A Lullaby6
どこをどう歩いてきたのかシドは全くわからなかった。気が付いたらここにいた。まるで運命のいたずらか神の導きにあったような気分だった。
自分の存在を否定され、そして今ここに別の自分の存在がいる。本当に自分がシズなのか、もうわからなくなってしまっている。過去の記憶も自分が創った架空の話なのかもしれない。
だが、それらを打ち消す証拠がシドの前で眠っていた。それは、あんなに狂おしく自分を悩ませたのに悔しいほど安らかに眠っている。
「機械だったのか…」
コードに繋がれ、ベッドの上で眠っている機械、シズを見てシドは呟いた。
それは昔の自分によく似ていた。いや、似ているなんてものじゃない。まるで本物の自分を見ているようだ。
幻を見ているようなそんな感じがしてシドは、そっとシズに触れてみた。頬は温かく柔らかい。人間のような感触にシドは何故かホッとした。
シドは急に昨夜のシズを思い出した。祖父を尊敬していると言ったシズ。自分もかつては同じように思っていたことがあった。家を飛び出してから今日まで祖父を憎んでいたが、その一方で心配もしていた。
「俺もおじいちゃんが好きだったんだよ…」
まさか祖父がシドを死んだものと思い、シドそっくりの機械を創っていたとは思わなかった。
祖父によって創られたシズは素直で可愛い少年だった。
祖父は自分の思い通りに動く従順なシズを創ったのか。それともシドの性格をそのまま形作ったのか。もし後者だとしたら…
「俺はおまえみたいに可愛くなかったぜ、シズ。俺はもっとひねくれた子供だったよ」
思えば、ずいぶん祖父に抵抗したものだ。科学、科学とうるさい祖父をシドは毛嫌いして、近づくことも許さなかった。
あんなに科学にうるさかった祖父なのにシズには全く科学を教えなかったそうだ。羨ましくも妬ましくもある。自分だって科学のことさえなければ祖父と幸せに暮らしていたはずだ。
いったい祖父は自分とシズのどちらが好きだったのだろう。そう思い、シドは自分が子供のような考えをしていることに気付き、小さく苦笑した。
その答えをくれる人は、もうこの世にはいない。いたとしても祖父は自分とシズを別々の人と考えてくれないだろう。
シズは自分一人でいい。そう思い、シズを殺すためにここに来たのだが、それはシドの思い違いだった。ここにいるシズは自分ではない。シズという立派な一人の人なのだ。
そして自分はシドでもあり、シズでもある。ここにいるシズは遠い昔、自分と同一人物だった。だが、自分が家を飛び出した時シズは二人になったのだ。
ここにいるシズは別の世界の自分。自分がこの屋敷に残ることを選んでいた時の自分なのだ。
そして自分は屋敷を出ることを選んだシズ。今はシドという名を持つ。
ここに来た理由はもう一人の自分を抹殺するためではない。祖父の墓参りに来ただけなのだ。
自分にはもうこの屋敷の外で過ごす未来がある。それを望んで進もうという意思がある。
「おまえはこの屋敷で暮らしていけばいい。もう俺とおまえの道が交わる時もないだろう。シズの名はおまえにくれてやるよ」
頬を撫で、そう言うとシズが微かにほほ笑んだかのように見えた。
ここに来て良かった。シドは心の底からそう思った。ここに来る前までの暗い心が嘘のように晴れ上がっている。
「シド」
後ろからアズミが自分を呼んだ。
振り返ると扉に寄り添うようにアズミが立っていた。その顔がほほ笑んでいたことから、今までのシドの様子を見ていたことは明らかだった。
シドは舌打ちするとアズミに背を向け、その場を立ち去ろうとした。もうここにいる理由もない。このまま屋敷を出て行こう。
そう思い歩きだしたシドの腕をアズミがそっと握りしめた。シドは歩くのを止め、驚いてアズミを見る。
「シド。話しておきたいことがあるの。今はもうシズが目覚める時だから私の部屋で待っていてくれないかしら」
アズミはシドの返事も聞かず、自分の部屋を教えると、さっさと機械部屋に入ってしまった。
シドは首を傾げながらもアズミの部屋へ向かった。アズミは自分になにを話したいのだろう。シズのことなのか、祖父のことなのか。それとも…?
