誓いの未来へ15





 魔王を倒すことの出来る唯一の武器を手に入れるため、シェルクと赤い瞳の男は、魔王の意思に逆らい、村を目指していた。
 時折、魔王の邪魔が入り、シェルクの顔に苦痛の色が浮かぶが、それに屈することなくシェルクは上に向かい続ける。
「ああ!!」
 突然、胸に痛みが走り、シェルクの膝が折れる。呼吸がうまく出来ずに、シェルクは浅く息を吐く。
「大丈夫か?」
 何回目かになるシェルクの発作に男は立ち止まる。
 シェルクは遠くなる意識を懸命に引き戻しながら、胸の痛みに耐えている。
 魔王の妨害にシェルクの体も精神もボロボロに疲れ果てていた。
 それでもシェルクは弱々しく頷く。男もシェルクの瞳から力が失われていない限り、止めようとはしなかった。
 シェルクのこの強さは、いったいどこから湧いてくるのか。男はシェルクを少し見直していた。
 彼には、魔王の意思を跳ね除ける力がある。
「全く」
 傷ついても、歩みを止めないシェルクに男は感嘆の息をつく。
 魔王に操られ、自我を失い狂い果てた『彼』とは全く違う。『彼』を惑わした、あの思いをシェルクは強さに変えているのだ。
 そう、シェルクの強さの源は、カイルへの想いだった。
 シェルクが正気を保っていられるのは、カイルのおかげだった。もし、カイルがいなければ、シェルクはとっくに魔王に操られているか、自ら死を選んでいただろう。
 面白い…
 男は単純にそう思った。
「…もう、平気だ」
 胸の痛みが治まり、シェルクは再び前に歩き出す。
 その後ろを男は黙ってついて行く。手を貸すことも、励ますこともしない。男はただ、ついて行くだけだ。
「!」
 しかし、そこで初めて男は反応を示した。
 前方から近づいてくる人の気を察し、シェルクを庇うように前に出たのである。
 今まで、2人は敵一匹にも遭遇しなかった。おそらく、そのように魔王から手配を受けているのだろう。
 ならば、近づいてくるのは人間。
「…カイル?」
 期待に満ちた問いかけは、すぐに落胆に変わった。
「サルフィス様」
 目の前に現れたのは、現守り人のサルフィスだった。
「シェルク…」
 サルフィスは、顔色が悪いながらも無事でいるシェルクの姿を見つけ、安堵した表情を浮かべる。
「無事で良かった」
 サルフィスの優しい笑顔にシェルクは、サルフィスの元に駆け出したい衝動にかられる。
 サルフィスに保護してもらい、村に戻れば、魔王に対処できる方法があるのかもしれない。
 そうすれば、自分は父と守り人に守られ、傷つくこともなくなる。
 だが、それでは何の解決にもならない。
「…シェルク?」
 欲望に反するように自分から視線を逸らしたシェルクに、サルフィスが不審な目を向ける。
 どうして、シェルクは敵の男の背に匿っているのか。助けに来た自分を見ようともしない。
 男は、シェルクの決意の強さに満足しながら、サルフィスへと一歩踏み出す。
 男の赤い瞳が揺らめき、サルフィスは神経を男へと向けた。
 長身にスラリとした体。愛想が悪くなる釣り目。そして、唇の右下にあるほくろ。
 見れば見るほど、男はサルフィスのかつての同僚にそっくりだった。
「イルキス…」
 どうして一目見た時に、サルフィスはこの男の正体に気づかなかったのだろうか。
 彼とは生死をわけた戦いを共にしてきた仲間だったのに。
「久しいな、サルフィス」
 男が懐かしむように、笑みをこぼす。笑みを浮かべると、途端に愛想の良い顔になる。そんな彼の表情も昔と変わらず、サルフィスの胸が詰まる。
「1人で何しに来た?」
 『1人』を強調して男−イルキスが言う。
 カイルのことを言っているのだとサルフィスは、すぐにわかった。
「カイルを君と会わせたくない」
「会わせたくない?何故?」
 真剣なサルフィスの表情に、イルキスがからかうように笑う。
「何故って!?」
 声を荒げ、サルフィスはシェルクの存在に気づき、口をつぐむ。
