door-serika4
周りの視線がとても痛い。みんなが俺を見てクスクスと笑っている。原因は芹花にひっぱたかれた頬が赤く腫れたせいだった。頬ってものは、こんなにも見事にプックリ腫れるものなのかと感心したぐらいだ。
朝、怜哉が俺を見て言った言葉が、「記念写真撮ろうぜ」だもんな。これは歴史に残るぜ。
「翔、あんまり近づかないでくれよ」
あんなに楽しそうに頬をつっついていた怜哉も電車に乗ると途端に俺を遠ざけようとしやがる。ひどいぜ、怜哉…俺でも立場が違えばそうするけどな…
好奇心たっぷりな電車の乗車客の視線に耐え、やっと駅に着いたと思ったら、今度は学生が俺の頬を見て笑ってるよ。どこにいっても今日は笑われるんだな。俺は諦め、堂々と駅の改札口を抜ける。笑いたいだけ笑ってくれ。
しかし、他人のふりをして俺の2、3歩後をついてくる怜哉だけは許せなかった。
「怜哉、どうしたんだよ。遅いじゃないか?」
わざとらしく大声を上げて、満面の笑みを浮かべ怜哉に近づく。
ギョッとして逃げようとする怜哉を逃すものかと肩がガッチリつかむ。まわりの反応が良くなったぜ。みんな怜哉のことも笑ってるんだ。ざまあみやがれってんだ。
怜哉はしばらく抵抗を続けたが、諦めて乾いた笑いを上げ俺の肩がガッチリ掴み返してくる。
「さあ唯ちゃんのところへ行こうぜ!」
どうやら唯を巻き添えにしようとしているらしい。甘いぜ、怜哉。唯がこんなこと気にするわけがなかろう。
「あれ、翔ちゃんどうしたの?」
案の定、唯はまわりを気にすることなく、俺に近寄ってくる。
「痛い?」
おずおずと腫れた頬に触れてくる。ただ1人心配してくれる唯に俺はジーンと感動した。
「大丈夫だよ、唯」
思わず唯の頭をなでてしまう。笑い声が大きくなったが気にしないことにする。
「バカ、頬を腫らしてデレデレした顔をするな。思い切り笑われてるぞ」
怜哉は恥ずかしそうに周りに視線を走らせている。1人で勝手に気にしていろ、俺はちっとも気にならん。
すっかり開き直ってしまった俺は怜哉をほうって、唯と歩き出す。
「翔ちゃん、そのほっぺたどうしたの?」
「あ?ああ…ひっぱたかれたんだ」
俺は答えを濁して笑ってごまかそうとしたが、
「誰に?」
唯に突っ込まれて笑いをピタリと止めた。
「…」
ここで芹花にひっぱたかれたと言うのはたやすい。だが、理由を聞かれた場合、どう説明すればいいのだろう。俺自身も芹花にひっぱたかれた理由がよくわからないというのに。
それに、これは唯に言っていいことなのか。唯に芹花の恋人の浮気のことを話していいのだろうか。
「私には言えないの?」
俺の沈黙をどうとったのか、唯はつぶやき顔を伏せる。
「そんなわけじゃないけど…」
俺が言いよどんでいると、
「…芹花ちゃんなんでしょう?」
唯があっさりと正解を言い当てた。
「何となくわかっちゃった」
唯は悲しそうに微笑む。
「翔ちゃんのことなら鈍い私でも鋭くなっちゃうんだよ」
にっこりと笑って俺を見る唯はやっぱり悲しそうで、俺は気休めでも何でもいいから唯を元気付けたいと思った。
「…」
だが唯が何故悲しんでいるのかもわからない俺には何を言ってあげればいいのかわからずに口をパクパク動かすだけだった。
「翔ちゃんは芹花ちゃんのことが好きなの?」
いきなり聞かれて俺はパクパク動かしていた口を大きく開けたまま固まってしまった。
俺のそんなとんちんかんな顔にまわりの笑いは高まるが、俺にはそれを気にしている余裕も、ここが学校の通学路のど真ん中とか、多くの学生が通学している真っ最中とか考える余裕なんかもまるっきりなく、ただ唯を見ていた。
唯はかわいそうなほど思い詰めた顔で俺の顔を見上げている。瞳がかすかに震えているのは俺の返事が怖いからなのか。
「…芹花は友達だよ」
そんな唯を見て、俺の口から自然と言葉が発せられた。それは唯を安心させる気休めなんかではない俺の本心で、芹花は友達でそれ以上の感情は持っていなかった。
俺の返事を聞くと唯の顔にパァーと明るい笑みが広がる。
「良かった…」
笑ったかと思うと、今度は半べそをかきはじめた。
「おい、唯!」
「翔ちゃんと芹花ちゃんがつきあってたらどうしようかと思った」
まわりのあからさまに俺たちを見てくる視線を気にせず、唯がグズグズと泣く。さすがにこれは耐えられない。俺は唯を引っ張ってその場を立ち去ろうとするが、
「本当に本当に良かったよ〜!」
唯はガバッと俺に抱きついてきた。そしてそのまま俺の胸に顔をうずめて本格的に泣き始めた。
「最近ずっと芹花ちゃんと一緒だったから心配したんだよ〜。翔ちゃんのバカ、バカ!」
その声はまわりに十分に聞こえる大きさで、まわりはニヤニヤと俺たちを見てくる。中には「女の子を泣かしちゃ駄目だろ!」なんて言うひやかしの声まで聞こえてくる始末だ。
