誓いの未来へ21





「俺を倒しにきたのか?」
 会いたくて焦がれた存在が、昔と変わらない姿で自分の前にいる。村長はそれだけで、泣きたくなった。
 心の奥底に、頑丈な鎖で縛っていた思いを紐解くと、自分がいかにイルキスを恋しがっていたことがわかる。
「私がおまえを傷つけられるわけがないだろう」
 腰に吊るされた剣に触れることなく、村長はゆっくりとイルキスの側に近づく。
「それは俺のセリフだ」
 優しく微笑み、イルキスは村長の頬に触れる。
 村長はイルキスに触れられた箇所が、急激に熱くなっていくのを感じた。胸の鼓動が速い。年柄に似合わず、自分がときめいていることに苦笑したくなる。
 イルキスは、瞳が赤いだけで、他は死んだ時と何も変わっていなかった。村長は、それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
 自分は年老いてしまった。もう、あの頃の若さは自分にはない。
 子を2人持ち、村長として村を担ってから、長い月日が経つ。もう、自分は昔のように真っ直ぐな恋は出来ないだろう。
 だが、今だけは許して欲しい。自由を捨て、彼の命を奪い、生きてきた自分を、今だけは何もかも忘れて、昔のようにこの男に向き合っていたい。
「私はおまえに会いにきた」
 あの夜、イルキスが自分に言ってくれた言葉を、村長はイルキスに言う。
「おまえに会いにきただけだ」
 万感の思いを込め、村長はイルキスに思いを伝える。
 イルキスは、生真面目な村長が、どれだけの勇気を持って、自分に会いに来てくれたのかを想像するだけで胸が熱くなった。
「俺の魂は、死んでからもおまえだけを求め続け、さ迷っていた。そんな中、俺は無様にも魔王の配下として蘇った。初めは、こんな姿を誰にも見せず、魂ごと消えようと思っていた。だが、俺のおまえへの思いは熱く、俺自身を律することが出来なかった」
 赤い瞳が誘うように揺らめく。その瞳に捕らわれたように、村長はうっとりとイルキスを見つめる。
「俺は、おまえに会いたかった。その欲望を止められなかったんだ」
「イルキス、私もそうだ。おまえを失ってしまった日から、ずっとおまえに会いたかったんだ!」
 情熱的なイルキスの告白に、村長は弾かれたようにイルキスを抱きしめる。
「長い月日が過ぎ去っても、私の心は変わりはしなかった。ずっといつも、いつまでも、そして今も、イルキスだけを求めてやまないんだ」
 それは甘い告白と言うよりも辛い日々から逃れたいと言う叫びに近かった。
 そして、イルキスは自分が死んでしまった後、彼がどんなに辛い思いを耐えて過ごしてきたのかを知った。
「すまない…」
 それを考えると素直に謝罪の言葉出てきた。かつての自分は、村長を助けたい一心で、自分がいなくなった後のことを考えていなかった。あの時、自分がもっと未来のことを考えていたら、簡単に命を捨てることなど出来なかっただろう。
「言うな、イルキス!」
 村長は、自分の掌でイルキスの口を押さえる。それ以上の謝罪は聞きたくなかった。
 もう、過ぎ去ってしまったことだ。今は昔よりも、この時を大切にしたい。
「何も言わないで…」
 小さな声で囁く村長の肩を、イルキスが引き寄せるように抱く。村長はイルキスの体に包みこまれ、そっと目を閉じた。
 温かい体温に村長もイルキスも、幸福を感じていた。やっと、お互いが手に入れた温もりを離したくなかった。
「…泣いているのか?」
 気がつけば、村長は涙を流していた。
「そうだ、私は泣きにきたんだ」
 指で涙をすくい、村長はやっと自分は泣くことが出来たのだと思った。
 イルキスが死んでから、自分はどんな時でも泣けないでいた。感情が麻痺したように、心の線は錆びついていた。
 だが、イルキスが側にいることにより、こんなにも心が震える。甘く切なく、揺れ動く。
「なら、泣いておけ。俺が側にいてやる」
 イルキスは村長の頭をそっと自分に引き寄せる。
