人で話していて、こういうことはよくある。
 平太のわからない話で2人が盛り上がること。その時、平太は2人と自分は別々の世界にいるということを痛烈に叩き付けられるのだ。
「平太はイチゴミルク好きだよね?」
「…ああ」
 平太が頷くと明日香は万の助力を得たという勢いで幸太郎を攻め立てる。
 その様子を平太はレンズ越しに、まるでテレビを見ているかのように感じた。現実味がない。
 平太は自分が冷めていくのがわかった。
 たとえ、こうして話していても溝は埋まることなく深まるばかり。自分たちはどうして出会ってしまったのだろう。
 平太は明日香を見ているだけで良かった。今更、会っても平太が裏切った事実も、平太が生き返ることがないことも変わらない現実なのだ。
 また明日香を傷つけてしまうかもしれない。
 今はまだ笑いあえるからいい。だが、いつか明日香と平太は別の道を歩まなければならなくなる。
 その時明日香はどうするだろうか。
 いつか来るその時を恐れながらも、今の平穏な時が出来るだけ長く続けばいいと思っている自分を見つけ、平太は口元を歪めた。
 鏡の向こうでは明日香と幸太郎の笑い声が校舎に響き渡っていた。

「おはよう、幸太郎!」
 元気の良い明日香の声に幸太郎は振り向く。
「おはよう、明日香」
 平太に出会ってから、明日香は今までは無理して明るく振舞っていたのがすっかりなくなっていた。
 平太が生きていた頃の本来の明日香に戻りつつあった。
「今日も平太に会いに行こうね!」
 ニッコリと満面の笑顔を浮かべる明日香に、幸太郎は自分の気持ちを気取られないように必死だった。
 幸太郎は平太に妬いていた。
 幸太郎は平太が生きていた頃から明日香のことが好きだったのだ。
 明日香の無邪気な笑顔や、快活さ。少し少年っぽいところなども魅力的だった。
 だが、明日香が平太に好意を持っていたことに気づいた幸太郎は自分の気持ちを伝えることが出来なかった。
 あの人間嫌いでもある平太が明日香に少なくも魅かれていたことも知っていたのだ。
 平太が死んだ時、単純な悲しさや、明日香を置いていった怒りもあったけれど、これで明日香を自分のものに出来るかもしれないという期待もあった。
 結局幸太郎には平太を忘れさせることはできなかったけれど…
「私、今日ちょこっと用事があるから、先に行っててね」
 幸太郎の想いに気づいてない明日香は罪ともいえる無邪気な笑顔を残して、後から来た友人の元へ走って行く。
 幸太郎はその姿をぼんやりと見て、やはり明日香への気持ちを抑えようと思った。
 明日香に笑顔があるうちは見守っていよう。
 幸太郎にとって明日香の笑顔が消えてしまうことは何よりも辛いことだから。
 平太が死んでから明日香からありとあらゆる感情が消え去った。
 死んだように自室に引きこもる明日香を幸太郎は毎日学校に迎えにいった。
 はじめは幸太郎に目もくれなった明日香だが、少しずつほんの少しずつ回復していったのだ。
 幸太郎を見るようになって、言葉を出すようになり、学校に行けるほどまでになったのは、平太が死んでからずいぶんと経ってからだった。
 それだけ明日香の傷は深かった。
 幸太郎は、もうあの頃の明日香を見たくなかった。
 やっと取り戻した明日香の笑顔を失いたくなかった。
「…」
 幸太郎は屋上を見上げた。閑散とした屋上には人気がない。
 あの時、あんなに温かかった屋上がこんなにも冷たく見える。
 今の温もりはいつまで続くのだろう。
 この温かい時が長く続けば続くほど、その後に訪れる寒さは厳しくなるのだろうか。
「ちくしょう!」
 幸太郎は苛立ちを抑えきれずに地面を蹴った。
 明日香の笑顔を守りたいと思う自分。だが、その笑顔がいつか凍ってしまう時が来ることを幸太郎は知っているのだ。それならば、いっそ自分の手で壊してしまいたくなる。その方が、よっぽど明日香のためなのではないかと思うのだ。
「…」
 凍えた息が大気に震え、幸太郎は平太の元へ歩き出した。ある1つの決意を込めて。



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