季節を抱きしめて9





 世界が光に染まった。
「梛っ!!」
 嫌な予感に襲われ、林は叫んだ。
 鮮やかな白光は命が燃え尽きる炎に似ていた。
「梛くん…」
 椿は胸の前で手を組み祈った。
 彼の存命を。
 やがて消えゆく光の中に闇の姿は見つからず、そこには梛が倒れていた。
「梛!」
 今にも消えてしまいそうな透き通った肌に触れ、林はホッと息をつく。
「梛くん」
 梛の冷たい頬に触れ、椿は涙を流した。
「ごめんなさい、梛くん…」
 自分のために命をかけてくれた梛に椿は頭を下げた。
「謝らないで、椿ちゃん。梛ちゃんは自分のために椿ちゃんを助けたんだもの」
 楓の言葉に椿は首を横に振る。
「でも、私は私を助けてくれた梛くんのためになにも出来ないわ」
「それは違うわ、椿ちゃん」
 項垂れる椿に楓はグッと顔を近づかせる。
「私たち幽霊にとって一番の慰めは自分を覚えていてくれることなのよ」
 ニッコリとほほ笑む楓に椿は驚く。
「覚えていること?」
「そうよ。私たちにとって覚えていてくれることが一番嬉しいの。私たちは幾らこれからこの世に存在しても生きている証はもう残せない。でも私たちを知っているあなたたちが私たちのことを覚えていてくれれば、私たちがここにいたって証は永遠に残るわ」
 楓は言葉を区切り、ジッと椿の目を覗き込む。
「椿ちゃん」
「はい」
「梛ちゃんのことずっと覚えていてね」
 優しくほほ笑んだ楓に椿は涙を流しながら頷く。
 その涙は梛の頬に落ち、梛はうっすらと瞳を開けた。
「さて、と。梛ちゃんのことは椿ちゃんに任せて私たちは行くわよ、林」
 楓は林の返答を待たず、無理やり腕を掴み、去ってしまった。
「…椿さん…」
 目を細めたまま梛は椿を呼ぶ。
 すると椿は優しく梛の頭を撫でてくれた。
「ごめんね。梢さんを助けられなくて」
 梛の言葉に椿は手を止めた。ポタポタとまた涙が零れる。
「椿さん!」
 驚き、梛は慌てて体を起こす。
 おろおろしている梛に椿はそっと抱きついた。
「椿さんっ!」
「いいのよ、梛くん。あの闇は梢じゃなかったの。私の寂しさが生み出した幻影だったのよ…」
 そう、あれは梢じゃなかった。
 きっと…
「そうだよ、椿さん。本物の梢さんはきっと今頃天国にいるよ」
 無邪気な笑顔でそう言われると不思議にそう思えてくる。
「…そうね。きっとそうなのね」
 頷くと、梢の笑顔が目の前に浮かんできた。
「えっ」
 驚きの声を上げた時にはすでに梢の笑顔は消えていたが、それをきっかけに胸の奥から本当の梢が溢れ出した。
 どうして。今まで梢のこと思い出せなかったのに…
 梢の笑った顔。怒った顔。照れた顔。様々な梢を思い出すたび、椿の涙は止まらなくなっていく。
 そういえば私、梢が死んでから純粋に梢のことを思って泣いたことってなかったっけ…
「ふふふっ」
 笑いだした椿に梛は驚いた表情になる。
「梛くんて凄い。本当に凄い」
 こんなに簡単に梢のことを思い出させてくれるなんて、梛くんて凄いわ。
 もう忘れない。
 本当の梢は二度と見失ったりしない。
 ごめんね、梢。あなたのことを疑って。
 でも忘れないから。もう絶対忘れないから。
 ずっと覚えているからね、梢…
「もちろん、梛くんのこともね」
「えっ?なんて言ったの、椿さん」
 椿のつぶやきは梛の耳には届かず、梛は首をひねる。
「ありがとう、梛くん」
 ニッコリ笑った笑顔に梛は胸を躍らせた。
 今まで見た中で最高の笑顔だった。

 あの日から梛と会うことがないまま椿は卒業式を迎えた。
 "幽霊のたまり場"に行っても、そこに梛の姿はなく、彼が意識的に自分を避けていることがわかった時、椿は梛を探すのをやめた。
「…夢だったのかしら?」
 ぼんやりと"幽霊のたまり場"の教室を見上げつぶやく。
 こんな風に平和な日常の中にいると、あの出来事を夢物語のように感じてしまう。
 現実とあまりにもかけ離れていて梛を遠く感じる。
 夢じゃないはずなのに…
 このまま薄れていきそうで椿は悲しかった。
 もう一度会えたら…
 その時だった。
 "幽霊のたまり場"の教室の窓が開き、そこから色とりどりの花が舞い降りてきたのは。
 ワァーとその場にいる生徒たちが歓声を上げる。
 誰が花を落としているのかは見えない。
 だが椿にはそれが誰なのかすぐにわかった。
 椿は花の祝福を受けながら、そこにいるであろう梛にほほ笑んだ。
「ありがとう、梛くん」
 花のシャワーが終わっても、椿はしばらく立ち尽くしていた。
 夢じゃなく、梛を現実に感じながら。
 ありがとう、梛くん。最高のプレゼントだよ。
 地面に落ちた一輪の花を拾う。
 忘れないよ、梢、梛くん。私たちがここで一緒に過ごした日々をずっと胸に刻みつけていくからね。
 "幽霊のたまり場"の教室の窓に視線を移すと梛と目が合ったような気がした。
 椿は一輪の花を胸に抱き、ゆっくりとその場から立ち去った。
 暖かい日差しの中、季節はもうすぐ春を迎える。



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