 サルフィスの自分に対する態度に、シェルクは首を傾げる。カイルとイルキスを会わせたくない理由を自分に聞かせたくないみたいだ。
 サルフィスの心情を察したイルキスが意地悪く鼻をならす。
「別にシェルクに知られたって構わないだろう?」
「イルキスッ!!」
 全てをぶちまけようとするイルキスにサルフィスが声をあげる。
「俺を止める気か?ならば力で止めてみせろ!」
 瞳から真紅の炎が舞い上がる。
 サルフィスは、その迫力に押されながらも剣を取った。
 決して知られてはならない。この男の正体を。
 カイルにもシェルクにも。
「来いっ!!」
 戦神のごとく立ち構えるイルキスへ、サルフィスは自滅覚悟で挑みかかった。

 洞窟内を疾走する影が2つ。
 カイルとキールだ。
 何故、サルフィスは1人で洞窟に入ってしまったのか。
 1人で、あの赤い男を倒し、シェルクを救出するためだろうか。いったい、何のために。
 サルフィスが、男に1人では適わないと恐れていたことを言っていたのを聞いているだけに、ますますサルフィスの心の内がわからない。
 彼は、どうしてカイルとキールを置いて、1人で洞窟に入らなければならなかったのだろう。
「考えるのは後だ!」
 しかし、それを考えている暇はない。
 2人は不思議に思いながらも、サルフィスの無事を祈り、下層へと走った。
 男とシェルクがいるのは、おそらく下の階だろう。サルフィスが男にたどり着く前に、見つけたい。
 そう思い、3階のフロアを駆け抜ける。
「!!」
 だが、前方から吹き付ける赤い波動に、2人の顔が強張る。
 近すぎる。どうして、こんな上層の階に男とシェルクがいるのか。
 戦いはすでに始まっているようだ。男の殺気が、ここまで強く感じられる。
 2人は頷きあい、赤い波動の中へ飛び出して行く。
「サルフィス様!!」
 サルフィスは全身を剣で刻まれ、血まみれの姿で立っていた。
 傷はどれも浅い傷ばかりだが、サルフィスはだいぶ疲労しているみたいだ。男の強さに恐れをなしたように、剣を持つ手が震えている。
 その反対に、男−イルキスは平然と立っている。傷1つなく、息すら乱していない。
「大丈夫ですか!?サルフィス様!!」
 サルフィスの元へ駆けつくと、サルフィスは2人を見て、表情を引き締める。
「どうして来てしまったんだ」
 非難がましい目を向けられ、カイルが戸惑う。
「どうしてって?」
「そんなのサルフィス様が心配に決まっているじゃないか!」
 サルフィスの態度に憤慨したようにキールが叫ぶ。
 1人で勝手に出て行き、心配して駆けつけたのに、なんていう言われようだ。
「そうだろうけど…」
 キールに怒鳴られ、サルフィスの顔が情けなく歪む。
 それはその通りだろうが、どうしてサルフィスが1人で黙って出て行ったのかという理由も考えて欲しかった
 それは、2人に、特にカイルとイルキスを戦わせたくなかったからなのだが。
「とにかく3人で攻撃しましょう。そうしなければ、あの男には歯が立たない」
 そんなサルフィスの心情も知らずに、カイルとキールは戦闘態勢を整える。
「駄目だ。こいつは私に任せて、君たちは行くんだ!」
 しかし、サルフィスの声に、2人の気勢がそがれる。
「サルフィス様!?」
 サルフィスの意図がわからない。
「何故ですか?」
 カイルが剣を下げ、真正面から問いかける。
 強い瞳に睨まれ、サルフィスは何も言えなくなる。話せることなら、はじめから1人でイルキスに立ち向かうことなどしなかった。
「…カイルが来たか」
 黙ってみんなのやりとりを聞いていたシェルクは、隣にいるイルキスの呟きを聞き、顔を上げた。
 イルキスは笑っていた。嬉しそうな笑顔。シェルクは、この男にもこんな人間らしい表情が出来るのだと、軽い驚きを覚えた。
 そして、その瞳はカイル1人だけに向けられている。慈しみの瞳。赤い波動が和らいでいる。
「とにかく、ここから離れるんだ!!」
