door-serika6





 映画が終わって、俺と芹花はバイトに直行するためその場で唯と怜哉と別れた。
 唯は映画が終わってもグズグズと泣いていて、一緒に帰る怜哉は恥ずかしそうにしていた。
 芹花は泣いた素振りなど見せずに平然とした顔でいる。あれは俺の見間違いだったのかと疑うほどだ。
「芹花さ…」
 トボトボと無言で歩いている途中、俺は意を決して芹花に話しかけた。
「芹花、映画見て泣いてたよな?」
 できるだけ明るく聞いたつもりだったが、芹花は難しい顔をして黙り込んでしまった。その目はどうして見てるのよと俺を非難していた。
「…芹花は本当は距離にも人の心は負けないって信じたいんじゃないのか?ただ信じられなくて虚勢を張っているだけなんだろう?」
 芹花のそんな視線に負けず、俺は自分の憶測をぶちまけた。すると芹花は嫌悪をあからさまに怒鳴りつけた。
「勝手なこと言わないで!」
 俺は芹花の剣幕に驚き、凍り付いてしまった。
「翔には私の気持ちがわかるわけないのよ。それなのに勝手なこと言わないでよね。余計なお世話なのよ、ほっといて!」
 固まったままの俺に芹花は矢継ぎ早に言葉を続ける。
「人はね距離には勝てないのよ。どう頑張ってもあがいても距離には勝てないのよ!」
 悲鳴のような芹花の叫びに俺は嫌な予感に捕らわれた。芹花のこの乱れよう、そして強くなっていく距離への敗北感、もしかしたら…
「芹花、恋人が浮気をしていなかったっていうのは、もしかしたら嘘じゃないのか?」
 芹花は図星を指されたかのように押し黙った。嬉しくないが俺の考えは当たっていたようだ。
 すると芹花はクスリと小さく笑った。芹花らしくないその笑みに俺は顔をしかめた。
「嘘じゃないわ…嘘をついていたのは久子だったのよ」
「久子って…?」
 俺は1つの予想を抱きながら外れてくれと思いを込めて、恐る恐る芹花に尋ねた。
「浮気の相手は久子だったのよ」
 俺は強く目をつぶった。やっぱりという思いが強かった。最悪のケースになってしまった。
「2人で私をだましてたのよ。私が遠くにいることをいいことに、2人で好き勝手にやってたんだわ。やっぱり距離には勝てないのよ…」
 話している最中に芹花は泣き出してしまった。それは苦しさを押し込めるような泣き方だった。声を殺し、息を飲み込み、ただ静かに泣いている。
「芹花」
 俺は震える芹花の細い肩を抱きしめたい衝動に駆られた。弱さを隠しもせず泣いている芹花を見るのは初めてだった。守ってあげたい、芹花を苦しみから助けてあげたいという思いが胸の底から溢れてくる。
 俺が恐る恐る芹花の肩に触れても、芹花は嫌がらなかった。思い切って俺が芹花の肩を抱いても芹花は身じろぎもしなかった。
 それは俺に身を任せたというよりも、俺のことを気にしないといったほうが正しかった。それに構わず俺は芹花の肩を抱きしめ続けた。意味のない行為かも知れないけど、そうせずにはいられなかった。
 …何だろう?昔にもこんなことがあったような気がする。
 芹花を抱きしめていると、ふと懐かしさを感じた。俺の記憶の中に、今と似たような場面があるはずだった。俺はめまぐるしく自分の記憶を探り回す。
『えーんえーん』
 すると幼い芹花の泣きじゃくっている声が聞こえてきた。
『どうしたの?芹花ちゃん』
『犬が怖くて通れないの』
 見ると道の真ん中にどでかい犬が通せんぼしていた。
『大丈夫だよ、あの犬おとなしいもん』
 その犬は近所でも有名で、いつも道の真ん中を占領している犬だった。でも性格はおとなしく、穏やかな犬だから、襲ってきはしないと俺は知っていた。
『怖いよ〜』
 それでも芹花は泣きやまない。
『俺が手をつないであげるよ』
 俺が手を差し出すと、芹花は潤んだ目をキョトンとさせた。
『一緒に通ってくれるの?』
『うん』
『絶対、手を離さない?』
『離さないよ、絶対』
 俺が大きく頷くと、芹花は俺の手に手を重ねた。
『じゃあ、行くよ!』
 声が少し震えてしまった。こんなに大きな犬じゃあ、たとえおとなしいとわかっていてもやっぱり怖い。