 村長は、イルキスの胸をかり、涙が枯れ果てるまで泣き続けた。
 もう、彼の胸をかりられることは、なくなってしまうのだから。そう、別れはすぐそこまで近づいてきている。
 カイルたちが魔王を倒した時に、イルキスの体も倒れてしまうのだろう。
 2人はやがて来る別れを予感しながら、短い逢瀬の時を、ただ静かに寄り添っていた。

 シェルクは細剣から発された光の渦に巻き込まれた時、魔王が自分の体から出て、意思へと逃げて行くのを感じていた。
 長年に渡った魔王との決着をつける為、シェルクたちは洞窟の最深部へと走った。
 奥へと進むたびに、魔王の赤の波動が強く感じられる。巨大な力による圧迫感に苦しみながら、シェルクたちは魔王の元へ走り続けた。
「シェルク?」
 後もう少しで魔王の元へ着くというところで、突然シェルクの足が止まる。
 カイルは、何かあったのかと心配そうに振り返る。
「魔王と戦う前にカイルに聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
 怪訝そうな顔つきでシェルクを見ると、澄んだ瞳に見つめ返され、カイルは息を止めた。
「何だよ、はやく言えよ」
 急に動きを早めた心臓に、カイルは戸惑いながら、シェルクを急かした。
 カイルのそっけない言い方にシェルクの表情が曇る。
 だが、シェルクは恐々とカイルの表情を窺いながら、口を開いた。
「カイルはどうして僕を助けてくれたの?」
「…」
 思いがけない質問に、カイルは咄嗟に答えることが出来なかった。
「子供の頃に約束したから?」
 子供の頃の約束とは、森で交わした約束のことなのだろう。
 カイルは、その時にシェルクを魔王から守ると決意した。シェルクの質問の答えも約束したからと言えないでもないが。
「それだけじゃない」
 キッパリとカイルは否定した。
 子供の時は、ただシェルクを純粋に守りたくて約束した。だが、今は子供の時とは違う何かに突き動かされてシェルクを助けがっている自分にカイルは薄々気づいていた。
「それじゃあ、どうして?」
 カイルの否定にシェルクは喜んでいるように見えた。期待に満ちた目で、問われてカイルは、この思いをどう言葉にしたらいいのか悩んだ。
「…シェルクが大切な人だからかな」
 「好き」というだけでは、伝えきれない思いをカイルはそう表現した。
「大切?」
 シェルクに聞き返され、カイルは頷く。
「そう、大切な人。俺が守ってあげたい人。そして、ずっと一緒にいたい人…」
 胸の思いを確かめるように、言葉に出していたカイルだが、自分がいかに恥ずかしいことを言っているかに気づいて赤面する。
 見ると、シェルクは瞳を輝かせながら、頬を赤く染めている。
「それってプロポーズ!?」
「いっ!!」
 興奮したようなシェルクの声に、カイルが言葉にならない声をあげる。
 そんな大それたことまで考えていなかったのに。
「違うの?」
 途端にシェルクはシュンとなってしまう。床に落とした瞳が悲しそうで、カイルは慌てて取り繕う。
「いや、そうでないでもない」
 自分でもよくわからないと思いつつも、適当な返事をすると、シェルクが顔を輝かせる。
「嬉しいよっ!カイルがそんな風に思ってくれているなんて思ってなかったから!!」
 飛び上がりそうなほどの喜びように、カイルはつい後ろめたくなってしまう。
 だが、すぐにシェルクが、こんなに喜んでくれるのなら、プロポーズでもいいかなと思う。どちらにしろ、そういう意味でシェルクを好きなことに変わりはないし。
「僕もカイルが大好きだよ。家族や友達よりも、1番大切。自分の命よりも…」
 すごいことを囁かれているなと思いつつも、カイルは嬉しさを隠しきれない。引き締めた口元がにやけてしまう。
 だが、シェルクは口元を緩ませながらも、切なそうにカイルを見つめている。そう言えば、開いた2人の距離は縮まっていない。
 カイルが、シェルクに近づこうとして、それに気づいたシェルクが身を強張らせた。
