door-serika8





 告白した日のバイトの帰りから、俺たちの会話は一切なかった。
 バイト中は他の人の目があるから最低限の会話はしていたけれど、それ以外は話していない。学校でも同じで、口も利かなければ目も合わさない状態だった。
 芹花は俺をふった手前、接しにくかったのだろう。俺も芹花にどう接すればいいのかわからないでいた。
 だけど怜哉に話を聞いてもらって、胸にあったモヤモヤが消えていった。これからの俺と芹花の関係に明かりが見えていた。
 俺は友人として芹花に接しよう。芹花のことは好きだけど、芹花の恋を応援してやろうと思う。それが俺の出した答えだった。
 バイトの帰り、いつものように芹花を家まで送る。たとえ、どんなに気まずくなろうとも俺は芹花を送ることだけはやめなかった。初めは嫌そうにしていた芹花も今では無視を決め込んでいる。芹花にとっては送ってもらっているというより、勝手に俺がついてきているといった感じなのだろう。当然、会話はない。
 俺は今日こそは自分の出した答えを芹花に告げようと決意した。実は怜哉に悩みを聞いてもらった日から5日過ぎていたりする。
「芹花」
 何度か迷った後、決心して芹花を呼ぶ。この5日間で初めて2人の間に発せられた言葉だった。
「…」
 だが芹花からの返事はない。振り向きもしない。
 俺の声を無視して芹花は歩き続ける。俺はくじけそうな心を奮い起こして、もう一度呼びかけた。
「芹花」
「…」
 しかし返事はない…
 これは今日も駄目だ…とガックリと肩を落としたとき、
「…何よ?」
 芹花がチラリと俺を見た。
「芹花…」
 俺はそれだけのことに涙が出そうだった。芹花が俺を見るのも5日ぶりだ。
「翔…」
 俺の嬉しそうな顔に芹花が驚いたように顔をあげる。
「そんなに嬉しがらないでよ…」
 眉を寄せ、芹花は呆れていた。
「ごめん…でも最近まともに話したことなかったからさ、嬉しくって」
 俺が照れ笑いを浮かべると、芹花が苦笑を漏らした。
「そうね、私たち話もろくにしていない。でも昔には戻れないもの…」
「何でさ、俺は前みたいに芹花と話したいよ」
 芹花は頭を振り、俺の言葉を否定する。
「無理よ。だって翔の気持ちに答えられないもの」
 キッパリと拒絶され、俺の胸がズキンと痛む。わかっていたことだけど、本人に言われると傷ついてしまう。
「それでも、いいんだ…」
 傷つくことを承知の上で俺はこの答えを選んだんだ。胸の痛みさえも芹花を失うことに比べればちっぽけなことだ。
「俺は芹花の友人でいたい、芹花が俺の気持ちにこたえられなくても俺は芹花の友人でいたいんだ」
「嘘よ!友人になんて戻れるわけないわ」
 俺の言葉を芹花が遮る。
「ふられた相手と友人に戻るなんて考えられないわ、無理よ…」
 信じられないと芹花は弱々しくつぶやく。うつむいて表情は見えないが、芹花も傷ついているように見えた。俺の告白に芹花は俺以上に悩んでいたのかもしれない。
「ふられるのは告白する前からわかってたんだ。芹花には恋人がいるし、それに俺は芹花のタイプじゃないからな」
 そんな芹花の悩みを打ち消したくて俺は努めて明るく振る舞った。俺の勝手な気持ちのせいで芹花を苦しませたくなかった。
「翔をふったのは翔がタイプじゃないからじゃない」
 そんな俺の振る舞いを芹花は辛そうに見ていた。無理して笑っていることに気づいたのだろうか。
「翔は翔だから、翔は1人しかいないから。だから翔に似た人を好きになれなかったの」
 芹花の謎めいた言葉を俺は理解できなかった。芹花は何を言いたいのだろう。俺を慰めてくれているのだろうか。
「それって俺以外の人物は俺の代わりにはならないってこと?俺って芹花の中でずいぶん変わった位置にいるんだな」
 芹花の中の俺は昔の守ってあげなきゃいけない弱い幼馴染なのだろう。確かに俺は芹花の大切な心の部分にいるかもしれない。でもそれは恋愛に結びつかない位置なんだろう。だから俺に似た人を好きになれないのだろうか。
 自分の解釈は、ひどく惨めなものだった。俺の気持ちはどうあがいても通じないってことだ。俺は昔とは違うのに…
「俺はもう守ってもらわなくてもいいのにな…」
 独白すると、芹花がギクリと身を強張らせた。
「何?」
「…電話」
 不思議に思って芹花をみると、芹花は携帯電話を取り出した。音ではなくバイブ式にしていたらしい。
 電話に出ると、芹花の顔色が変わった。
「…久子」
 震えた声で発したのは芹花が嬉しそうに俺に話した親友の名であり、恋人の浮気の相手だった。
 芹花は凍ったかのように動かない。携帯からは女の人の声、おそらく久子さんだと思われる声が騒がしく聞こえてくる。
 芹花は久子さんに一言も答える事なく、携帯をゆっくりと下ろし、電源を切った。
「芹花…?」
 微動だにしない芹花に声をかけると芹花がゆっくりと振り向いた。その瞳は氷のように冷たく、感情という温かさが一切なかった。
「さっきの久子さんからだったんだろう?切っちゃっていいのかよ」
「…翔には関係ない」
 冷たく切り捨てられ、彼は言葉を詰まらせた。スッと芹花は俺を視界から消すと、何もなかったかのように歩き出した。
「芹花、かけなおせよ。そうすれば誤解だってことがわかるから」
 それでも俺は芹花にくらいつくようにして話しかける。芹花はただ黙って歩き続ける。まるで俺がそこにいないかのように。
「久子さんは親友なんだろう。信じてやれよ!」
