A Lullaby4





1229年―そして、現在

 墓の前で佇んでいる男の姿がある。男は持っていた一輪の花をそっと墓の前に置いた。
「…」
 無言で男は墓を見つめていたが、後ろから聞こえてくる足音に気付き、ゆっくりと後ろを振り返った。
「シドォ〜!!」
 男の名を呼びながら、一人の少年、シズが駆けてくる。
「よお、シズ。いつも元気だな」
 自分に向かってくるシズに対して男、シドは皮肉めいた笑みを向けた。
 ところがシズはシドの態度に気付くことなく自分が褒められたと思い、照れくさそうにほほ笑んだ。
「シドだっていつも元気だよ」
 シズはシドを見上げ、ニコリと笑う。シドはそんなシズになにも答えることなく、代わりにシズの頭をクシャクシャに撫でた。シズはそれが気に入ったのか嬉しそうにシドを見ている。
「そうだ、シド。ここでなにをしてたの?」
 ふと疑問に思い、シズが質問すると、
「…別になんでもねえよ」
 シドは微笑しながら答えた。
「それより、シズ。俺になにか用があったんじゃねえのか?」
 シドはすぐさまシズに話しかけた。話を上手く逸らされたのだが、シズはそれに気づくこともなくその問いに応じた。
「うん。アズミがね、朝食にするからシドを呼んでこいだって」
「朝食か…そういえば腹が減ったな」
「ボク、もうお腹ペコペコだよ」
 お腹を抱え、元気なく言うシズにシドは背中を押し、
「それじゃあ、食べに行くか」
 屋敷に行くのを促した。
「うんっ!」
 シズは大きく頷くと、シドの手を引いて屋敷へと走り出した。シドは仕方なく、シズにあわせて走り出す。
 墓の前で一輪の花が風に気持ちよさそうに揺れていた。

 アズミは食堂からシズとシドが無邪気に戯れる姿を見て、深く長いため息をついた。その顔には不安や苦悩、そしてこれから起こることへの恐怖が刻み込まれている。
「やっぱり、あの男をここに置くべきではなかったのかもしれない…」
 あの男とはシドをさしているのだろう。アズミは暗い顔でシズの嬉しそうな笑顔を見ていた。シズのこんなに嬉しそうな顔を見るのははじめてのことだった。
 そうシズはシドによく懐いていた。二人を見ていると、まるで兄弟のように見えてくる。
「あの時、シズが起きていなければ、あの男を追い出せたのに」
 アズミはシドがこの屋敷に来た時のことを思い出していた。
 シドは道に迷ったと言っていた。
 あの夜は雨も風も強く、この山奥のことだ、視界が悪かったこともあって、迷ったことがあっても頷くことはできる。
 だが問題はどこへ行こうとしてこの山に入りこんだのかだ。
 この山は祖父個人の物で、山には勝手に入って来てはいけないことになっている。しかも山には、この屋敷しかなく、シドがこの山に用事があるとは思えなかった。
「町に行こうにも山を迂回した方が安全だし、着くのも速いわ」
 アズミはあれこれ考えるが、いつも行きつく答えは一つだった。
「シズを狙ってる…」
 シドはシズの正体をつきとめに来たのだ。確かな動機もないが何故かそう確信することができた。
 アズミは自分の考えに頷き、
「やっぱり、あの男をここに置くべきじゃないわ」
 と、今度はきっぱりと断言した。
 あの夜はシズの説得に負けて仕方なしにシドをこの屋敷に置いたが、シズの害をなす者と知ればここに置いておくわけにはいかなかった。
「追い出すしかないわね」
 アズミはそう言い、フッと顔が曇った。
 シドがいなくなったら、シズはきっと悲しむだろう。そう考えると胸が痛むが、これ以上シズとシドを一緒にはさせられなかった。
「嫌な役だわ…」
 アズミは自嘲するような笑みを浮かべると、廊下から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
 窓の外にはもはや二人の姿はなかった。アズミは食事を持って来ようと台所へ行きかけて足を止めた。
 視界の隅に祖父の墓が映った。そしてその墓の前には一輪の花があった。
「…」
 無言でその花を見ていたアズミの視界が急にぼやけた。
「シズ…」
 呟き、アズミは窓にもたれかかった。
 ぼやけた視界の中で何故か一輪の花だけがはっきりと見えた。

