雪降る聖夜に10





 雨の音だけが支配する静寂の中、平太と明日香は眠るように目を閉じ、鏡にもたれかかっていた。
 平太は苦痛の、明日香は安らかな表情を浮かべている。
 平太の肩に置かれた、明日香の頭に確かな温もりを感じ、平太は泣きそうになった。
「平太、泣いてるの?」
 実際に平太は泣いていた。驚いたように明日香が聞いてくる。
 自分でも気づかなかった涙を平太は呆然と見つめた。両親が死んで以来、平太は一度も涙を流したことがなかった。
「どうして?」
 問われて、平太は明日香を見つめた。
 理由など、わかりきっている。明日香を巻き込んでしまったからだ。たとえ、明日香自身が望んだことだとは言え、明日香が死んでしまうことは自分が死ぬことより悲しかった。
「…もう!メソメソするんじゃない!!」
 いつまでも泣きやまない平太に明日香は叱咤する。平太の真正面に座り、明日香は歯を見せて笑う。
「過ぎたことはしょうがない。もっと前向きにいこうぜ!!」
 親指を立て、グッと平太に突き出す。平太は近すぎる親指をより目で見ながら、明日香の神経が信じられなかった。
 鏡に閉じ込められてしまったことを明日香は本当にわかっているのだろうか。
「前向きって…」
「いいんだよ。私が望んだことなんだからさ、平太が責任を感じることないよ」
 明日香に励まされ、平太は脱力してしまった。明日香は泉と体を交換したことを微塵も後悔していないようだった。
 思わず、宙を見上げ、溜息をついてしまう。
「もしかして、平太、そんなに私といるのが嫌なの?」
 可愛らしく頬を膨らまし、聞いてくる明日香に平太はチラリと目を走らせる。じっと答えを待つ明日香に平太は、いつものようにぶっきらぼうに答えようとしてやめた。
「嬉しいよ」
 思いがけない言葉に明日香は目を輝かせた。今まで平太が明日香に好意を示す言動など一度もしてくれていなかったのだ。
「本当?」
「ああ、俺は明日香が好きだからな」
「平太!!」
 喜びのあまり平太に抱きついてくる明日香を平太は優しく抱きとめた。調子に乗って、スリスリと甘えてくる明日香が愛しい。
「でも、だから俺は明日香に生きていて欲しい」
 ピタリと明日香の動きが止まる。
「明日香が元気に飛び跳ねて生きていて欲しい。クルクルと表情を変えながら、泣いて怒って笑って…明日香にはそのパワーがあるからな」
「…平太」
「何年たってでも、俺は明日香を元に戻してみせる。だから、明日香は生きていてくれ」
 平太の今まで見たこのない優しい笑みに明日香は反論出来なくなってしまった。
 明日香の元気の源は平太なのだ。平太がいなくなってしまえば、明日香は光が消えたように暗くなってしまう。
 明日香は何も言えずに平太をギュッと抱きしめた。この時が止まってしまえばいいのに。
「俺のためなんかに命を捨てるなよ、明日香。俺はそんな価値なんかない人間なんだから」
 生きながら死んでいた自分に何故明日香がここまで好意を寄せてくれるのか、平太にはわからない。
「…るさい」
「…?」
「うるさーいっ!!」
 耳元で怒鳴られ、平太の耳がキーンとなる。痛みに顔をしかめながら明日香を見ると明日香は眉を吊り上げ、怒り狂っていた。
「自分に価値がない?そんなの知らない。平太の価値は私が決める。そんなの平太に言われて決めるものじゃない!!」
 怒りが晴れないのか、今度は平太の襟首を掴み、ガタガタと揺らし始めた。
「それに私の平太の気持ちまで否定するな!私の…私の平太を待っていた1年を否定しないで…」
 そのまま明日香は泣き崩れてしまった。
 平太は今更、明日香の胸の傷を痛感した。傷は深い。1年経っても癒えることなく、いや、平太と会ったことでより深いものになってしまった。
 泣きながらも平太の襟首を掴んでいる明日香の手を握り締める。そっと外し、明日香の掌を自分の胸に押し当てた。
「どうだ?明日香」
 平太に問われ、明日香は何のことかと首を傾げる。
「俺の心臓、動いてないだろ」
 言われて、明日香はハッと目を開く。
 胸に置かれた手は、刻まれているはずの鼓動が感じられなかった。当たり前だ、平太は死んでいるのだから。
 だが、そんな当たり前のことが明日香にはショックだった。
「俺は死んでるんだ。死人と結ばれるわけなんかないだろ?」
 自分に言い聞かせるように話す平太に、明日香はまた涙が出てきた。
 平太は今のどうにもならない2人の関係を必死に受け入れようとしているのだ。平太も明日香を好きだけれど、望めば明日香と一緒にいることが出来るけれど、それでも平太は自分のために諦めることを選んでくれる。
 明日香は自分が平太に愛されていることを知った。そして平太の優しさと想いの深さを感じ、ますます平太を好きになっていく。
 離れたくない。平太がそれを望まなくても。
「…嫌、嫌だ…嫌だよぉ…」
 頭を振ると、ポロポロと涙が零れ落ちる。平太は黙って、明日香の頭を胸に抱いてやった。
 その胸は静かだった。



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