door-serika2





 芹花に借りた金で窓ガラスの弁償代を担任に渡し、窓ガラスを割った件は親に知られることなく解決した。
 それでも親に深夜のバイトを反対され、結局小言を聞かされるはめになったのだが、窓ガラスを割ったのとバイトを始めるとでは小言を聞くことになる時間も責められる度合いもだいぶ違うだろう。俺は芹花に改めて感謝した。
 バイト帰り、何気ない話で盛り上がると芹花が前に住んでいた町のことが話題になった。
 芹花が住んでいた町の様子、学校の出来事、先生の笑い話、そして友人の話になると芹花の口から「久子(ひさこ)」という名前が頻繁に現れるようになった。
「久子っていう子と仲が良かったんだな」
「久子は私の親友だったの。女の子らしい性格で守ってあげたくなるような子だったんだ。久子も私に懐いてくれて、私たちいつも一緒にいたんだから」
 芹花が嬉しそうに久子のことを話す姿を見て、俺は久子という子に少し嫉妬した。
 俺の知らない芹花と過ごしていた子。芹花に親友だとまでいわれた子。久子の存在によって俺たちの間にある空白部分が浮かび上がってきたように感じる。今までは空白を気にすることもなく接して来た芹花が急に遠くなったような寂しさが胸に漂ってくる。
「芹花は相変わらず姉御肌なんだな」
 それでも芹花の性格は変わってない。弱い者を守る強さや優しさは芹花の中に今もある。変わったのは守る対象が俺から久子に移っただけだった。それは悔しいことだけど、俺はもう芹花に守られる必要もない。全ては昔のままではないんだ。
「そんなことないわよ、私でも弱さを見せる人がいるもの…」
 芹花の頬がほのかに赤く染まる。
「えっ、それってまさか?」
 いきなりの芹花の告白に俺は目を丸くした。芹花の照れくさそうな笑みは、俺の予想が当たっていることを肯定した。
 これは驚きだ。今さっき、昔と今が同じままな訳がないと理解したばかりだけど、芹花に恋人がいるなんて考えたこともなかった。
「私に恋人がいたら変かしら?」
 俺が腑に落ちない表情をしていたのか、芹花は目を細める。これは雷が落ちる一歩手前だ。
「そんなことないって、ただ驚いただけさ」
 俺は慌てて言い繕った。
「本当かしら?」
「本当だよ」
 俺は情けない声を出す。芹花の目が疑わしげに俺を見ていたからだ。
 確かに聞いた時は信じられなかったけど、芹花は美人だし面倒見も良いから群がる男どもなんてたくさんいそうだし、恋人がいても不思議ではない。
 俺が知っている芹花が小学校6年生だった事が、芹花に恋人がいるって言われてピーンとこなかった原因なんだろう。
「情けない声ださないの!」
「はい!」
 びしっとした芹花の声に俺の背筋がピーンと伸びる。それを見て芹花がおかしそうに笑う。俺たちの関係も昔とは違った良い友人関係が築けそうだ。
「良かったな、恋人ができて」
「ありがとう、翔」
 芹花が嬉しそうに微笑むのを見て、俺は心から芹花の恋を祝福した。芹花にはたくさん世話になったから幸せになってもらいたかった。俺と怜哉を守るために苦労させてきたからな。
「どんな奴なんだよ?守ってあげたくなるような奴か?」
「違うわよ。どちらかというと守ってくれるタイプかな。強くてたくましくて頼りになる人よ」
 芹花の恋人が守ってくれるタイプだなんて意外だった。てっきり反対のタイプだと思っていたのだが。
「翔とは正反対のタイプね」
 それを聞いて俺は妙に納得してしまった。俺みたいなタイプ、つまり守ってあげたくなるような男は芹花にとって恋人の対象にならないんだろう。芹花にとって守ってあげたい男は、守ってあげるだけの存在、そこから恋愛感情は生まれないんだ。
