季節を抱きしめて5





第三章 季節の変わり

 誰かが自分を呼んでいた。
 誘われるままに足を進める。
 そこに誰がいるのか、わかるような気がした。
 梢…
 会いたかったのよ、梢。私、ずっとあなたに謝りたかったの。
 なのに梢ったらどこにもいないんだもの。たくさん探したのに。
 でも、もういいの。やっと会えるんだもの。
 梢、私の名を呼んで。
 梢…

 学校の中で邪悪な風が渦巻き始めていた。
 そして、その渦に向かっている少女がいる。
「椿さん!」
 その気配を素早く察知し、梛は走りはじめた。
「おいっ、梛!」
 林が梛を止めようとすると、
「バカッ、椿ちゃんの身に異変が起こったのよ!」
 楓の罵声が飛んできた。
「おいおい、なんでわかるんだよ」
「恋してる相手のことはなんでもわかるものなのよ」
 ガクッと林の体が沈む。
 よくわからない理屈だ。
「まっ、あんたにはわからないでしょうね」
 サラリと言い、楓は梛を追い始めた。
「ちっ〜とも、わからねえよ」
 林は誰にでもなく言い走り始めた。
 椿のもとへ…

 やっぱり自分を呼んでいたのは梢だった。
 ―椿、あなたを待っていたの。
 梢が優しくほほ笑む。
 なんでだろう。そのほほ笑みに違和感を感じてしまう。
 梢が梢に見えない。
 ―梢、私と一緒に来て。
 梢が手を差し出す。
 椿には、その手を取ることが出来なかった。
 あんなに望んだ梢の手なのに。
 ―どうした、椿?
 ためらう椿に梢は不思議そうな顔をする。
 ―大丈夫、怖くないわよ。椿。
 梢は椿が死ぬことが怖くて動けないと思ったのか、椿を安心させるように笑った。
 その笑いに椿の背中に悪寒が走った。
 本当に今目の前にいるのは自分の知っている梢なのだろうか。
 ふと疑問に思った時。
 ―私は椿のせいで死んだのよ!
 梢の怒声が辺りに響いた。
 ―椿のせいで死んだのよ。それなのに椿は死んでくれないの!?
「梢…」
 椿はギュッと唇を噛むと、梢のもとへ一歩踏み出した。
 それを見て梢は満足そうにほほ笑んだ。
 ―嬉しいわ、椿。あなたが来てくれれば私もう寂しくない。
 腕を広げて待つ梢に椿はゆっくりと近づいていく。
「待てっ!」
 その時、何者かの静止の声がかかった。
 椿は足を止め、振り向いた。
 声の主は見なくてもわかっていた。
「梛くん!」
 椿には彼が救世主に見えた。
 彼が自分のこの悪夢から救ってくれる唯一の人だった。
「おいおい、ヒーローは梛だけじゃないぜ」
「あんたじゃ役不足よ」
 楓は林を軽くあしらうと梢に向かって叫んだ。
「正体を現しなさい!この悪霊どもっ」
 ―悪霊?誰が悪霊だというの。
 梢は首を傾げる。どこかわざとらしい仕草だった。
「シラ切るんじゃないわよ!」
 ―ひどい、私が悪霊だなんて…
 泣き始めた梢を見て椿の胸が痛んだ。
「やめて!梢を悪霊なんて呼ばないで!私が、私が悪いのよ!!」
 その場に泣き崩れた椿に誰も声をかけることが出来なかった。
「私が梢のもとへいけば全てが終わるの」
「ふざけるなっ!!」
 林の怒声に椿は顔を上げた。
「なにが私が悪いだ!お前はただ自分のおこした現実から逃げたいだけなんだ。死ぬのが一番楽だからお前は死ぬんだろ?そんなの一番最低なやり方だ!!」
 肩で息をしながら林は椿を強く睨んだ。
「そうね、そうすぐに死のうとするなんて、私たちにケンカを売ってるとしか思えないわ」
 楓の言葉の意味が椿にはわからなかった。
 何故、すぐ死のうとすることがケンカを売ることになるのだろうか。
 ―そう、あなたたちも私と同じ幽霊なのね。
「えっ!」
