雪降る聖夜に2
12月24日、クリスマスイブの夜。
時計は、午後11時を指している。
「まだ1時間あるよね…」
携帯のディスプレイで時刻を見て、明日香はまだクリスマスの日が終わっていないことを確認した。
かじかむ手に息を吹きかける。手袋をしてくれば良かったと明日香は後悔した。
せっかくのデートだから手を繋ぎたくて、手袋がなくて手が冷たいのを理由にして平太と手を繋ぐ作戦を立てていたのだ。
平太との待ち合わせは午後1時。もう10時間も明日香は平太を待ち続けていた。
途中トイレに何回か行ったが、それ以外はこの場所を離れていない。すれ違いにはなっていないはずだ。
平太が約束を破るわけがない。きっと来てくれる。
明日香は平太を信じて、この寒空の中ずっと立っていた。
「雪降らないかな…」
見上げると重い雲がぎっしりと空を埋め尽くしている。天気予報では雨か雪と告げていた。
明日香は雪になることを祈って凍えた手をギュッと握りしめた。
吐き出す息は白く、空に溶けて行く。この息がそのまま天まで昇って雪となって降りてきたらいいのに…
明日香は待った。平太が来るのを、雪が降るのを…
そして30分が経った。平太はまだ来ない。
「?」
身を縮めてジッと待っていた明日香の頭に冷たい何かが落ちてくる。
「っ!」
期待を込めて見上げた空には無数の粒が点々と降り始めていた。
「…雨」
明日香はこみ上げて来る落胆に耐え切れず、しゃがみ込んだ。
頬に雫が伝う。明日香ははじめそれを雨だと思ったが、暖かいそれは明日香の涙だった。
「…どうしてっ!?」
寒さで上手く回らない舌で明日香は小さな叫びをあげた。
どうして平太は来ないのだろう?
どうして雪が降らないのだろう?
どうして自分は泣いているの?どうしてこんなにも悲しいの?
答えの出ない疑問だけが、次々と明日香の中を駆け巡る。
明日香はもう立つことすら出来ず、ただ自分の身を守るように背中を丸め、嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
「明日香!」
自分を呼ぶ声が聞こえたが、明日香はもうその声に答える気力もない。
その声が平太ではないことなど何回も何回も夢で自分の名前を囁かれた明日香には簡単にわかることだった。
「こんな遅くまで何やってるんだ!!」
乱暴に肩を捕まれ、明日香は力なく声の人物に引きずり上げられる。
「ああ、雨が降ってるのに傘もささないで!!」
ずぶ濡れの明日香に声の人物は自分の上着を明日香にかぶせる。
必死になり明日香を探していたのか、声の人物も明日香に負けないくらいずぶ濡れだ。おそらくクリスマスのために新調したスーツが雨でビチャビチャになってしまっている。
「…幸太郎、デートはどうしたの?」
声の人物、源名 幸太郎(げんな こうたろう)をぼんやりと見て明日香は微笑む。
「そんなもの全部キャンセルだ!とにかく家に帰るぞ!」
肩を掴んだまま引きずるようにこの場所を離れようとする幸太郎から、明日香は身をよじって逃れる。
「いやっ!平太との約束があるんだから!」
「約束って…」
明日香の言葉に幸太郎は言葉を失う。
「そうか、ここが平太との待ち合わせの場所だったのか…」
クリスマス前の学校で明日香が嬉しそうに平太とクリスマスを一緒に過ごすと教えてくれたことがあった。平太はその時、まだ決まったわけじゃないとうそぶいていたけど。
「明日香、ずっと平太を待ってたのか…」
こんな夜遅くまで、しかも雨の中、ずっと平太を待ち続けていた明日香の心情に幸太郎の胸は痛んだ。
「明日香、平太はもう来ないよ」
「嘘っ!平太が約束を破るわけがないもん!!」
平太が来ることを信じて疑わない明日香に幸太郎の顔が歪む。幸太郎はわかっているのだ。平太が決してここに来られないことを…
「初めて平太が約束してくれたんだ。あんなに約束するのを拒んでた平太がやっと私とクリスマスを過ごす約束をしてくれたんだよ!来ないわけがない!絶対に来るよ!!」
白い息が宙に舞う。明日香は涙を拭うこともせずに幸太郎に言葉をぶつけた。それは明日香の希望だったのかもしれない。
「クリスマスは過ぎたよ」
だが、その希望はあっけなく崩れ去った。
幸太郎の告げた無情の言葉に明日香はゆっくりと崩れ落ちる。
膝を地に着け、そのまま明日香は泣き叫んだ。声にならない声が誰もいないクリスマスイブを過ぎた夜空に哀しく響く。
「明日香…」
幸太郎は明日香に何もしてやれなかった。声をかけることも肩を抱くことも。
そんな自分に怒りを感じながら、今ここにいない平太を責めた。
「平太…どうして?」
しかし平太への責めはすぐに悲しみへと変わった。
平太が約束を守れなかった理由。それは平太がもうこの世にいないから。
平太はクリスマスの2日前に交通事故で死んでしまったのだ。
幸太郎は声を殺して泣いた。
涙が流れないように夜空を見上げると、容赦なく雨が幸太郎の顔に降りかかってくる。
せめて雪ならば優しく包んでくれるのに。
冷たい雨が2人の心に突き刺さり深い傷となっていった。