 そうなってしまったのは芹花に頼りすぎてしまった俺の責任かななんて思う。でも芹花には守ってくれる恋人が似合ってると思う。守りすぎて疲れたとき、そっと芹花を守ってくれる恋人が理想なんだろう。
「それじゃあ、俺の初恋は見事に砕け散ったわけか」
 俺はおどけたようなしぐさを見せる。芹花の恋人の話を聞いて、昔の俺の淡い恋が懐かしく思い出された。
「初恋?」
「俺の初恋は芹花だったんだぜ」
 芹花は驚いたように俺を見る。信じられないといった顔つきだ。
「芹花が引っ越すまでこの感情が恋って俺自身ハッキリわからなかったけどな」
 話しているうちに恥ずかしくなって俺は芹花から目をそらした。
 告げることもできなかった初恋を今更芹花に告げている。あの時苦しんでいた想いをこんなに軽く、だがはっきりと伝えることができるなんて、俺はこの偶然に感謝してる。
「…今は唯ちゃんが好きなんでしょう?」
 背後から芹花の声が聞こえる。少し声が震えて聞こえるような気がするのは風のせいだろうか。
「唯のことは好きだけど…芹花とは違うと思う…」
「歯切れが悪いわね」
 芹花は呆れたように眉を寄せる。
「唯ちゃんは翔のことが好きなのよ。はっきりしてあげなさいよね」
 唯が俺を好きなことは、芹花に言われなくても唯の行動を見てればわかる。でも俺は唯が好きなんだろうか…大切には思うけれど、可愛いとは思うけれど、これが恋なのかはわからない。
 俺は初恋しか知らない。芹花以外の人を好きになったことがない。芹花への恋だって拙いもので、気づいた時点で破れたような恋だった。俺は恋ってものを全然知らないんだ。恋をする余裕もなかったしな。
 暗く考えている俺に芹花は溜息をつく。
「唯ちゃんのこと考えてあげなさいよね」
 それだけ言って芹花はこの話題を終わらせた。俺はなんとも答えることができずに、ただ突っ立っていた。
「翔はバイト代を何に使うつもりなの?」
 前の重い雰囲気を取り払うように芹花が明るい口調で聞いてきた。
「俺は芹花に窓ガラスの弁償代の立て替えてくれた分を芹花に返す以外は考えてないけど」
「欲しいものとかないの?」
「…ないな」
「ふーん」
 芹花はそっけなく返事をすると、ズィッと身を乗り出してきた。どうやら俺の話を聞きたかったのではなく、自分の話を聞いて欲しかったようだ。
「私がバイトをしているのは彼に会いにいくためなの。お金をいっぱいためて彼に会いにいくんだ」
 にっこり笑う芹花の長い髪がふわりと風に舞い上がる。キラキラと輝くのは芹花の髪なのか、笑顔なのか。俺の胸の鼓動がどきどきと高鳴り出す。
「電話も毎日かけあってるのよ。羨ましいでしょう?」
 結局芹花はのろけ話をしたかったらしい。その姿は嫌味がなく、芹花の本当に幸せそうな様子に自分まで幸せになったように胸が暖かくなった。
 だが、このままのろけられるのも癪なので、俺は反撃に出た。
「電話?俺の時は手紙の返事すらくれなかったのにな」
 わざとらしくすねてみせると芹花が笑みをこぼす。俺も芹花に続いて笑い声を上げた。
 芹花が引っ越してから連絡をくれなかったことを昔は恨んでいた。自分は捨てられたのだとさえも思った。だけど今はこんな笑い話にもできる…その一方で今でも本気ですねたい気持ちもあるけど、今頃それを責めたって昔のことだ。
 今ではこうして芹花と笑いあえるのが嬉しい。昔だったらこんな風に笑いあうことはなかった。常に芹花に慰められていたような気がする。芹花が引っ越して良かった。引っ越したことによって芹花が幸せになって俺と芹花の関係が明るいものに変わって良かったって心から思うよ。
 優しい風が2人を包む。これからはこんな風のような関係を作っていけるような気がした。



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