 正確にはイルキスの元からだが。それを気取られぬようにサルフィスが命令する。
「嫌です!シェルクが側にいる。倒すべき敵だっているんだ。ここで逃げるわけにはいかない!!」
 しかし、カイルはそれを跳ね除ける。
「そうですよ、サルフィス様。俺たちはまだまだ弱いけど、立派な守り人候補なんだ!!」
 キールが加勢してきて、話はよけいにこじれていく。
「ああ、もう!!頼むから黙って言うことを聞いてくれよ!!」
 泣きそうになりながら、サルフィスが頼み込むが、2人は頑として頷かない。
「別に知られたって構わないだろう。サルフィス」
 今まで傍観していたイルキスが、口を挟む。
「君は黙っていて!!」
 これ以上、話をかきまわされてはたまらないとばかりに、サルフィスが鋭い視線を走らせるが、
「俺が話したいから話す」
 イルキスは、サルフィスの都合に構いもせずに、無防備に三人の元へ歩いてくる。
「!!」
 カイルとキールに、緊張が走る。剣を構え、注意深くイルキスを見つめる。
「おまえたちは知りたくないのか?サルフィスが、あんなに必死になって隠そうとしている秘密を」
 からかうようにイルキスの言葉がカイルに向けられる。
 カイルは、イルキスがキールを視界に入れず、ただ自分だけを見つめていることに気づいた。
「言うな!イルキス!!」
 悪あがきをするサルフィスに、イルキスは口端をあげる。サルフィスの言うことを聞くつもりなど毛頭ない。
「知りたいか?」
 カイルの目の前で足を止め、イルキスは再び問う。
 これは自分だけに向けられた問いだ。どうして、自分だけに?
 いきなりの指名にカイルの頭の中はパニックに陥る。
「僕は知りたい!!」
 言葉を失っているカイルに代わって、答えたのはシェルクだった。
 思わず口をついて出た言葉にシェルクは自分で驚く。
 カイルに関する秘密を知りたいという欲求が、つい口に出てしまった。
 恥ずかしそうに口を押さえるシェルクを見て、カイルはやっと我に返った。
 シェルクのほんのり赤くなった頬を見て、カイルは口に笑みを浮かべた。
「知りたいです。教えてください」
 そして、カイルは、イルキスの赤い瞳を見つめ、はっきりと言った。
「そうか、なら教えよう」
「イルキスッ!!」
「俺は、おまえの父親だ」
 顔色を変えずにサラリと言ったイルキスの衝撃の言葉に、みんなが固まる。
「…えっ?」
 声を漏らしたのはカイルだ。
 そして、カイルはイルキスの瞳の奥に優しさが満ちていることに気づき、それが真実であることを知った。
 しかし、それを真実だと知ったことでどうなる。
 この男が父親。秘石を盗み、シェルクをさらい、魔王の復活を助ける敵のこの男が。
 うまく頭が機能しない。口を開けたまま、ただ目の前の男を見つ
め返すばかり。
「あっ!」
 不意に自分に伸ばされた男の手に、カイルは一歩後退して避ける。
 男はカイルの反応を見て、わずかに目を細めた。
 傷つけた。
 カイルは父親であるイルキスの手を拒んだことに、罪悪感を覚えた。
「っ!!」
 そして、カイルは自分がこの男を父親だと認めていることに気づく。
 敵であるこの男が父親だなんて、あっていいはずがないのに。
「カイル…」
 そんな切ない眼差しで見ないで欲しい。自分は、この男が父親であるなど認めたくないのだから。
 カイルは男の目の前に立っていられなくて、駆けだした。
 その場にいる誰もがカイルを止めることも追うことも出来なかった。
 ただ、過酷な事実に誰もが打ちのめされるだけだ。カイルにかける言葉も見つからない。
「っ!カイル!!」
 だが、その中でもシェルクだけは違った。
 一瞬の躊躇いの後、真っ直ぐにカイルを追いかけはじめる。
 シェルクを引き止めることも、後に続くこともなく、3人はただ、その場に立ち尽くした。
 思い沈黙だけが辺りを満たしていた。



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