雪降る聖夜に11





 静けさで満ちる踊り場に幸太郎と泉がやって来たのはしばらく経ってからだった。
 ドカドカと音を立てて、泉を引きずりながら踊り場に着いた幸太郎は鏡の中に明日香の姿を見て呆然と立ちつくしてしまった。
「泉!!」
 明日香の姿をした泉を見つけ、平太は鏡にへばりつく。泉は忌々しそうに平太を睨みつけた。
「泉って、あのガキか!!」
 明日香の偽者の正体を知り、幸太郎は目をむく。まさか、あの大人しそうな少年が、こんな大胆な行動に出るなんて思ってもみなかった。
「お前が明日香の体を無理矢理奪ったんだな!!」
「無理矢理じゃない!明日香の同意の上だよ!!」
「嘘つけ!!」
「嘘じゃない!!本当だよ、幸太郎」
 明日香の言葉に幸太郎は驚き、鏡の向こうにいる明日香を見る。
「私が望んだの。平太と一緒にいたかったから」
「そんな…」
 強い眼差しで射抜かれ、幸太郎は絶句してしまう。まさか、明日香の想いがこんなに強かったなんて…
「ほら、見ろよ。だから、いいんだ。手を離せよ!!」
 捕まれた手を離そうと泉がもがくが、幸太郎の手は緩まない。
「平太、お前がそう仕向けたのか?」
 幸太郎は泉の言葉など聞いていなかった。その目は平太に注がれている。
 疑わしげな幸太郎の目に平太は首を横に振る。その気持ちが少しあるのは事実だが、それは決して許されないことだった。
「嘘つけよ!!本当は明日香に側にいて欲しいくせに!僕は平太のそういうところが嫌いなんだよ!!!」
 平太のなまっちょろい考えに泉は反吐が出る。欲しい物は欲しいと言えばいいのだ。それが手に入るなら、手に入れればいい。世の中には、手に入れられるか、入れられないかの2つしかないのだから。
「俺はお前とは違う!欲しい物は、どんなことをしても絶対に手に入れてみせる!!」
「泉…」
 泉の今までにない激情に平太は胸をつかれる。
 病気で何も叶わなかった生前、鏡に閉じ込められてから、やっと健康な体を手に入れたが、そこには誰もおらず孤独な日々が続いた。
 そんな泉が体を手に入れたいと望むのは当然のことかもしれない。
「俺にも欲しいものはある。俺は明日香の未来が欲しい。それは泉、お前にも負けない…」
 平太の想いに泉は押されたように後ず去った。しかし、自分も負けるわけにはいかなかった。唇を噛み締め、泉は挑むような目を平太にぶつける。
「それがどうした?この奇跡はクリスマスしか起こせないんだ。今日が終われば、もうこの体に明日香が戻ることはない!この体は僕のものになる!!」
「今日中だと!?」
 泉の告げる真実に、幸太郎は慌てて携帯のディスプレイを確認する。時刻はもう11時を回っていた。
「もう時間がない。どうすればいいんだ!?」
 救いを求めるように幸太郎に見られ、平太は唇を噛みしめる。
 方法などない。明日香と泉を元に戻すにはどうすればいいのか平太は知らないのだ。
「ちくしょう!!」
 その様子を見て、幸太郎は絶望を感じ、力任せに泉を鏡に突き飛ばした。
 効果を期待してではなかったが、泉は思いがけない行動に出た。無理矢理身をひねり、鏡を避けて壁にぶつかったのだ。
「!」
 平太は泉のその不可解な行動の意味を瞬時に悟った。
「幸太郎!泉を鏡に押し付けるんだ!!」
 明日香の手を鏡に押し当て、叫ぶと、幸太郎は意図を察してくれたのか泉を捕まえ、鏡に押し当てた。
「やめろっ!!」
 叫びも虚しく、泉は鏡に吸い込まれて行く。そして明日香が反対に自分の体へと還っていった。
 明日香が体に戻ったのを確認して、平太は泉を鏡から遠ざける。
「ちくしょう!邪魔しやがって!!」