アズミの部屋に入りしばらく待っていると、廊下からこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。おそらくアズミだろう。
待っていたのは10分ほどなのにシドにはこの時間が長く感じられた。
女性の部屋になど一人で入ったことがなく、妙にそわそわするのだ。
アズミが来た時は体の力が抜けるほどホッとしたものだった。
「待っていてくれてありがとう、シド」
シドを見てアズミはニコリとほほ笑んだ。シドは初めて見るアズミのほほ笑みに驚いた。アズミにこんな優しい表情ができるなど思ってもいなかった。
「それで話っていうのは?」
照れくさいやらなにやらこそばゆい思いを振り払うようにシドは口を開いた。
アズミは頷き胸に付けているネックレスを外した。今までは洋服の中に隠しておき外見からではネックレスをつけていることをわからないようにしてきた。
そこには紫のクリスタルがキラキラと輝いていた。どこかで見覚えがあるような気がしてシドは目を細めた。確か子供の頃によくそれを見ていたような…
「思い出せない?」
まるで謎々を解かされているようだった。アズミはシドを見て、おかしそうに笑っている。
そんなアズミの姿にふと誰かの面影が重なって見えた。そう、その人はシドの初恋の人でもあり、初めて嫉妬というものをむけた人でもある。
光るレンズの向こうでいつも幸せそうに笑っていた。未来で天才科学者の名を欲しいままにした少女だった。確か、その少女はいつも紫のクリスタルのネックレスをつけていた。
「…アサミ…」
その名が口からこぼれ落ちた。その名を聞き、アズミは少し悲しげにほほ笑んだ。
「正解」
アズミは自分がアサミだということを肯定した。
シドは驚くよりも先に納得していた。そう言われてみればアズミはアサミによく似ていた。
「なるほどね」
シドは口に笑みを張り付け、降参するように手を振った。
「あんたは、あの機械を完成させたんだな」
「ええ」
アズミ―アサミは頷いた。
あの機械とはタイムマシーンのことだった。アサミはそれを完成させ、自らが実験台となってシズのいる過去に飛んできたのだ。
シドが子供だった頃、レンズの向こうでアサミはタイムマシーンを作っていた。その時はまさか完成するとは思っていなかった。もし今祖父がこのことを知ったら狂喜乱舞するだろう。
シドの心の中は複雑だった。子供の頃はタイムマシーンが完成するのを嫌がっていた。
完成すれば、祖父の科学の戒めが強くなるだろうし、アサミへの称賛が増すだろうから。
けれど、その一方でタイムマシーンの完成を待ちわびていた自分もいる。アサミに恋をしていた心がアサミに会いたがっていた。
完成しても自分のいるこの時代に来るとは限らない。そうわかっていても、心のどこかで期待していた。彼女に会える日が来ることを。
そして今、子供の頃あんなに会いたがっていた人が目の前にいる。しかし皮肉なことに今はもうシドの心の中ではアサミに対しての恋心は昔のものになっていた。
「そうか…」
改めて自分はもうシズではないことに気付き、シドは微笑した。これで完全に思いが断ち切れた。もう昔に囚われることはないだろう。
「今だから言うけど俺の初恋はおまえだったんだぜ」
ふざけた口調でシドが言うとアサミは驚いた顔をしたが、
「私もよ」
と言い返し、ほほ笑んだ。
その表情でアサミもすでにこの恋心を過去のものにしていると気付いた。それでもアサミの気持ちは嬉しかった。素直にそう思う自分をシドは嬉しかった。
あのテレビは自分が一方的に見ているだけだと思っていたが、それは違ったらしい。シドがアサミを見ているように、アサミもシドを見ていたのだ。
それならテレビのアサミに声をかけておけばよかった。そうしたら、今が違っていたかもしれないのに。
そうは思っても不思議と悔いはなかった。何故か清々しい気分だ。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
シドはそう言うとアサミは少し悲しそうに頷いた。
「シド、ありがとう…会えて嬉しかった」
アサミの真っすぐ自分を見る視線にシドはただ黙ってほほ笑んだ。
もうこれ以上話すこともない。自分がここにいる理由もないだろう。
シドは振り向かず、アサミの部屋を出た。そして真っすぐ屋敷の出口へ向かった。
名残惜しい気持ちは全くなかった。ただ、長い迷路からやっと抜け出せたような、そんな気持だった。