Sweet Drop1





 重いコートを脱ぎ捨てれば、ペダルが軽くなる。
 花びらの散った桜並木を自転車で走り抜ける。春風が背中を押し、スピードがグングンと速まって行く。
 この季節は自転車をこぐのに1番楽しい時期だ。
 暑くも寒くもない。暖かい陽気に囲まれながら、のんびりと移ろう季節を感じ取ることが出来る。
 つい、知らない道へ探検したくなってしまうけれど、今は登校中、甘い誘惑をぐっとこらえる。
 それに、そろそろ自転車通学者、最大の難関と言われている"恐怖の坂"に着く頃だ。
 私の学校は、この名の通り、急な坂道の上に建っている。この坂はくねくねとしたカーブが続き、登りきるのに10分はかかるという恐ろしい所。
 この坂のせいで、自転車通学を断念した生徒が後を立たないとも言われている。学校専用のバスが出ているから、そっちに乗ればいいんだけれどね。
 でも私は自転車通学をやめる気はない。
 初めは、私の家がバスの停留所から遠くて、自転車で通学したほうが速く着くからと言う理由だったけれど、この坂のせいで学校に着いた時点で1日の体力が根こそぎ奪われてしまうデメリットを考えてバス通学に変更しようとした。
 だけど、どうしても朝早く起きられなくて、ズルズルとバス通学にするタイミングを逃していた。私って、朝が苦手なのよね。
 でも、今は違う。好きで自転車通学をしている。
 どうしてかって言うと…
「おっす!茜(あかね)」
 坂にさしかかる手前で、後ろから元気の良い声をかけられる。
「おっはよう!!晋(しん)」
 振り向き、挨拶をすると竹岡(たけおか) 晋が勢い良く自転車をこいでいる姿が目に入った。
 今日もやる気まんまんだね!
「今日はバナナオーレね」
 晋が私の自転車と並列する。追い抜かされそうになって慌ててスピードを上げる。
「俺は牛乳」
「わかってるよ」
 いつもの晋のリクエストについ笑ってしまう。晋は自分の背が低いことにコンプレックスを持っていて、背を高くするために毎日牛乳を飲んでいる。私から見れば、背が低いと言っても、ひどいものでもないし、晋は背が高いのが似合わないと思うけれどね。
 契約が成立したと言うように晋がニンマリと笑い、急に加速をつける。
 私もシートから腰を浮かし、思いっきりペダルをこぐ。
 私たちは、その勢いのまま坂に入って行った。
 私が自転車通学をやめない理由、それは晋との自転車競走レースがあるから。
 私たちは毎日、先に校門をくぐった方がジュースをおごってもらえるという賭け事をしている。
 こんなことをしたら余計疲れるだろうと友人にも呆れられているけれど、私には楽しくて大切な時間なのだ。
 だって、私、晋が好きだから。
 重力に逆らい、上へ上へと登って行く。
 足がパンパンに腫れて、つりそうになっても、こぐ足は止められない。
 隣をバスが通過して行く。
 バスの中で、呆れた表情で私たちを見ている学生と目が合う。まあ、いつも呆れられているからね、私たち。
 今更気にもならない。だって最高に良い気分なんだもん。
「茜、頑張って!!」
 バスの窓が開き、見知った顔が出てくる。
「沙紀(さき)、おっはよー!!」
 松原(まつばら) 沙紀は窓から身を乗り出し、手を振ってくれた。親友の沙紀の応援に俄然張り切ってしまう。
「松原さん、おはよ!!」
 晋が沙紀を見つけ、ブンブンと手を振り返している。
 ムカッ!余裕じゃない。
 余所見している晋を置いて、速度を速める。すると、みるみると面白いくらいに距離が開き出す。
「晋、おっ先!」
 勝ち誇った笑みを浮かべ、優雅に振り返ると、自分たちの差を見た晋が慌てて追いかけて来る。
「情けないぞ!晋」
 それに野次を飛ばしたのは、やっぱりバスの見物人の木塚 圭吾(きづか けいご)君だ。
「うるせえ!」
 バスの生徒がいっせいに吹き出したのが私たちの耳にも届いてきた。晋はふてくされたように怒鳴り、レースへと神経を戻す。
「藤村さん、頑張ってね」
 木塚君の応援を最後にバスは私たちを追い越して行った。
 私は木塚君の応援に答えることが出来なかった。晋が驚異的なスピードでもう隣に追いついていたのだ。
 隣には真剣な表情をした晋がいる。負けず嫌いな彼だから、毎日一生懸命なんだよね。私も人のこと言えないけれど。
 汗だくになりながら、登って行くと、やっとゴールが見えてくる。
 ここが最後の勝負所。一気にラストスパートだ。
 グンと力を込めると、同じタイミングで晋もスパートをかけてくる。
 抜きつ抜かれつつの激しいバトル。
 歯を食いしばって必死の表情の私はきっと不細工なんだろうなと思いながらも、力を抜くことはできない。
 これは真剣勝負なんですからね。
 苦しいはずなのにもっともっとこのレースが続いて欲しいと思う。ずっと晋と走り続けられたら、どんなにいいんだろうと思った。
 校門を走り抜けた直後、私は空を仰いだ。
 青く晴れ渡った空。私はすがすがしい気持ちになりながら、今日の始まりを感じた。



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