 憎しみを込めた瞳で平太を睨みつけながらも泉は、まだ諦めていなかった。
「でもクリスマスはまたやって来るんだ。来年も再来年も!明日香が平太を想い続ける限り、チャンスは幾らでもやって来るんだよ!!」
「そうだ!私はまた来る。絶対に来る!平太の側にいたいもん!!」
 諦めていないのは明日香も同じだった。
 2人が諦めない限り、何度も繰り返されて行くのだろう。そして、いつか成功する日がやって来てしまうかもしれない。
 平太は考えた。2人を諦めさせる方法を。しかし、何も浮かんでこない。そんな方法あるわけがなかった…
「…いや、ある」
 方法はあった。2人を諦めさせるより、簡単な方法が。
 それは…
 音が響く。
「…」
 誰もがその音に反応出来なかった。平太の行動を理解出来なかった。
 続けて音が響く。
「…何をしてるんだ?」
 震える声で泉は平太の背中に問いかける。
 そこにはひび割れた鏡と、拳を真っ赤に染める平太の姿があった。
「何をしてる?…奇跡を起こさせないようにしている。鏡がなくなれば奇跡は起こらないだろう?」
 振り向き微笑む平太を見て、泉に戦慄が走る。
「やめてぇ〜!!」
 やっと事態を把握した明日香が鏡にすがりつく。平太も鏡に触れているが奇跡は起こらない。鏡の効力が消えたのだ。
 ホッとして平太は手を下ろした。鈍い痛みを感じるが、それよりも明日香を救えたことに安堵した。
「お前、何をしたのかわかってるのか!!」
 泣きながら泉が平太に掴みかかる。しかし、その細い腕では平太はびくともしなかった。
「鏡を壊すってことは、鏡の中の世界もなくなるってことなんだぞ!!」
「!!」
 泉の言葉に明日香と幸太郎に動揺が走る。だが、1人、平太だけは穏やかな表情を浮かべていた。
「…知っていてやったのか」
 泉は平太の決意を知り、ガックリとその場に膝を着く。
「ごめんな、でも、俺も一緒にいくから」
「…バカやろう」
 抱きしめると泉は悪態をつきながらも、しがみついてくる。
「そんな、そんなの嫌だよ!!」
 ガラスに入ったひびは、勝手に増え始めている。まるで自らが崩壊を促しているかのように。
「まだ約束破ったままだよ。約束したじゃん。クリスマスを一緒に過ごしてくれるって!雪を降らせてくれるって!!」
 去年交わした約束を叶えてあげられないのが、平太の唯一の心残りだった。
 叶えてあげたかった。自分を変えたくて、2人の関係を変えたくて交わした約束を。
「平太!平…」
 平太の名を呼ぶ明日香の声が不意に途切れる。
 その場にいた誰もが息を呑んだ。
 4人の前には開いていた窓から、迷い込んできた雪がフワリと舞っていた。
「雪だ」
 そう呟いたのは誰だったのか。雪は次々と4人の周りを漂い始めた。
 その小さな光に混じり、鏡がほのかに輝き始める。
「…約束は守ったぞ、明日香」
「平太…」
 光に吸い込まれて行く平太を明日香は、ただ見ることしか出来ない。
 もう平太を引き止める術を明日香は持っていなかった。
「明日香も約束、守れよ…」
 平太の最後の笑顔を胸に焼きつけ、明日香はしっかりと頷いた。
「平太…」
 明日香は鏡に顔を寄せる。平太も顔を寄せ、2人は瞳を閉じてキスをした。
 鏡越しのキス。最初で最後の冷たいキス。
 目を開けると、そこにはもう平太の姿はなかった。
 明日香はこらえきれずに泣き出した。
 そんな明日香を幸太郎は、黙って見守っていた。
 待ちわびた雪が1つの時の終わりを教えてくれた。



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