「シェルク」
 シェルクに拒否されたような気分になって、カイルの熱が急激に冷めていく。
「カイルのことが好きだから、僕はまだ迷っている。魔王を倒すのは僕1人で行くべきじゃないかって」
「シェルク!」
 シェルクの自殺行為的な発言に、カイルが声を荒げる。
 1人で魔王を倒しに行くと言うことは、細剣を1人で使い、死ぬということだ。
「だって、2人で使ったって成功するかわからないじゃないか。それならば、始めから僕1人が行けば…」
 カイルを強く思うあまり、シェルクはカイルと協力することが出来ない。もし、失敗したら。もし、カイルが死んでしまったら。そう思うだけで、体が凍りつくような恐怖に見舞われる。
 カイルは、シェルクのそんな気持ちが痛いほどよくわかる。前の自分がそうだったから。
 シェルクの為なら、自分の命など惜しくないと思っていた自分。相手を失うことだけを、ただ怖がっていた。
「シェルクの気持ち、よくわかる。でもな、シェルク、たとえ俺が生きていたとしても、シェルクが犠牲になったら辛いよ」
 カイルは、村長に言われた言葉を、そのままシェルクに伝えた。
「シェルクは考えるべきだ。残された者の気持ちを。シェルクがいなくなって苦しむ者の姿を。死んだ後の世界を」
「僕が死んだ後の世界?」
「そう。俺は泣くね。泣いて泣いて、きっとシェルクの後をおって死ぬよ」
 おどけた調子で話すカイルに、シェルクの顔が蒼白になる。
「キールに突き飛ばされた時、目が覚めたんだ。俺もずっと、自分を犠牲にしてシェルクを助けようと思っていた。それしか方法がないんだと思っていた」
 カイルの過激な言葉に、シェルクは目を見張る。恐怖に震える瞳に、カイルは優しく微笑んだ。
「でも、キールとアリシアは違った。誰も死なない方法を、誰も悲しまない方法を、ずっと考え続けていたんだ」
 カイルは2人を尊敬した。あの2人は誰かが犠牲になるしかない、現実を見事に突破したのだ。
 カイルとシェルクには出来ないことだ。結局、自分たちは相手のことを思いやっているようで、自分の気持ちしかみていなかった。単純に考えても、相手がそれを望まないことなどわかるのに。
「俺は死にたくない。シェルクと一緒に生きていきたいんだ。だから、シェルクも死なないで欲しい。俺と一緒に戦って欲しい」
 カイルはおびえるシェルクに手を差し出した。
「カイル…」
 シェルクはじっと差し出された手を見つめた。
 カイルの言いたいことはわかる。それが最善の方法だということはわかるのだけれど。
 迷うシェルクにカイルは、あっさりと手を引っ込めた。
「あっ…」
 それを寂しそうに見つめたシェルクに、カイルは意地悪そうに微笑む。
「カイル!」
 からかわれたのだと、すぐに気づき、シェルクが声をあげると、カイルはおもむろにシェルクに近づき、細剣を握る手に自分の手を重ねた。
「大丈夫だって!キールの時にだってうまくいったんだ。成功するよ。俺を信じてくれ、シェルク。俺もおまえを信じる」
 カイルの暖かな眼差しに、シェルクの心が和らぎはじめる。
「俺はずっとシェルクを守り続けると誓ったんだ。だから、その約束を守るためにも2人とも生き残らなきゃな」
 カイルの言葉にシェルクが吹き出す。
「ずっと僕を守るの?それって、やっぱりプロポーズだよ、カイル」
 大げさすぎるカイルの言葉をシェルクがクスリと笑う。
「でも、僕も守るよ、カイルのこと」
 真っ直ぐにカイルを見つめ、シェルクは自分の手に重なったカイルの手を、もう片方の手で包み込む。
「ああ、よろしく頼むよ」
 カイルはシェルクの手の温もりを感じながら、しっかりと頷いた。
「何か、すごいよ。一気に道が開けた感じがする」
 シェルクは付き物が落ちたようにスッキリとした表情をしている。
 2人は微笑を交わしあった。



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