誓いの未来へ18





 村長の家からの帰路、2人は言葉一つ交わさなかった。
 キールは珍しく難しい顔をして、考え込んでいる。普段、能天気なキールも、さすがに細剣の呪いにはショックだったようだ。
 カイルは、ただ夕焼けから夜の色へと移り変わる空を見上げていた。
 いつもなら、なんとも思わない色の移り変わりが、ひどく鮮やかに見える。
 右手には細剣がむき出しのまま、握られている。カイルは、細剣の存在を確かめるように、時折指に力を入れてみる。
 細剣は、確かにカイルの手の中にある。シェルクを助けるための武器。そして自分の命を奪うかもしれない武器。
「カイル」
 カイルの家が見えてきた頃、キールが足を止め、声をかけてきた。
 沈みかける太陽から、カイルはキールに視線を移す。
「おまえは、どっちを選ぶんだ?」
 単刀直入に聞かれ、カイルは軽く目を見張る。
 怖いほど真剣な瞳に、カイルははぐらかすことをやめた。
「まだ、わからない」
 自分が犠牲になり、シェルクを助けるべきか否か。それとも、シェルクの言っていた通り魔王を倒すか。
 どちらにしろ、この細剣を使えば、死者は出てしまうのだ。
「…俺は死にたくないし、誰も死なせたくはない」
 キールの素直な感情に、カイルは頷くことが出来なかった。この細剣を使わなければ、シェルクは魔王に操られたままなのだ。
「俺は、この剣を使う。シェルクを助けるにしろ、魔王を倒すにしろな。それは俺の役目だと思うから」
 細剣に目を落とし、カイルは微笑む。全く恐怖を抱いていないカイルの素振りに、キールは苛立つ。
「だからって、カイルが死ぬなんて駄目だ!」
 死を覚悟するカイルに、キールはカイルの肩をつかみ、叫ぶ。
「おまえが死んだら、俺もシェルクもアリシアだって、みんな悲しむんだ。だから、頼む!その細剣を使わないでくれ!!」
 キールの必死な哀願に、カイルはゆっくりと首を振る。
「俺は、この役を誰にも譲れない。幼い頃から、シェルクを助けるのは俺だと心に決めていたから」
 幼い頃、森で泣いていたシェルクに誓った。自分がシェルクを助けると。だから、細剣を使う役目は誰にも譲れない。
 ただ、シェルクが悲しむのだけは避けたいと思った。自分が死んだ後もシェルクが笑っていられるように、カイルは願った。
「俺が死んだら、シェルクはすごく悲しむよな」
 困ったように腕を組むカイルに悲壮の影はない。
「そしたら、キールが慰めてくれよな」
 明るい笑顔を向けられ、キールの怒りは頂点に達する。
「そんなこと俺に頼むな!!」
 振り払った腕がカイルの顔に当たる。
「っ!!」
 キールは慌てて腕を押さえる。故意にしたわけではないが、かなりの勢いでカイルの顔に当たってしまった。
 カイルは、そのまま顔を上げずにじっとしている。
「大丈夫か!?カイル」
 心配になり、カイルの顔を覗き込む。
 カイルの表情を見て、キールは動きを止めた。
 カイルは地を見ていた。研ぎ澄まされた鋭い瞳が、揺るぐことなく、静かに何かを見つめていた。
「俺は必ずシェルクを助ける」
 カイルの決意を宣言する声に、キールは鳥肌がたった。これほどまでの思いを込めた言葉を、キールは聞いたことがなかった。
 カイルは自分の言葉を胸に刻みつけるように瞳を閉じ、
「じゃあ、キール。また明日な」
 次に瞳を開いた時には、すっかり元のカイルに戻っていた。
「ああ」
 虚をつかれたように、返事をするキールに背を向け、カイルは自分の家へと帰っていく。
 カイルが扉を開け、中へ入ろうとした時に、我に返り、慌ててキールはその背中に声をかようとする。
「…」
 だが、言葉は浮かんでこなかった。
 あの痛ましいまでのカイルの決意にかける言葉をキールは知らなかった。
 扉が閉じる。カイルの姿が消えてしまった。
「っ!!!」
 キールは叫びたくなる衝動をこらえて、走り出した。
 走って、走りぬいても、カイルの瞳がキールの頭の中から消えることはなかった。

