MINE2





「…思い出した?」
 ぼくはもう1人のぼくにうなずく。
 そうだ、ぼくは昨日の学校帰りに車に跳ねられたんだ。
「もう時間がないんだよ」
 悲しそうにもう1人のぼくが言う。
「もっとやりたいことがあったけれど、もういいや。僕は還るよ」
 もう1人のぼくはぼくにうさぎを渡すとニコリと微笑む。
「君のやりたいことは何だったの?」
 もう1人のぼくがぼくに問う。
「君のやりたいことは?」
 ぼくはもう1人のぼくに問い返した。
「悪戯だよ」
 ニコリと笑いながらぼくは言う。
 ああ、そうか。学校内の悪戯は君だったのか。
「それで君は?」
 ぼくは…
 ぼくは何をやりたいんだろう。
「分からないの?」
「分からないよ」
「そう、分からないんだ」
「きっとぼくにはなかったんだ。やりたいことなんて…」
「本当に?本当にそう思うの?」
「…」
「なかったら君はこんなところにいないはずだよ。思い出しなよ、君がどうしてもやりたかったことを」
 ぼくは黙っていた。
 本当に分からなかった、ぼくがやりたいことを。
「時間はもうないんだよ。はやく見つけてよ」
 もう1人のぼくは泣いていた。
 はやくって言いながら。
「どうして泣くの?」
「君がやりたいことを忘れているからだよ」
「どうして君が泣くの?」
「君がぼくだからさ」
 何だか、よくわからない。
 もう1人のぼくが泣いている理由も、ぼくがここにいる理由も。
 やりたいことがないのにどうしてぼくはここにいるのだろう?
 それとも本当にあるの?
 ぼくがやりたいこと。
 その時うさぎの耳がピクリと動いた。
 うさぎ…
「そうか分かったよ」
 ぼくは分かった、自分のやりたいことを。
「本当?」
「うん、本当だよ」
 やっと分かった、自分のやりたかったことが。
 それは、ほんの些細なことで本当に小さなことで、今までぼくは見落としていたんだ。
「ぼく行かなくちゃ」
 ぼくはもう1人のぼくに背を向けて走り出した。
 彼女の大切なうさぎを抱きしめて。
 彼女のところへ…

 彼女は廊下にいた。
 教室に戻ろうとしていたのだろう。もうすぐ午後の授業がはじまる。そのせいか、周りには誰もいなかった。
 ぼくと彼女だけしかいない。
 ドクン、ドクン。
 心臓の音が大きくなる。
 ぼくは遠ざかっていく彼女の背中をジッと見た。穴が開くほど見る。それでも彼女はぼくに気付きはしない。
 今までと同じこと。
 でも今のぼくはそれで引き下がるつもりはない。
 ぼくはぼくのやりたいことがわかったから。
 ものすごくバカバカしいこと。でも、ものすごく勇気がいること。
 今持っている全ての勇気を使ってしまおう。もう、とっておく必要もないから。
 ぼくはお腹が破裂しそうなほど息を吸った。
「綴(つづり)さんっ!」
 息と共に声を吐き出す。
 思ったよりも大きな声になってしまった。
 振り向いた彼女もびっくりしている。
 顔が赤くなる、いや耳もだ。
 体中が赤くなっている。
 どうしよう、頭がパニックを起こしている。
「あっ!うさぎ」
 ぼくの腕の中にいるうさぎに彼女は気付く。
「あっ」
 今まで忘れていた、うさぎの存在。
 ぼくは彼女にうさぎを渡す。
 彼女は嬉しそうにうさぎを抱きしめる。
「昼休みにうさぎがいなくなっちゃって今まで必死に探していたの。良かった、水谷(みずたに)くんが見つけてくれたんだね」
 ぼくは彼女のその言葉を聞いて、ちょっぴり罪悪感を抱いた。
 もともと、このうさぎを誘拐した犯人はもう1人のぼくなのに。
「ありがとう、水谷くん」
 彼女がほほ笑む。
 その笑顔はぼくだけに向けられたものだった。
 大感動だ。
 もう全てを失ってもいいくらい。
 すごく、すごく嬉しい。
「水谷くん、そろそろ教室戻ろう。授業はじまっちゃうよ」
 彼女は背を向け、教室へと急ぐ。
「まっ、待って!」
 まだ聞いてない。
 まだぼくのやりたいことやってない。
 彼女が顔だけ振り返る。
 僕がやりたいこと。
 車にひかれる直前、頭に浮かんだ疑問。
「1つ聞いていい?」
 ぼくが聞くと彼女はコクリと頷く。
「もし…もしもぼくが綴さんの目の前から消えちゃったら、綴さん、悲しんでくれる…?」
 彼女の顔が一瞬歪んだ。
 唐突な質問に驚いているのか、それとも嫌だったのか。
「やだ、そんな質問しないでよ」
 彼女が困ったように言う。
「ごめん」
「ううん、謝らないで。別に質問が嫌だったわけじゃないの」
 彼女が慌てて言う。
 少し頬を赤く染め、彼女は一呼吸おいて言った。
「だって水谷くん。当たり前のこと聞くんだもん」
「えっ?」
「そんなの悲しむに決まっているじゃない」
 そう言い彼女は照れてしまい、前を向いてしまった。
 悲しんでくれる?
 ぼくはさっきの彼女の言葉を何度も何度も頭の中で繰り返した。
 悲しむって彼女は言ってくれた。
 一気に体中の熱い思いが膨れ上がった。
 目頭が熱くなる。
 どうしようもなくなる。
 もういい。もう十分だ。彼女の言葉がたとえ慰めであっても、もうこれで幸せだから。
 なにもない。やり残したことは、もうなにもないから。
 涙でかすんだ彼女の背中がゆっくりと薄れていく。
 ぼくも還るよ、ぼくがいる所へ。新しい出発点へ。
 薄れゆく景色の中、彼女がゆっくりと振り返るのを見た。
「水谷くん…」



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