 シズは上機嫌だった。
 ニコニコと顔に笑みを張り付けたまま、嬉しそうにベッドに寝転んでいる。
 隣で眠っているシドの顔をチョンチョンと指で突っつくと、シドはうるさそうに眼を開けた。
「シド、お話しようよ」
 シズが無邪気に話しかけてくる。
 時刻は10時。子供はとっくに寝ている時間だ。
「もう遅いんだぞ。とっとと寝ろ!」
 シドは声を荒げるが、シズは全然気にしていない様子でニコニコ笑っている。
 シドが起きて話してくれたのが嬉しいのだろう。その目は次の話を待っていた。
「ったく」
 シドは深いため息をついたが、シズには敵わないとみて、
「わかった。気が済むまでおまえに付き合ってやるよ」
 諦めを含んだ声でシズに話しかけた。
「うんっ!」
 シズは満足げに頷き、シドに身を乗り出した。
「ねえ。シドってどこから来たの?」
 シズが興味津津という顔で聞くと、シドは一瞬戸惑ったように顔を強張らせた。が、すぐいつもの表情を取り戻し、
「近くからだよ」
 と、曖昧に答えた。
「それじゃあ、よくわかんないよ」
 シズはシドの答えに抗議したが、シドはそれ以上の答えをくれなかった。
 シズは不満顔だったが、すぐに次の話題を発見して、「ねえねえ」と明るい顔で聞いてくる。
 しばらくシズのくだらない質問に答えていたが、だんだん眠くなってきたのでシドがこれで終わりにしようと思った時、
「シドのおじいちゃんてどんな人?」
 と、びっくりする質問を聞いてきた。シドは怒ったような顔でシズを睨むが、シズは壁にあるテレビを見上げていて、シドの表情に気付くことはなかった。
「ボクのおじいちゃんはね、立派な科学者だったんだ。もう死んじゃったけど、とっても優しかったんだよ」
 シドはシズの目が涙ぐんでいることに気付いた。
「でもおじいちゃんはシズを科学者にしようと無理やり科学技術を教えてただろ」
 シドは辛そうに顔を歪ませた。シズは泣きながらほほ笑んでいた。目は真っすぐテレビを見ている。
「うん。でもボクが嫌だって言ったらやめてくれたもん。それにボク、おじいちゃんのこと尊敬してるんだ」
「…尊敬…?」
 はっきりと言ったシズに、シドが震える声で聞き返す。
「うん。ほら、あの壁にあるレンズ、あれはねテレビって言ってね、未来のアサミちゃんっていう女の子を見ることができるんだ」
 シズは嬉しそうにテレビのことを話し続ける。
「アサミちゃんは天才科学者なんだよ。ボク、よくおじいちゃんにアサミちゃんと比べられて怒られたな。ボクは全然科学のことわからなかったから…」
 しょんぼりとしたシズに向かって、シドは心の中でシズを励ました。
今の時代は立派な機械もなければ、教えてくれる教師もいないのだ。今より科学が進歩している未来の子と比べて、シズが劣っていてもしょうがないのだと…
 それはシズを励ますというより、自分に言い聞かせているようだった。シドは心の中で叫んでいた、己に対する言い訳を。
「でもボク、おじいちゃんの思い叶えたかったな…立派なおじいちゃんみたいな科学者になりたかったな」
 シズがそう言ったと同時に、シドの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「…やめてくれ…そんなこと言わないでくれ…」
 力なくシドが呟いた。だが、その言葉はシズには届かない。
 シズは変わらずテレビを見ていた。驚くほど澄んだ瞳で真っすぐと。
「やめてくれ…」
 押し出した声はやはりシズには届かない。
 シドは泣いた。ボロボロに涙が枯れ果てるまで。もうわけがわからなくなっていた。自分が泣いているわけも。シズになにをやめて欲しいのかも。
 ただ胸が熱かった。どうすることもできない熱の塊が胸を焦がしていた。
「もう…やめてくれ!」
 叫んだシドに、シズが驚いて振り返った。
「シド…?」



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