誓いの未来へ22





第7章

 魔王はかつてにない恐怖におびえていた。
 命を石に変えられ、洞窟の奥底に封印されても、恐れることがなかった魔王が震えている。
 それは、こちらに向かってくる2人が原因だった。
 細剣の呪いを打ち破り、真っ直ぐに駆けて来る2人。魔王はこれほどの強さを持つ人間を知らなかった。
 挑んでくる人間は誰もが、細剣の呪いを恐れた。中には、勇気を振り絞り細剣の効力を発揮することの出来る人間もいたが、その効力も1度きりのことだ。魔王にたどり着くよりもはやく、細剣を使用し、力尽きるのが常だった。
 しかし、この2人は違う。互いの命をすり減らし、何度でも魔王に立ち向かってくるだろう。魔王を唯一、倒すことの出来る細剣を使って。
『ダガ、ショウメツスルワケニハイカナイ』
 魔王は、封印された時に受けた、屈辱を思い出し、身を奮い立たせた。
『ナガネンノフッカツノユメヲ、アキラメラレルモノカ』
 消滅する覚悟を背負い、魔王は、復活するための最後の賭けに出た。
 消滅か、復活か。後がなくなった魔王は、赤い波動をギラギラと輝かせ、2人が来るのを待った。

 そこは、赤い波動で満たされていた。
 中心に赤の波動を濃縮したような真紅の塊が1つ、浮かんでいる。シェルクは、塊に魔王の意思を感じた。
 カイルとシェルクはやっとたどり着いた魔王の前で、驚きに満ちた表情で立ち尽くしている。
「…これが魔王か?」
 シェルクやイルキスの赤い波動に比べられないくらいの波動。そして禍々しい狂気に彩られた赤。
 2人は圧倒され、魔王から目を逸らすことができない。
「キタカ、ニンゲモドモヨ」
 直接頭に叩きこまれた魔王の意思に、カイルは心臓を鷲づかみにされたような痛みを感じた。
 こちらの都合に構わずに勝手に意思が送り込まれるのは、体の負担になるらしい。
 頭がガンガンするし、何より畏怖感で気力がそがれる。
「カイル!」
 魔王を見上げたまま固まっているカイルの手をシェルクは、そっと握りしめる。
 その手から、不思議と力が込み上げくる。カイルが動かせなかった視線をシェルクに向けると、シェルクは力強く微笑んでいた。
 魔王の強烈な波動を目の前にしながら、シェルクは動じていない。魔王に操られていた時に抵抗力がついたのかは、わからないが、カイルは頼もしく感じた。
 カイルはシェルクの手を握り返し、頷く。
 言葉を交わすことなく、2人は手を離し、戦いの構えをとった。
「行くぞっ!!」
 カイルは叫び、真っ直ぐに真紅の塊に向かう。あの塊が、魔王の弱点だと睨んだ。
 走るカイルの背中を見送り、シェルクはすぐさま呪文の詠唱に入る。カイルの体が白い光に包まれたのは、身を軽くする呪文のおかげだ。
 走る中、カイルはシェルクの呪文の加護を確認し、剣を抜き、真紅の塊目掛けて跳躍する。
「はっ!」
 宙に浮かぶ真紅の塊は、カイルの身長の倍ぐらいの高さにある。だが、カイルは呪文の効力も手伝い、軽々と真紅の塊を捉える。
 上段から、全体重をこめて振り下ろした剣を塊は、弾力をもって弾き返す。
「カイル!!」
 弾き返され、無防備に地面に落ちそうなカイルに、シェルクは口早に呪文を唱える。
 守りの呪文をクッションにカイルは、怪我1つなく地面に背中から落ちた。
 おでこの汗を拭いながら、安堵の息をつくシェルクに、カイルが目で感謝の意を現した。
「もう!気をつけてよ!!」
 シェルクの忠告も聞かずに、カイルは再び真紅の塊に立ち向かっていく。
 あの手この手と、がむしゃらにカイルは魔王に向かっていくが、どれも通用することはなかった。シェルクの呪文のおかげで、大怪我は免れているものの、こちらの不利は変わらない。
「くっ!駄目か…」
 幾度目かの攻撃もはね返され、カイルは地面に着地する。
 どんな手を使っても、魔王に全く通用しない。真紅の塊が魔王の核だとわかっているのだが、どうやってもそれを、かすり傷すら負わせることが出来ない。
「どうすれば!?」
