Sweet Drop5





 翌日、自転車で通学する元気がでなくて、私はバスで登校した。
 晋が教室に怒鳴り込んできた時は驚いたけれど、私の様子を見て納得してくれたみたいだ。
 沙紀も、あの木塚君でさえも私のことを心配して優しくしてくれた。
 みんな、私の体調が悪いと勘違いしたみたい。
 本当は違う。
 晋の昨日の言葉が気になって、勝手に1人で考え込んでいるだけ。どうしても気になる「その人」の存在が。
 重い石を投げ込まれたように、心にのしかかってくる不安。
 なんか、晋の顔がまともに見られない。
 あんなに私に元気をくれた晋の笑顔が「その人」のおかげだとわかると見るのが辛くなる。
 気がつくと、私は晋を避けていた。
 次の日も、その次の日も私が自転車で通学する日は来なかった。

 深い溜息がもれる。
 誰もいない教室で私は数学の居残りをさせられていた。
 うっかり数学の宿題を忘れてしまって、沙紀に見せてもらうのも面倒で、放って置いたら案の定先生に怒られて居残りになった。
 沙紀に、どうして私に見せてって言わなかったのと聞かれたけれど、うまく答えられなかった。
 最近の私、おかしいよね。
 頭がバカになったみたいに晋のことしか考えられない。「その人」がどんな人なのか、頭の中をグルグル駆け巡るの。
 そんなの考えたってわかるわけがないのにね。
 数学の居残り用プリントは全然はかどらなかった。ダラダラとやっているわけではないけれど、頭が機能しない。
 なにも手につかない。
 私は諦めてシャープペンを机の上に置き、窓の外に視線を向けた。
 だいぶ時間が経ったのか、日が沈みかけていた。
 そう言えば、電気をつけていない。どうりでプリントの字が見にくいと思った。
 電気をつけようと腰を上げると、勝手に電気がついた。
 驚いて電気のスイッチのほうを見ると、そこには晋がいた。
「よっ!まだ居残りしてるのかよ」
 晋が笑顔で教室に入ってくる。
「晋。どうしたの?」
 晋の顔がまともに見られなくて、視線を外してしまう。
 嬉しいような逃げ出したいような気持ちを抱えながら、所在なく突っ立っていると、いきなり晋が私の視界に飛び込んでくる。
「!!」
 咄嗟のことに反応出来ずに身を引くと、晋がうまく裏をかいたかのような得意の笑みになる。
「前のおかえし」
 人懐っこい表情で晋はポケットからキャラメルを取り出す。
「疲れてるときには甘い物が1番」
 呆けている私にキャラメルを1つ渡すと、晋も1つ口の中に入れる。
「私、疲れてなんかないよ」
 もらったキャラメルをどうすればいいのかわからなくて、晋に反論すると、
「疲れてるだろう。見てればわかる」
 晋は胸を張って、自信たっぷりに答える。
 そして、労わるような優しい目を私に向け、キャラメルを食べるようにと進めた。
 晋は私が落ち込んでいることに気づき、励ましてくれているんだと知り、胸の中が甘酸っぱい思いで溢れてしまった。
 感動で打ち震える私に、晋は普通通りに接してくれた。きっと、私に気をきかせていると思わせたくないからだ。
 そんな晋の温かい気持ちに触れ、私の恋心はますます大きくなってしまう。
 でも、大きくなれば大きくなるほど、私の悩みの理由を晋に知られたくなかった。
 つまらなく、醜い嫉妬。こんな感情がばれたら、きっと晋は私を嫌う。
 おそるおそる晋を見ると、晋は笑い返してくれた。言葉はないけれど、確かに心が癒される空間。
 だけど、私にはそれがかえって辛い。
 晋の背後に「その人」の影がちらつく。それは、前よりもずっと濃くなっていた。
 好きになればなるほど、「その人」の影は私を脅かしていく。

