A Lullaby2





1221年―出会い

 シトシトと雨が降る。
 シズは雨に身を任せ、佇んでいた。いつから、そこにいたのかシズの体はずぶ濡れだった。
 雨でくっついた前髪の下でシズは静かに泣いていた。真黒な洋服が雨に濡れて色あせて見える。細かに震える肩は雨の冷たさのせいなのか、シズは焦点の合わない虚ろな目でただ泣いていた。
 目の前には一つの墓がひっそりと建っていた。飾った花が雨に濡れてしおれている。まるでシズの心を映すように。
 それは祖父の墓だった。
「シズ」
 背後からシズを呼ぶ声。それはひどく優しい声だった。
 しかしシズはその声に振り向かない。おそらくわざとではなく、ただその声が聞こえなかっただけだろう。その声の主はそれを不快に感じず、悲しげな瞳をたたえシズの後姿を見つめていた。
 これからシズは一人で生きていくことになる。唯一の肉親であった祖父は亡くなり、シズはこの大きな屋敷で孤独と過ごさなければならない。祖父は何故か召使を一人も雇わなかった。シズは正真正銘独りになるのだ。
「シズ…」
 声の主の女性はシズを後ろから抱きしめた。シズの体は冷めきっており、抱きしめた腕から冷たさが伝わってくる。きっとシズの心も冷えてしまっているだろう。心ごと温まれと言わんばかりに女性は力強くシズを抱きしめた。
「…誰?お姉さん」
 シズは腕に込められた強さで女性の存在に気付いた。
 潤んだ瞳が頼りなげに女性をうつす。
「私は…」
 シズに聞かれ、女性は答えに躊躇したが、シズの瞳を覗き込み笑って、
「私はあなたのおじいさんに雇われた召使よ、シズ」
 と言った。
「おじいちゃんが!?」
 シズの目が大きく見開かれる。祖父が召使を雇うなんて今までになかったことだ。
「あなたのおじいさんは自分が近いうちに亡くなるのを悟って、独りになってしまうあなたを案じて私を雇ったのよ」
 女性の説明にシズは納得したように頷き、涙ぐんだ。
「じゃあ、本当にもうおじいちゃんには会えないんだね」
 シズの言葉に女性はそっとシズの頭を撫でた。シズの髪の毛がぐっしょりと濡れていることに気付いた女性は、慌ててシズを屋敷の中に入れようとした。
 シズは祖父の墓を名残惜しそうに見ながら女性に従った。
「シズはただでさえ病気持ちなのに雨に濡れたりしたら病気がもっと悪化しちゃうわ」
 女性が心配そうに言うと、シズは驚き顔になった。
「ボクの病気を知ってるの?」
 祖父はシズの病気を誰にも口外するなと強くシズに言い聞かせていた。祖父自身も誰にも言うこともなかったし、病気であるのに医者も呼ばないほどだった。それを全然知らない人に知らせるとは思わなかった。
「ええ、治療法も聞いているわ」
 シズの疑問に女性は笑って答えた。
 祖父はこの女性に強い信頼を置いていたのだろうか。二人の秘密をアッサリばらし、自分の代わりを任せたこの女性を。
 しかしシズには深く考えるほどの知能は持っておらず、この美しく素敵な笑顔を持った女性をすっかり気に入ってしまっていた。
 この女性の笑顔をどこかで見たことがあるのはシズの気のせいなのだろうか。
 シズが女性をジッと見ていると、女性は優しく微笑み返してくれた。その笑顔にだまされたように、シズはすっかりそのことを忘れてしまった。
「ねえねえ、お姉さんの名前はなんて言うの?」
 シズが聞くと、
「私は…ア、アズミって言うの」
 少しの間を置いてアズミが答えた。
 その慌てて繕ったような笑顔を見てシズは思い出した。アズミがテレビのレンズの向こう側の少女、未来の人間アサミに似ていることを。

1219年―創造

 なんてことだ!なんてことをしてしまったのじゃ…!!
 祖父は頭を抱え、机に突っ伏した。その顔には後悔と深い悲しみがあった。
 今にも泣き出しそうな顔で祖父はシズのことを考えていた。
「ワシは…ワシはこの手で!」
 ギュッと強く握りしめた己の手にはあの時の…シズを刺した時の感触が生々しく残っていた。テレビを壊したシズをカッとなって近くにあった窓ガラスの破片で傷つけてしまった。あの時の感触がしっかりと残っているのだ。
「シズ、シズっ!!」
 叫んでもシズは生き返らないとわかっているが、祖父はなにかにとりつかれたようにシズの名を叫んだ。
 生き返ってくれと願いながら、祖父は声を張り上げるが、祖父には痛いくらいシズが戻ってこないということを知っていた。無理なのだ、死んだ者を生き返らせることなど。
 しかし祖父は諦めきれなかった。シズのいない世の中なんて考えられなかった。
 もし今祖父の目の前に悪魔が現れたなら、どんな代償を出されたとしてもシズを生き返らせることを望むだろう。
「シズっ!!…」
 最後の叫びは涙によって遮られた。
 祖父は声を殺して泣いた。溢れ出る涙は途切れることなく流れ続けた。
 しかしシズへの思いは泣けば泣くだけ深いものになっていく。まるで涙とは反比例のように思いは積もる。そして、それはだんだん歪んでいった。祖父の目に怪しい光が灯る。
「…生き返らなければ創ればいいのだ。科学の力で…ワシの手で…」
 祖父はボソボソと呟くとゆらりと立ち上がった。その目は正気の目でなかった。虚ろな狂気をたたえた目だった。
「シズを創らなければ…」
 祖父はそう言い、紙の上になにかを書き始めた。
 それはシズの設計図だった…



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