 声を荒げると芹花がピタリと歩きを止めた。
「親友は裏切ったりしないわ」
「だから信じてやれよ。今の電話だって誤解をとこうとしたのかもしれないだろう?」
 芹花が冷めた目で俺を見上げる。
「距離には勝てないのよ」
 そして今まで何度も言った言葉を芹花は言う。俺には理解できない、芹花の思考だった。
「そんなことないだろ、2人の思いが強ければ距離になんて負けないはずだ」
「無駄だわ。距離は全てを変える。2人の関係も2人の性格さえも…お互いが知らない人間になってしまうのよ」
 芹花は距離に勝てないって信じている。この考えが絶対だと思っている。俺はそうだとは思わない。たとえどんなに離れていても変わらない思いはある。俺だって昔と変わらずに芹花が好きだ。この思いこそ芹花の考えをぶち壊す証明だった。
「俺は昔から芹花のことが好きだ。芹花が引っ越してからも、ずっと芹花のことが好きだった。俺の気持ちは距離になんか負けなかった」
「聞きたくない!」
 俺の思いに芹花は耳をふさいだ。
「人は距離に勝てるんだ。思いが強ければ負けることなんかない!」
 俺は構わず叫び続けた。芹花の中にある壁を崩したかった。芹花の中にある傷を癒してあげたかった。
「でも人は変わるのよ。距離は時間は人を変えてしまうの。私の知っている人は昔の人で今の人ではないのよ!昔の人を好きでいても意味なんてない!」
 芹花は今まで押し隠していた気持ちを爆発させたかのように話し始めた。先ほどの冷たさとは打って変わって瞳が真っ赤に燃えている。
「翔だって変わったじゃない。強くなった、たくましくなった、もう私の助けがいらなくなった。昔は私がいなくちゃ駄目だったのに、どうしてそんなに変わったの?私がいなくなったから?それとも変わりの人が見つかったから?」
 芹花の手が体が一目でわかるぐらいに震えている。瞳に溢れるほどの思いを込めて俺を見つめてくる。
「ずるいよ、翔。私はそんなに早く変われない。翔がいない生活になじめない。それなのに翔は私がいなくなって1ヵ月もたたないうちに私が必要じゃなくなったって手紙に書いたじゃない」
 芹花が俺を責める。芹花を必要としなくなった俺を責めている。俺は自分が芹花のお荷物だと思っていた。だから俺は芹花を安心させたくて芹花が引っ越してすぐに手紙に書いたんだ。『俺はもう大丈夫だよ』と。
 それは俺の精一杯の強がりだったんだ。芹花を心配させないための嘘だった。
「それを見て悲しかった。私は側にいなければ翔から必要とされない人間だって、引っ越した私はもういらないんだって…全部私の思い込みだったのよ…翔は私がいなくても生きていけるのよ。自分はなんて思いあがった人間だったんだろう、最低よ!」
 芹花は自分を責めた。俺を守る事で優越感を抱いていた自分を責めている。俺は芹花が俺に手紙を出さなかったわけがやっとわかった。芹花は自分が恥ずかしかった、そして手紙を出しても意味がないと思ったんだ。だって俺は、もう芹花の知っている俺ではなかったから…
「この町に戻ってきたくなかった。私にはもう居場所がないもの。翔の隣りには唯ちゃんがいて、私はもういらないんだから。翔をここまで強くしたのは唯ちゃんだわ。唯ちゃんは私と違って、本当に翔を思っているのね…」
 芹花の頬に一筋の涙が落ちる。芹花にとって俺や怜哉は他人同然なのだろう。昔の面影も名残もない、俺たちは変わってしまったんだ。芹花にとって、それが距離に勝てないってことなのだろう。
 芹花のこの頑なな考えは俺のせいだったんだ。俺の嘘が芹花を傷つけてしまった。俺は変わってなかったんだ。芹花が引っ越しても俺は強くなることが出来ず、芹花を求めていた。でも芹花を俺から解放してあげたかったから、芹花に俺は邪魔だと思ったから、俺は芹花の手を離したんだ。それが芹花を傷つけることになるなんて…
「俺は芹花のことが好きだよ」
 俺はいつのまに涙を流していた。あの時の嘘を悔やんでいるわけじゃない。あれは必要だった。お互いを縛らないためにあの嘘は必要だったんだ。だけどすれ違ってしまった気持ちが悲しかった。俺も芹花もお互いを思っていただけだったのに。
「…私も翔が好き。翔以外の人なんか考えられない」
 小さな声だったけど俺の耳に確かに届いた芹花の言葉は、俺を幸せに酔わせた。だけど、それは少し苦かった。
「でも昔には戻れない。翔の好きは、昔の翔の好きと違うもの。私だってもう翔を守れない、唯ちゃんには勝てないから…」
 今の好き、昔の好き、それは違うもの。昔は芹花に守ってもらいたい好き、今は芹花を守ってあげたい好き。正反対の気持ちを同じ好きでまとめることはできない。
 そして芹花も自分が俺を守る力がないことを知っている。芹花は唯に勝てない。それは俺の中にある漠然とした思いだった。唯以上に俺を癒してくれる人はいない。それが芹花であったとしてもだ。
 俺は芹花の守りを必要としていない。俺は芹花を守りたいと思ってるから。そして芹花はそんな俺を変わってしまった自分の知らない人だと言うのだ。
 芹花が止めていた足を動かし出す。それに合わせて俺もゆっくりと歩き出した。
 前には闇が広がっていた。決して開けることのない間、俺たちは今そこに突き進んでいるのだ。歩けば歩くほど闇に捕らわれていくような気がした。過ぎ去った距離を取り戻す術など何ひとつないのだ…



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