 焦るカイルは、手に握る剣を見下ろす。サルフィスにもらったばかりの剣は、魔王との戦いでボロボロになってしまっている。カイルの力量の差もあるが、この剣も魔王に傷がつけられない要素の一つだった。
「やっぱり、細剣を使うしかないのか」
 カイルは、後方で呪文の援護をしてくれているシェルクに振り返った。彼が両手で抱くようにして持っている細剣を見て、顔をしかめる。
 出来れば、細剣は使いたくない。最後の、本当に最後の手段として考えていた。
「俺たちの力だけでは、どうしようもないということか」
 無念そうにカイルは息を吐く。そして、シェルクの元へ行こうとして、
「ドウシタ?ソレデハ、ワレハタオセナイゾ」
 突然、頭の中に魔王の意思が殴りこまれ、その痛みに肩膝をついた。
「ソノイマワシキケンヲ、ツカワネバ、タオスコトハデキマイ!!」
 今まで、黙ってカイルの攻撃を受け流していた魔王が突然声を荒げる。
 挑発するかのような言葉にシェルクが決意したように動きはじめる。
「シェルク!」
 危険だ!と止めようとして、カイルの頭の中が不意に赤く染まった。
 赤い波動が一気にカイルの体の中を侵し出したのだ。
「ぐわあぁ〜!!」
 カイルの背が弓なりにのけぞる。あまりの痛みにカイルは声にならない叫び声をあげる。
「カイル!!」
 カイルの異変にシェルクがカイルに駆けつける。
 そして、魔王に近づき、
「コノトキヲ、マッテイタゾ!!」
 範囲内に入ったシェルクに襲いかかるべく、魔王は全ての波動を核に集結し、そのままシェルクの体にぶつかった。
「!!!」
 シェルクは自分に何が起きたのかわからないまま、横殴りの衝撃に耐え切れず、吹っ飛んだ。
「シェルク!」
 赤い波動が体の中から抜け出ると、カイルの痛みは嘘のように引いた。
 そして、目の前で倒れるシェルクに近づき、
「シェルク!?」
 シェルクの赤い瞳に驚愕の目を見開く。
「やっと、手に入れたぞ。この体を!!」
 呆然と立ちつくすカイルを無視して、シェルクは自分の手を見つめ、震えている。
「はははははははは!!!」
 立ち上がり、狂ったように高笑いをするシェルク。カイルは、目の前に立つのは、シェルクではないと確信していた。
 赤い瞳、そして体から漏れ出る禍々しい波動。
「魔王…」
 絶望したように呟くカイルに、魔王はやっとカイルの存在に気づいたように瞳を向ける。
「こう上手くいくとは思わなかったぞ。我の波動、意思全てを終結して、この者の体を乗っ取る。これで、我は完全に復活した」
 にやりと笑い、魔王はシェルクの服のポケットから、秘石を取り出す。
「そして、これが我の命、これを取り組めば…」
 魔王が秘石を握りつぶすと、石の欠片が波動に取り込まれ、ゆっくりとシェルクの体へと染み込んでいった。
「これで完璧だ」
 魔王は長年を費やした野望が今叶ったことに歓喜で身を震わせた。憎き人間に洞窟に封印されてから、体を取り戻し、復讐することだけを夢見てきた。それが、やっと成就されるのだ。
「シェルクを返せ!」
 前よりも格段に力が上がった魔王に屈指もせず、カイルが怒りを瞳に宿らす。
 魔王は完全に復活した自分を真っ直ぐに見つめ返す瞳に驚き、そして興味を抱いた。
「面白い。我を倒そうと言うのか」
 カイルは自分を脅かした存在でもある。殺すのは簡単だが、少しは遊んでやるのもいいかもしれない。
 魔王と真正面に対峙してもカイルの闘争心は燃え上がるばかりだ。だが、感情とは裏腹に、カイルには魔王を倒せる手段は何一つなかった。
 そもそも、魔王といっても体はシェルクだ。傷をつけることすら、カイルに出来るわけがない。
 睨みあったまま、時間だけが過ぎていく。
 魔王は向かってこないカイルに飽き、全身の力を抜いた。
「愛しい者の体には傷をつけることは出来ないか…まあ、向かってきても傷つけられないのは、同じこと」
 魔王は、カイルとシェルクの関係を知り、含み笑いをもらす。その笑みにカイルの頭にカッと血が昇るが、魔王はそれを静めるように手を振る。