 沙紀と私の家は近くにある。
 バス通学の時は、たいてい沙紀と一緒に帰っていた。
 晋から「その人」のことを聞き、自転車通学をしなくなった私は、毎日沙紀とバスで帰宅していた。
「ねえ、茜。本当にどうしたの?」
 今日も、いつものように沙紀と帰っていた時だった。沙紀が心配そうに聞いてきたのは。
 私が落ち込んでいることに、沙紀がずっと心配していてくれたのはわかっていた。悪いとは思っていたけれど、それに答える余裕も元気も湧いてこなかった。
 沙紀も、そんな私の気持ちを感じとってくれたのか、そっとしておいてくれた。それがありがたかったし、いつか全部を沙紀に話せる日が来たらいいなとも思っていた。
「…」
 だけど、今はまだ話せない。
「…ごめんね。茜が言いたくなさそうなのに気づいていたのに」
 聞いてしまったことを謝る沙紀に、私は強く首を振った。
「沙紀は悪くない!悪いのは私だよ…」
 沙紀や晋に心配させて。木塚君だって気をつかってくれている。それなのに私は、ずるずると落ち込んだままだ。
「茜…」
 うつむいて黙り込んでしまった私に、沙紀の表情が曇る。
「茜がどうして落ち込んでいるのかはわからないけれど。みんな心配しているよ。今日もね、竹岡君に言われて茜の相談にのろうと思ったの」
「晋に!」
 沙紀の思いがけない言葉に顔を上げると、沙紀が弱々しく微笑む。
「そうだよ。竹岡君が茜を元気付けようとして失敗しちゃったって聞いて、私もなにもしないではいられないと思ったの」
 私が数学の居残りをしている時のことだ。あの時、晋は失敗したと思ったんだ。そうじゃないのに。
「それにね。竹岡君に言われたの。茜が相談する人は、私しかいないって。私は自信がなかったけれど、竹岡君に頼まれて勇気を出そうって思った。私も茜の力になりたいし」
 沙紀が照れたように笑う。
「沙紀…」
 晋がわざわざ私のために沙紀に頼んでくれたこと、沙紀が私の力になりたいって言ってくれた友人たちに私は感謝した。
「ありがとう、沙紀」
 私が涙ぐむと、沙紀の瞳もつられてにじみ出す。
「お礼なんて言わないで。当たり前だもの」
 沙紀は涙を隠しながら、ごまかすように微笑む。
 今はまだ言えないけれど、絶対沙紀には全てを話すよ。
 私が力強く微笑むと、沙紀の表情が少しだけ明るくなる。私も少しだけ元気が湧いてきた。沙紀のおかげだね。
 足取りが今までと打って変わって軽やかなものになる。悩みが解決したわけではないけれど、全てが上手くいきそうな気がしてきた。
「ねえ、沙紀」
 心が軽くなったぶん、口まで軽くなってしまったのか、溜め込んでいた疑問が口を出る。
「晋がソーダ味のドロップを好きになった理由って知っている?」
 沙紀が知っているわけがないと思いながら、つい気になって聞いてしまう。
 沙紀は急な質問に戸惑い、だが考えた後、口を開く。
「わからないけれど。そう言えば、前に竹岡君にそのドロップをあげたことがあるよ」
 ドクンと心臓が高鳴った。
 視界が急にぼやける。
「晋に…?」
 嫌な予感が体中を駆け巡る。
 そんな、まさか…
「うん。竹岡君がね、身長や女顔にコンプレックスを抱いていて落ち込んでいたから、元気付けにドロップをあげたの」
 沙紀の言葉は決定的だった。
 沙紀だったんだ。晋の「その人」は…
 沙紀がその後も何かを話していたけれど、私の耳は麻痺したようにそれを受け付けなかった。
 私はただ、倒れそうになる体を支えるのでやっとだった。
 どうして、どうして、沙紀なの!?
 叫びたくなる衝動を必死に抑える。隣で何も知らずに笑っている沙紀が憎くてたまらなかった。
 気がつけば、自分のベッドで泣いていた。
 どうやって家にたどり着いたのなんか覚えていない。



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