 椿は梛に目を向ける。
「嘘、嘘でしょ?梛くん」
 椿の目が肯定の答えを望んでいるのはわかっていたが、梛は首を横に振ることしか出来なかった。
「そうだ。おれたちは幽霊だ。なんか文句あるのか」
 ケンカごしに話す林に椿はなにも答えられなかった。
 梛が幽霊だとわかって梛に対しての感情がどう揺らいだのかわからなかった。
 ただ動けなかった。動くことが出来なかった。
 ―わかったわ、あなたたち椿の命を狙っているのね!
 梢の声に椿はハッと目を見張った。
 顔を上げることはできなかった。もし梛が頷いたりしたら…
「命を狙ってるのはあんたの方でしょう?」
 冷ややかな声で言い放つ楓に梢はクスリと笑った。
 ―私が椿の命を狙うことは当然だわ。だって椿のせいで私は死んだのだもの。
 その言葉に楓の顔が大きく歪んだ。
 梢の言い分があまりにも醜く浅ましかったからだ。
 同じ幽霊としてこいつが存在しているのが許せない。
「てめえにこの世にいる価値はねえ!」
 許せないと思ったのは林も同じだった。
 林は手の平に光の球を作ると、それを梢にぶつけた。
 ―ギャー!
 梢の悲鳴が響く。
 ―うっ、うっ。
 苦しそうにうめく梢に林はもう一発光の球をぶつけようとする。
「やめて!」
 しかし、それは梢の前に立ちはだかる椿によって阻まれた。
「ちっ」
 林は舌打ちをして光の球を消した。
 椿が梛の思い人でなければ椿ごと光の球を梢に打っていたのに。せっかくのチャンスなのによ。
 悪霊は林たち善良な幽霊たちにとって最大の敵である。両者はお互いを消滅させるために戦いあってきた。
 悪霊の一番恐ろしいところは人や幽霊たちを吸収し、どんどん強くなっていくことだった。
 今の梢は力が弱い。今なら簡単に消滅させることが出来る。しかし、もし椿が吸収されてしまったら、どうなるのか…
 出来るだけリスクは避けたい。
「梛!このバカをどうにかしろっ!」
 林に怒鳴られ、梛は口を開いた。
「君は本当に梢さんなの?」
 疑問を口にするとみんなはシーンと静まり返った。
 数分、静寂が辺りに落ちた。
 ―なっ、なにを言うの。私を疑うというの?
 明らかにうろたえたように梢が言う。
 その姿を見て林はニヤリと笑った。
「なるほど、確かにあんたが梢っていう証拠はないよな。姿だって悪霊だったら簡単に変えられるもんな」
 勝ち誇ったように言う林に梢は悔しそうに唸った。
「梛もたまにはいいこと言うじゃねえか」
 ガハガハと笑う林に椿はキッと顔を上げ、
「でも梢じゃないという証拠もないわ」
 キッパリと言い放った。
 ―椿!
 梢が信じられないという表情で椿を見つめる。その瞳から涙が零れ落ちる。
 ―嬉しい、嬉しいわ、椿。私を信じてくれるのね。
 感激極まりない表情で梢が呟く。
「…あの女、本物のバカだ」
 怒りを通り越して林は呆れてしまった。
「楓、なんとかなんないのか?」
「彼女のいうことは正しいわ。確かにあの悪霊が梢という証拠も梢じゃないという証拠もないわ」
「だから、なんとかなんないのか?あいつが梢じゃないっていう証拠はつかめないのか?」
 椿の考えに納得してしまっている楓に林はイライラしながら聞く。
「そんなのあるわけないでしょ」
 あっさりと言われ、ガクッと林の肩が落ちる。
「あったら、とっくにしてるわ」
「そりゃ、そうだな」
 ハァーと深くため息をつき、林の体から力が抜け落ちた。なんだか、やる気がなくなってきた。
「ここは梛ちゃんに任せるしかないわね」
「もう勝手にやってくれ」
 林は梛の背中を軽く叩き前に押しやった。



『next』     『novel-top』