 俺の緊張が伝わったのか芹花がギュッと俺の手を握り締めてきた。不安そうに瞳が揺れている。
『へっちゃらさ!』
 俺は無理矢理心を奮い立たせると、芹花に笑って見せた。たぶん顔は引きつっていたと思うけれど。
 そして犬に飛び込んでいったんだ。すごく怖かったけど、芹花のためだったから、俺が芹花を守らなくちゃいけないと思ったから。
 俺たちが犬の脇を通った瞬間、犬が寝返りをうった。
『キャッ!』
 芹花が悲鳴をあげて俺に抱きついてきて、ワンワンと泣き出してしまった。
『大丈夫だよ、芹花ちゃん。寝返りをうっただけだよ』
 安心させようとするが、芹花は頭を振って俺から離れようとしない。俺はすっかり困ってしまって、ただその場に立ち尽くしてしまった。
 そして俺は芹花が泣きやむまで、ずっと芹花を抱きしめ続けていたんだっけ…
 …そっか、そんなこともあったな。
 俺はすっかり忘れていた昔のことを思い出して懐かしくなった。よく考えてみると今も昔もあまり自分は変わってなかった。たいして守れないくせして守りたいって気持ちだけは一人前だ。
 そして昔の思いも変わってなかった。今でも芹花が好きだ。今ならはっきりわかる。昔を思い出して、今の気持ちと何も変わっていないことに気づかされた。
「そんな奴、別れちまえよ」
 ふと口をついて出た言葉。芹花の肩を強く抱きしめると、芹花がビクリと震えた。今更、俺に肩を抱かれていることに気づいたのだろうか。
 俺はショックを受けながらも芹花の肩を離さず、さっきよりも強く引き寄せる。
「俺が、俺が芹花を守ってやるよ」
 耳元に囁くように、だが強く芹花に思いを打ち明けると、芹花がサッと身を引いた。俺から守るように、自分の体を抱きしめる。
「…何?」
 わけがわからないという感じで芹花は困惑した表情を浮かべている。
「俺は芹花が好きだ。そんな奴に芹花を任せてなんかおけないよ」
 真剣の俺の気持ちを伝えると、芹花は信じられないような顔をする。
「唯ちゃんのことが好きなんでしょう?」
「…唯には恋愛感情を持ってない。唯は近すぎるんだ。時々、自分自身のような錯覚を覚える」
 俺の唯への曖昧な気持ちを口で表現するのは難しい。俺自身でさえ手に余っているのに芹花にはどうやったらこの思いが伝えられるのだろう。
 俺は胸に突っかかった思いを芹花に伝えることが出来なくて、もどかしかった。
「俺は芹花が好きなんだよ。芹花を守りたいんだ!」
 これだけは俺の本当の気持ち。胸に突っかかることなく伝えられる精一杯の思いだ。
 俺の思いのこもった瞳から芹花は顔をそむけた。俺は芹花に拒否されたような気分になって暗くなった思いを振り切って、芹花の答えをジッと待った。
「…ごめんなさい」
 やがてか細い声が俺の耳に届く。
「ごめんなさい」
 繰り返し芹花が謝る。俺は弱々しく頭を振った。芹花に謝って欲しくなかった。芹花は悪くないのだから。
「ごめん、翔」
 それでも芹花は謝るのをやめなかった。目に涙をためて、決して俺と視線をあわせずに芹花は謝り続ける。
「芹花、やめてくれよ。芹花が悪いんじゃないんだ」
 とめても芹花は頭を振るばかりだ。俺はいたたまれなくなって、歩き出した。その後を少し遅れて芹花が追ってくる。背後からでも芹花が泣くのをこらえているのがわかる。
 泣きたいのはこっちのほうだった。昔の思いが今も変わらずに気づいた途端にふられてしまうなんて。ふられてもなお、諦めることなんかできないなんて。
 だって幼い頃からの大切な恋だったんだ。唯一好きになった人だったのに、今でもこんなに好きなのに、どうしたら諦めることができるんだよ。
 俺は苦い思いを噛み締めて、歩き続けた。振り向きたくて、でも振り向けなくて、ムシャクシャとした思いを抱えながら俺はゆっくりと歩く。
 決して芹花と距離をあけないように。こんなにも『距離』を怖がる芹花だから…



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