そりゃあ唯は俺の胸に顔をうずめているから顔が見えなくていいかもしれないけど、俺なんか顔丸見えで頬が真っ赤に腫れあがってるんだ。しかも、俺ってどう見ても悪者。早くこの場所から立ち去りたいよ。
「唯、それは誤解だよ。俺は芹花とつきあってないし、芹花のことを特別に思ってるわけじゃないんだ。だから泣きやんでくれよ〜!」
最後のほうは俺も泣きべそをかいていた。
「頼むよ、唯〜」
だが必死に哀願しても唯は泣きやまないし、俺を抱きしめる力も弱まらない。
俺は途方に暮れて空を仰ぎ見ると、ふと1人の少女が憤怒の顔でズンズンとこちらに向かってくるのが見えた。
…それは芹花だった。
「唯ちゃんを泣かすんじゃな〜い!」
俺が唯に拘束されていることをいいことに芹花は俺の顎にアッパーカットをぶちかましてきた。俺の体は唯に固定されていたのでふっとぶこともできず、顔だけが変な方向に首の筋がピーンと突っ張った。
「グフォッ!」
「翔ちゃん!」
俺の顔がピクピクと痙攣しているのを見て唯が心配そうにガクガクと体を揺らす。
「大丈夫?大丈夫?」
唯、頼むから体を揺らさないでくれ…
「唯ちゃん、体を揺らしちゃ駄目だよ!」
俺が意識を失う寸前、これが限界だと思ったのか今まで俺たちを遠巻きに眺めていた怜哉が唯を止めてくれた。
唯はハッとなって俺の体を離すと俺はヘニャヘニャと地面に崩れ落ちた。死ぬかと思った…
「翔が悪いのよ、唯ちゃんを泣かせたんだから」
芹花は謝る気どころか自分は正しいと悪気もなく立っている。だからって、いきなりアッパーカットはやり過ぎなんじゃ…
「唯ちゃんを泣かせたって、それなら芹花だって責任あるんじゃないの?翔を殴ったのは芹花なんだろ?」
怜哉が溜息をつき、芹花をにらむ。少し怒っているのは、俺のためではなく自分が俺たちの痴話喧嘩に巻き込まれたせいだろう。
「最近、翔と芹花の仲が妙に良いから、唯ちゃんがそれを気にしていたんだよ。そんな時に翔が頬を真っ赤に腫らしてるから唯ちゃんが誤解したんだろう?」
「そうだったの…」
怜哉から話を聞いて芹花は強気な態度を崩し、反省した面持ちになる。
「ごめんね、唯ちゃん。でも私と翔は何でもないのよ」
「ううん、私の誤解だから」
芹花が唯に謝ると、唯は頭を振る。話は俺を無視して進んでいた。芹花、俺に言う言葉はないのか。
「それに私にはとっても素敵な恋人がいるんだから!」
ポンと芹花が両手を合わせてにっこりと微笑むと、
「えー、そうなの?」
「初耳だぞ、芹花!」
唯と怜哉が驚きの声を上げる。
「実は昨日、翔に恋人の相談をしてたのよ。翔ったら私たちのことろくに知らないくせに偉そうなこと言うんだもの、むかついてひっぱたいちゃった」
芹花の事情を聞いて唯と怜哉は納得したように頷いた。
「翔ちゃん。知ったようなこと言っちゃ駄目だよ。恋人には恋人同士の事情っていうものがあるんだから」
「そういうことだったら翔が悪いよな。かばいようもないなあ」
冷たい言葉を残し、唯と怜哉は地面に突っ伏している俺を置いて学校へと歩いていく。
「そ、そんな…」
俺にはどうしてこんな展開になってしまったのかわからない。ただわかったのは芹花にまんまとしてやられたってことだ。
「ごめんね、翔」
芹花はぺロッと舌を出し、俺に手を差し出す。俺は芹花の可愛い仕草を見ると憎めなくなってしまった。
「いいよ、別に…ところで浮気のことはどうしたんだよ?」
芹花の手を取って立ち上がり、小声で囁くように聞くと、
「久子に聞いたら嘘って事がわかったの」
芹花は嬉しそうな顔で俺に報告する。
「そっか…」
俺はほっとしたような気が抜けたような、とにかく大事にならなくて良かったと思った。芹花の悲しむ顔は見たくないからな。
「ありがとう、翔。翔に本当かどうか確かめろって言われなければ、きっと彼を信じられずに別れていたと思うわ」
芹花の感謝の言葉を聞いて俺は胸の奥からジワジワと安堵の思いが広がってきた。改めて強く芹花が悲しむ思いをしなくてすんで良かったと思った。
「ありがとう」
芹花はもう一度礼を言って、先に行ってしまった唯と怜哉の元へ駆け出した。
俺は元気よく走っていく芹花の背中を見ながら、芹花の役に立ったという誇らしさと感動を感じた。昔は守られてばっかりだったから、その恩返しがしたかった。
その変わり芹花からもらった代償はとても高くついたけれど…
「いてて…」
芹花のアッパーカットは昨日ひっぱたかれた頬と同じ場所だった。これは狙ってやったんだろうな。
しかし、この威力は何なんだよ。そこら辺の男よりも強いぞ。俺は感心と恐怖とが混ざった視線を芹花に送った。