「おまえは人間にしては、力を持っている。剣の腕、咄嗟の判断力、そして何より、深い情を持ち、その思いを貫く強い心…」
 話の方向性が変わり、カイルは魔王が何を言いたいのかわからず、眉をひそめる。
 魔王はチラリとカイルを見つめ、
「どうだ、我の配下にならないか」
 強者の瞳でカイルに微笑みかける。
 カイルは驚き、正気かと魔王を見つめ返す。だが、魔王は本気のようだ。微笑んだまま、カイルの答えを待っている。
「断る!」
 キッパリと断られ、魔王は愉快そうに笑い声をあげる。
「俺はシェルク以外に誓いをたてるつもりはない!」
「だからこそ、欲しいのだ」
 傲慢な支配者の身勝手な言葉にカイルは怒りで身を震わせる。
「欲望は力付くでかなえる。それこそが我の楽しみ」
 狂気をはらんだ真紅の瞳がゆらりと動くと、波動も合わせてうごめく。まるで誘われているようで、カイルは身を強張らせた。
 この誘惑に負けてはならない。彼だって必死に戦っているのだから。
「悪いが、そうはならない」
 不敵に笑い、カイルは剣を構える。
「悪あがきは我の好みだ」
 眉を上げ、魔王は愉快そうに片手をカイルに突き出す。赤い波動が掌に集まり出す。
 カイルはシェルクに攻撃された赤い波動の威力を思い出し、唾を飲み込む。あれをくらって、生きていられるだろうか。
 だが、耐えるしかない。
 カイルは意を決し、剣を投げ捨てた。
「!!」
 カイルの行動に魔王が目を見張る。自殺行為だ。
「こい!魔王。その一撃耐えてみせる!!」
 カイルは気合を入れ、全身に力を込めた。
「いいだろう。我の一撃をくらうがいい!!」
 魔王はカイルの強さに敬意を表し、全波動を掌に集結する。そして、それはカイルの体を超える大きさまで膨れ上がった。
「いくぞ!!」
 魔王が波動を解き放つと、それは真っ直ぐとカイルの体を包みこんだ。
「!!!!!」
 赤い波動に身を包まれながらも、カイルは微動せず立ち続ける。衝撃で全身がしびれ、痛みすらも遠い。失いかける意識を必死に繋ぎとめ、カイルはシェルクの片手を見た。
 その片手は、細剣をしっかりと握り締めている。
「これで終わりだ。剣を投げ捨てなければ、もっと楽しい勝負ができただろうに」
 つまらなそうに瞳を閉じる魔王に、カイルは苦しみながら、口の端を吊り上げる。
「剣ならそこにある!」
 カイルは身をよじり、赤い波動を吹っ切ると、魔王めがけて一直線に飛び出した。
「シェルク!!」
 カイルの呼びかけに答え、シェルクの片手が上がる。
「ナニッ!?」
 魔王が恐怖に表情を凍らせる。
 自分の意思に反して、体が動き出しているのだ。
「僕はずっとこのチャンスを待っていたんだ!」
 魔王の体からシェルクの声が出る。
 シェルクは魔王が波動を放出して出来る隙を狙っていた。イルキスに教わった魔王を倒す唯一の方法を忠実に実行しようと企んでいたのだ。
「バカナッ!!ソノケンヲツカエバ、オマエハシヌノダゾ!!」
「僕は死なない!僕にはカイルがいる!!」
 シェルクは躊躇せず、自分の体に細剣を突き刺す。同時に、カイルの手が吸い込まれるようにシェルクの手を握りしめる。
「カイル…」
 カイルの手の温かさに包まれ、シェルクには不思議と痛みはなかった。
 ただ、カイルがいる。それだけで、全てがうまくいくんだ。
 今度こそ、魔王は細剣の効力に身を焼かれ、消滅しようとしていた。
 シェルクの体から、ほとばしる赤と白の波動が2人の間を揺らぐ。視界が遮られる中、シェルクとカイルはお互いを見つめ、微笑み合った。
 そして、赤い波動が消え、魔王が消滅すると、細剣は自分の役目を終えたように蒸発し、跡形もなく消えてしまった。
 2人は、それに気づかずに、見つめ合ったまま動かない。その表情は、1つのことをやり遂げた満足感と、これから始まる未来への幸せの予感に満ち溢れていた。
 繋がれた手が離れることは、もうなかった。



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