季節を抱きしめて2





第一章 窓の向こう側

 旧校舎のある空き教室に幽霊のたまり場があるという噂が生徒中に広まっていた。と、言ってもこの噂はかなり昔から出回っていたものだったが。
 目撃者は多数。その中のほとんどが初めはそれが幽霊だと気づかなかったと言う。それは幽霊が本物の人間よりも人間らしかったというのが主な理由だった。
 人間よりも人間らしい幽霊というのは珍しく、一時期はその教室に多くの生徒がひしめき合ったが、幽霊を見に行った人間同士がお互いを幽霊と勘違いをして、ちょっとしたパニックが起きてしまい、その教室は立ち入り禁止になってしまった。
 幽霊にとってみたらそれは好都合だった。生徒たちが押し寄せて来た時は慌てたが、立ち入り禁止になってしまえば生徒たちは全く来なくなるので、噂が流行する前より静かになり、ほのぼのと日々を過ごすことが出来るようになったからだ。

「今日も良い天気ねー」
 窓から顔を出し、楓(かえで)は暖かい陽射しの心地よさに目を細めた。
 ここ旧校舎のある空き教室。通称"幽霊のたまり場"では幽霊たちがのんびり暮らしていた。
 幽霊の数は30人程度で、ほぼ一クラス分。入れ替わりが激しいので全員の幽霊を覚えるのは難しいが、その中でも有名人というものはいて、どの幽霊からも知られている幽霊がいた。
 その一人が窓の外をぼんやりと眺めている楓で、彼女はこの"幽霊のたまり場"の年長者で、幽霊の総長としても知られていた。
 もう一人は彼女のすぐ横で眠っている少年、林(りん)で彼も昔からいる幽霊であるが、彼が有名なのは楓といつも一緒にいるからであって彼自身が有名なわけではなかった。
 そして、その二人と一緒にいることによって有名になりつつある幽霊が一人いる。
 その幽霊の名は梛。人間の少女に片思いしているということで幽霊の間で密かに応援されていたりもしている。
 しかし本人はこの恋を成就させるどころか、その少女に近づくことすらしなかった。本人は見つめていられるだけで幸せだからと言っているらしい。
 そんな梛を見てじれったく思う幽霊たちもいるが、下手に手を出すことも出来ずにいた。幽霊と人間の恋なんて実るはずがないと彼らは思っているのだろう。
 だが、それでも梛の消極的な態度に怒りを募らせる幽霊もいた。それは梛の親友である林だった。
 林は梛の甘ったれた恋愛観に非常に腹を立てていた。
 見ているだけでいいなんて、そんなの恋ではないと思っていた。
「あら、椿ちゃんだわ」
 窓の外に椿の姿を見つけ、楓は梛を呼んだ。
 梛は椿という名前に過敏に反応を見せ、窓の外を見下ろす。
「梛、顔が真っ赤だぜ」
 そんな梛の反応に林は素早くちょっかいを出す。
「椿ちゃん、今日も可愛いねえ。なあ、梛?」
 梛の肩にもたれかかり、林はわざとらしく梛に話を振る。
 梛は何も言わず、頬を赤く染めたまま困ったように林を見る。
「梛、このまま椿になにもしないつもりなのか?あいつは、もうすぐ卒業してこの学校を出て行くんだぜ」
 林の真剣な様子に梛はわずかにほほ笑む。
「ぼくは見ているだけで幸せだから」
 偽りのない言葉に林は言葉につまった。この言葉を聞いたら林はなにも言えなくなる。この言葉に嘘がないことを知っているから。
 梛はそんな親友を見てほほ笑むと、再び椿へ視線を移した。
 林の気持ちは嬉しい。彼が本当に自分を心配してくれているのがわかるから。ただ自分は本当に見つめているだけで十分なのだ。たとえ、彼女がもうすぐこの学校を卒業してしまうとしても。
 林はそんな梛を見て舌打ちすると教室から出て行った。楓も林の後を追うように教室を出る。
 残された梛はただ静かに椿を見ていた。
 この頃、梛は椿を見ると不安になってしまう。椿の顔色が日を追うごとに悪くなり、笑顔がだんだんと消えていっているからだ。
 それに彼女の体に黒いオーラが渦巻いているように見えるのだ。初めは気のせいだと思っていたのだが、見るたびにそのオーラは濃くなり、今では見間違いと言えないくらい、はっきりとこの目に焼きついてくる。
 彼女になにがあったのか、梛には全くわからない。ただわかるのは人間にはあの黒いオーラを見ることも、椿の笑顔を戻すことも出来ないということだった。
 しかし、だからと言って梛になにが出来るというのか。彼に椿の異変を感じ取れても、それを直すことが出来るとは限らないのだ。
 今の梛に出来ることは、このことを椿に話すことぐらいだろう。しかし、このことを話しても椿が信用するだろうか。
 どうすればいいのだろう。一体、ぼくになにが出来るのだろう。
「椿さん…」

「林!林ったら!ちょっと待ちなさいよ」
 ズンズンと先を歩く林の後を楓は小走りながら追う。
「林!もうっ!」
 楓は先を歩き続ける林の洋服をつかみ、無理やり止まらせる。
「なに怒ってるのよ、林」
「別に」
 林はそっぽ向くとまた歩き始める。
「椿ちゃんの異変に林は気づいているんでしょう」
 楓の言葉に林はピタリと足を止める。
 振り向くと楓の真剣な目とぶつかった。
「彼女、このままじゃあ殺されるわ」
 楓の言葉に林は目を見張った。
「そんなにやばいのか?」
 林の問いに楓は重々しく頷く。
「助けるんでしょ?」
 思わず即答しそうになり、林は押し黙った。
 はっきり言ってしまえば椿の生死なんてどうでも良かった。ただ椿が死んでしまえば梛が悲しがる。
 でも梛のためだけに椿を助けるだなんて、まるで自分がいかにも梛の心配をしているみたいで嫌だった。
 それに自分が椿を助けても意味がないような気もする。
 梛は椿の異変を感じ取ってないのだろうか。
「梛は…梛はこのことに気づいているのか?」
 林のつぶやきに楓は少し考えてから頷く。
「少しぐらいなら気づいてると思うけど…」
「…少しか」
 少しでも椿の異変に気づいているのなら何故梛は椿を助けようとしないのか。
 悩んでいるのか…でもそれならおれたちに相談してくれればいいのに…
「くそっ!」
 林は自分の考えにイライラしてきた。結局のところ梛は決して自分たちに甘えてこないのだ。甘えてくれば、いくらでも自分は力を貸すのに。
「楓。おれは絶対椿を助けねえからな」
 そうだ。梛が頼んでもいないのにおれが椿を助けるなんておかしい。
 梛が椿を助けようとしなければ、助ける意味なんてないんだ。
「絶対に助けねえ!」
 そう言い残し、林はズカズカと歩いていってしまった。
「いじっぱりなんだから」
 林の後ろ姿を見ながら、楓はため息をついた。



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