 キールが自分の家についた時には、すでに辺りは暗くなっていた
 走ったことで、頭を冷やしたキールは、自分の無力に落ち込み、背中を丸めてトボトボと家に帰ってきた。
 カイルの力になれずに、ただカイルが死にいく姿を見守ることしか出来ない自分が情けなかった。
 キールには、カイルを止めることも、みんなが幸せになれる新しい方法を生み出すことも出来ない。
「キール様」
 暗がりの向こうから急に声をかけられる。見ると、キールの玄関の前で小柄な人物が座りこんでいた。
「アリシア!!」
 声だけでキールは、すぐにその人物がアリシアだと気づいた。
 こんな時間に、お供一人も連れずに座りこんでいる少女にキールは急いで駆け寄る。
 アリシアも身を起こし、キールの側へ近づく。
「アリシア、どうしたんだ?」
 普段からは想像もつかない、アリシアの行動にキールが心配そうに問いかける。
「キール様…」
 だが、アリシアはキールを見つめたまま何も答えない。暗くて、アリシアがどんな表情をしているのかさえもキールにはわからない。
 黙ったままのアリシアにキールは途方に暮れてしまう。ただでさえ、カイルや細剣のことで、感情が乱れているのに。
「キール様、私…」
 だが、アリシアの不安に満ちた震えた声にキールの感情は全て吹き飛んだ。
「アリシア!!」
 アリシアは泣いていた。結んだ口から、時折嗚咽が漏れて聞こえてくる。
「どうしたんだ!?誰かに泣かされたのか!?」
 自分の想像にキールが怒りをあらわに叫ぶと、アリシアは小さく首を横に振る。
「じゃあ、どうして!?」
「…お父様から細剣のことを聞いて…」
 小さい声でアリシアが囁く。それは恐怖で震えていた。
「細剣のことを…」
 村長はアリシアに細剣のことを話したのだ。それで、アリシアはカイルとキール、そしてシェルクの身を案じ、キールの家に訪れたのだ。
「アリシアに話すなんて」
 キールは村長に恨みがましく呟く。
 よりによってアリシアに話してしまうなんて。この心優しい少女が、話を聞いたら小さな胸が恐怖でいっぱいになってしまうに決まっているではないか。
「いいえ、お父様は悪くありません」
 しかし、アリシアはキールの呟きをとがめる。
「もし、私に何も知らせずにキール様を行かせたならば、私はどんなにお父様を責めたでしょう。私はお父様に感謝しています」
 はっきりとした口調にキールは、アリシアの芯の強さを見た。アリシアは細剣の呪いの効力を恐れてはいない。アリシアは、細剣を使うしかない2人に心を痛めているのだ。
「それに、私がお父様から聞かなければ、キール様は黙って行ってしまわれたでしょう?」
「アリシア…」
「キール様が細剣を使い、命を落としてしまうと思うと…」
 ガタガタとアリシアが震え出す。大切な人が自分の知らぬところで命を落としていたと考えるだけで、アリシアの心は凍り付いてしまうのだ。
「キール様はひどいです!私に何も言わずに行ってしまおうとしていただなんて!!」
 アリシアの手が、キールの胸の洋服を掴む。アリシアに非難され、キールは逃げるように顔を背けた。
 キールは、アリシアに何も告げずに洞窟へ行こうとしていた。正式ではないが、婚約者である彼女に、キールは真実を告げる勇気がなかった。
 悲しませたくない。心配させたくない。そして、キールは、カイルとシェルク、3人で帰ってくる自信がなかった。
 カイルかキール、それともシェルクか、誰か一人が細剣を使い、欠けてしまうと考えていた。そして、それは自分かもしれないと。
「ごめん、アリシア」
 キールの謝りの声に、アリシアは手に力を込める。涙を散りばめながら、アリシアは強く頭を振る。
「駄目です!死んでは駄目です!!」
 悲痛な叫びにキールの目にも涙が溢れ出す。
「キール様は私の夫となる人です!私は、幼い時から、ずっとキール様と結ばれる日を夢見てきたんです!だから駄目です!必ず戻ってきてください!!」
「アリシア!!」
 アリシアの熱い告白に、キールは肩を抱き寄せる。
 アリシアが自分を選んでくれた。好きでいてくれた。
「お願いします。ボロボロになってもかまいません。どうか、命だけは無事で帰ってきて」
 アリシアは広くたくましいキールの胸に顔をうずめ、涙ながらに哀願する。
「ああ、帰ってくる!アリシアのもとに帰ってくる!!」
 アリシアを離したくない。アリシアを独りにしてキールは死にたくなかった。幸せになりたいアリシアと共に。
 ばかやろう!!
 キールは心の中で、死を覚悟した友人を怒鳴った。
 死ねるものか!アリシアを残して…おまえだってそうだろう?カイル。シェルクを残して、シェルクを独りにして死ねるわけがないだろう?
 カイルがどれだけシェルクを大切にしているのかも、シェルクがどれだけカイルの側にいたいと願っているのかも、キールは当人たちよりも遥かに知っていた。
 そんな2人が片方を残して、幸せになることも、死ぬことも出来るわけがない。
「…考えなくちゃな。みんなで帰ってくる方法を」
 キールの表情にもう暗い影はない。変わりに、前に進む希望の光が瞳に宿っている。
「アリシアも一緒に考えてくれ。細剣の呪いに打つ勝つ方法を」
 キールの力強い声に、アリシアは涙をふき、微笑んだ。
 まだ、諦めてはいけない。最後の最後まで、時間のある限り、あがき続けるんだ。
 みんなが、生きていける未来を勝ち取るために。



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