−Yui Kirisima−

 高校生活も1ヵ月を過ぎた。
 はじめは戸惑っていた生活も、ようやく慣れてきて余裕が出てきた。
 自分で言うのも何だけど楽しい高校生活を送っている。
 だいたいは唯と芹花と怜哉と俺の4人で行動することが多い。
 唯と芹花もすっかり仲良くなっている。
 俺と唯と怜哉は園芸部に入った。唯は透子先輩に懐いており、幽霊部員として入った筈の部活も唯に引きずられ、ちょくちょく顔を出している。怜哉はさぼってばかりだけどな。
 あれからピアノに近寄ることもなく、俺は穏やかな高校生活を満喫していた。これが俺の求めていたものなんだと思う。本当に最高だ。
 今日は天気が良いということで、屋上でお昼をとることにした。
 橘(たちばな)高校は屋上が解放されていて、生徒の誰もが入れるなっている。ただしフェンスが高く、安全性もちゃんと考慮してある。
 屋上にいる生徒は結構な数だ。俺たちはフェンス側に座った。
 唯がしっかり俺の隣をキープする。キープしなくても俺の隣が唯ってことは暗黙の了解になっているが。
 3人がお弁当を広げる中、俺は朝買ってきたパンの袋を開けた。
「また、パンなの?翔ちゃん」
「ああ」
 何か言いたげに俺をにらむ唯の顔を無視する。
 唯はパンは栄養が偏るから弁当にしろとうるさく言っている。だけど母親は作ってくれないし、自分で作る気もないので、俺の昼はもっぱらパンになってしまう。
 ちなみに唯と芹花は自分で弁当を作っているらしい。朝早くに起きて弁当を作るなんて俺には到底考えられない。
 怜哉は母親が作ってくれている。怜哉の母親は過保護な感じもする。子供の時に体が弱かったことを引きずっているのだと思うが。
「俺のおかずをわけてやるよ」
 怜哉の弁当は二段式で、上がおかずで下がごはんになっている。大きいくせにぎゅうぎゅうに詰め込まれているから、量はかなりのものだ。
 食が太くなったものだ。昔のあのか弱さはどこにいったんだ?今じゃ食欲でも怜哉に負けるよ。
 細い体のどこにこの分量が入るのかを疑問に思いながらも、エビフライを頂戴する。
 口に頬張ると、幸福が体を駆け抜ける。怜哉の母親は料理がうまく、俺は昔からファンだ。
「うまい!」
 体中でエビフライのうまさを表現する。芹花が呆れたように俺を見ているが、本当にうまいんだよ。
「本当に怜哉君のお母さんって、料理上手だよね」
 しみじみと感心したように唯がつぶやく。
「うらやましいなあ、私も上手になりたい」
 唯の弁当はお世辞にもうまいと言えない。殺人的に下手なわけではないが味付けが悪く、薄いか濃いかの両極端になってしまうのだ。
「唯は経験がないだけだよ。作っていくうちにうまくなるさ」
「うん、がんばるよ」
 励ますように言うと、唯ははりきったように頷いた。
「がんばろうね、唯ちゃん」
 唯の隣に座っている芹花が唯に負けないくらい気合の入った声を上げた。
 唯と芹花はがっちりと手を組み合う。完全にスポ根のノリである。
 まあ精進してくれたまえ。実験台になるのは俺と怜哉だろうからな。
「言っとくけど、俺は母さんと同じくらいうまくなきゃ食わねえからな」
 今まで勢い良く弁当を詰め込んでいた怜哉がさらりと言った。
 その言葉に2人の動きがピタリと止まる。
「怜哉の…」
「お母さんと同じくらい…?」
 2人はお互いを見つめあったまま固まっている。怜哉の母親と同じレベルなんて達するわけがない。
 怜哉は言いたいことを言うと、再び弁当をガツガツと食いはじめた。
 …怜哉、お前って凄い奴だよ…
 俺は唯と芹花を哀れに思いながら、パンをかじる。2人はまだショックから立ち直れそうにもなかった。
「ごちそうさんっ!」
 その間に怜哉の昼食は終わったようだ。
「ほれ、最後の一切れ翔にやるよ」
 そう言って差し出された弁当箱には、玉子焼きが一切れ入っていた。
「お、サンキュー」
 怜哉の好意に甘えて、玉子焼きをいただく。パクッと食べると、口の中に卵の柔らかさと甘さがとろける。
 俺はこのうまさを言葉にすることもできず、ただ笑顔で玉子焼きを味わう。
「顔、とろけてるわよ」
 芹花が心底呆れたように顔を見る。
 かまうもんか。俺は今幸せの絶頂なのだ!
「翔って本当に玉子焼きが好きだよな」
「しかも甘いのがね。お子様の味覚よね」
 うるさい、お子様で悪かったな。
「…そうなんだ」
 唯がしょんぼりとした顔でうつむく。
「知らなかった…」
「唯…」
 ふさぎこんでしまった唯の頭を軽く叩いてやる。
「今度作ってこいよ」
 優しい言葉をかけてやると、唯は弾かれたように俺を見てにっこりと笑った。
「うん!特訓してくるね」
 俺って唯に甘いかな?でも唯を甘やかすのって好きなんだよな。唯の笑顔って幸せいっぱいって感じて見てるのが好きなんだ。
 ニヤニヤと笑う怜哉と芹花を目の端で見ながら、俺は何も言い返すことなんてできなかった。
「絶対、作ってくるね!」
 この笑顔にやられてるんだよな、全く。
「翔は昔から笑顔に弱いよな」
 怜哉の的を射た言葉にぎょっとする。こいつ俺の頭の中が読めるのか。
「初恋の人のこともさ、『笑顔が可愛い』って言ってたよな」
「いっ?言ってないぞ、俺は!」
 うろたえまくる俺に怜哉の容赦ない言葉がふりかかる。
「見てりゃわかるよ。でれでれしてたからな」
「へー、そうだったんだ」
 芹花が思わせぶりに相槌を打つ。何だ、その反応は?まさか、俺の初恋の人が芹花だってこと本人にばれてるのか?
「確かに小学校の先生の笑顔は可愛かったわよね」
「えっ?」
「小学校2年の担任の先生のことでしょう?翔の初恋の人って」
 見当はずれの芹花の言葉に目を丸くしたが、誤解してくれれば都合が良いので一応頷いといた。
「そう、その担任のことなんだ!」
 わざとらしいほど明るく話す俺を見て、怜哉が笑うのをこらえていた。
 後で覚えてやがれ!
「…」
 ふと、隣の唯を見ると唯はさっきよりもふさぎ込んでいた。
「どうした?」
 聞いても唯は笑って首を振るだけだった。
 その笑顔は俺の好きな笑顔でなく、無理に作ってるものだった。
 俺には唯のその笑顔の意味がわからなかった。
 その後も怜哉の初恋の人など思い出話、というか笑い話に花が咲いた。暴露される昔の体験談に俺たちはギャアギャアと騒いでいたが、その中で唯だけは暗い表情で俺たちの話を聞いていた。



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