雪降る聖夜に3





 シトシトと降る霧雨の音が人気のない校舎に響き渡る。
 平太は屋上へと昇る階段の踊り場にある鏡の前に座り込んでいた。
 目の前にある鏡は全身を映せるほどの大きな鏡で、平太の後ろにある屋上の入り口までしっかりと映していた。
 鏡の向こうでは雨が降っていて屋上に出られないのか、幸太郎が屋上の扉に寄りかかりながら煙草をふかしている。
 幸太郎とは屋上のさぼり仲間だった。
 どちらが先かは覚えていないが、いつの間にか2人一緒に屋上でさぼっていた。その後、明日香が加わり、さぼり仲間は3人になったのだ。
 幸太郎は茶髪にピアスはもちろん煙草に酒、ギャンブルなど何でも手を出している。
 明るくさっぱりとした性格は、性格に問題のある平太でも付き合いやすかった。女性関係にやや問題があったが、それを2人の間に持ってくることもなかった。
 平太は瞬きもせず鏡の向こうを睨み続けている。どうやら誰かを待っているみたいで、その人を見過ごすまいとピクリとも動かない。
「平太、またここにいるの?」
「ああ」
 声をかけられても平太は生返事をしただけで鏡から視線を外さなかった。
 声の人物はわかっていた。ここにいる平太以外の唯一人の住人、泉(いずみ)だ。
「サッカーやろうよ、平太」
 サッカーボールを抱えたまま、泉は平太を誘う。
 泉は高校生に見えないほど小柄で、やせ細っていた。青白い顔は、どこか病的なものを思わせる。
 だが、その外見とは裏腹に体を動かすのが好きで、よく平太をスポーツに誘ってくる。運動神経は良くないのだが…
「雨で外に出れないだろ」
 乗り気でない平太は適当な理由をつけて断るが、泉は唇を尖らせ、引き下がらなかった。
「体育館でやればいいじゃん」
「サッカーは体育館でやるスポーツじゃないだろ」
「誰もいないんだから、そんなの気にしなくてもいいじゃん」
 あっさりと言う泉に平太は言葉を詰まらせた。
 平太は振り返って屋上の入り口を見る。しかし、鏡に映っている幸太郎の姿はそこにはない。
 鏡を見ると幸太郎の姿があるのに…
 平太は何度も確かめて、夢であればいいと思った現状を突きつけられて軽く息を吐いた。
 平太は1年前のクリスマスの前日に交通事故でなくなった。
 その後、どういう経由があったのかは知らないが、気がついたら学校の校舎にいた。
 そこには泉以外の人間はおらず、泉の説明によるとここは鏡の中の世界らしい。
 目の前にある大きな鏡、それがこの世界と向こうの世界を繋いでいる。
 この鏡だけが向こうの世界を映し出す。向こうからは見えないらしいが、平太には向こうの世界の幸太郎の姿がしっかりと見えていた。
「また、あの子を待ってるの?」
 泉は感情のない冷めた表情で聞いてくる。
 平太はまるで置き物のように固まったまま返事をしないが、毎日平太と過ごしてきた泉には平太があの子、明日香を待っていることを知っていた。
 毎日かかさずに平太はこの鏡を通して明日香を見つめていた。それは明日香が屋上に来るほんの一瞬のことなのだが、平太はその時を逃さぬように朝からジッと座って待っているのだ。
 つまらなさそうに煙草を吸っていた幸太郎の表情が明るくなる。煙草を消し、腰を上げて来訪者を迎える。
 平太は身を乗り出し、目を大きく見開く。明日香がやって来たのだ。
 明日香は鏡の向こうの平太に気づかずに、軽快な足取りで通り過ぎて行く。
 大きく手を振り、幸太郎の隣りに座り込む明日香を見て、平太は安心したように瞳を閉じた。その口に少し笑みが浮かぶ。
「もういいだろ、サッカーしようよ」
 その様子を黙って見ていた泉は、平太の用事がすんだのを待って再びサッカーに誘う。
「ああ」
 今度は断ることなく、平太は重い腰をあげる。
「僕、ドライブシュートをうちたいな」
「…出来るわけないだろ。まずはドリブルからだな」
「うん!!早く、早く!!」
 泉の無邪気な笑顔に急かされて平太は階段を下りて行った。
 平太と明日香、2人の世界が交わることはないのだろうか。
 鏡の向こうでは平太の存在を知らない2人が楽しげに笑っていた。

 階段を昇ってくる足音に幸太郎の表情が一変する。
 煙草を消し、立ち上がって明日香を出迎える。
 いつもなら屋上でさぼるのだが、今日はあいにくの雨。屋上の扉の前でさぼることになる。
「遅いぞ、明日香」
「ごめんごめん。友達と話し込んじゃってさ」
 明日香が手を合わせて謝ると幸太郎はフンと鼻を鳴らし座り込む。明日香がなかなか来なくてたんにすねているだけだった。
「その代りにとっておきの情報を教えるよ」
 幸太郎の隣りに座りながら、明日香は得意気に微笑む。
「情報?」
 胡散臭げに眉を寄せながら幸太郎は明日香に聞き返す。
「そう」
 もったいぶった様に大きく頷き、明日香は向かいにある階段の踊り場の鏡に視線を向ける。
 つられて幸太郎も鏡を見る。変哲もない、ただの鏡だ。
「あの鏡の噂なんだけど。幸太郎知ってる?」
「さあ?知らないけど」
 幸太郎の答えを聞き、明日香は嬉しそうに頷く。話したくて仕方ないみたいだ。
「あのね、あの鏡の向こうには別世界があって、鏡の向こうからは私たちを見られるんだけど、私たちの方からは鏡の世界を見れないんだ。だけど、クリスマスイブの10日前、つまり14日からは私たちの方からも鏡の向こうを見ることが出来るようになるんだって」
「…ああ、そう」
 興奮したように一気に話したてる明日香を見て、幸太郎は興味なさそうに相槌を打つ。
「何!そのどうでもいいような返事は!幸太郎は興味ないの?鏡の向こうに世界があるなんてワクワクするじゃん!!」
 ノリの悪い幸太郎に明日香は頬を膨らませる。
「そんなの嘘に決まってるだろ」
 鏡の向こうに世界があるだなんて、まるで漫画のような話だ。
「それじゃあさ、試してみようよ。本当なのか」
「試すって…?」
「幸太郎、明日何日か知ってる?」
 ニヤリと笑う明日香に幸太郎は顔を歪ませる。
 明日は14日だった。



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