誓いの未来へ12





「ちくしょうっ!!」
 男の背中を追いかけながら、カイルは悲鳴をあげる体に顔を歪ませる。
 足が思うように動いてくれない。すぐそこにシェルクがいるのに、助け出すことが出来ない。
 男との距離は縮まらない。だが、離れることもない。
 時折、男が振り返り、カイルが追ってきているのを確認して、口端をあげる。
 何てことはない。男はカイルが離れないように加減して走っているのだ。
 その余裕が憎らしくて、闘志が湧いてくるが、肝心な体のほうがついてきてくれない。
「はぁはぁ…」
 息が切れる。もう一歩も動けそうにない。
「くそっ!!」
 だが、ここで止まるわけにはいかない。止まったら、シェルクを見失ってしまったら…
 こみ上げてきた恐怖をカイルは、頭を振り追い出した。
 今は、目の前にいるシェルクを助け出すことを考えていればいい。
 しかし、それも叶いそうになかった。足がもつれそうになる。限界が、すぐそこまで近づいていた。
 目の前がふっと霞んだ時、男の姿が消え去る。
「っ!?」
 カイルは目を見張り、その場に立ち尽くす。
 よく見ると、男が消えた場所には小部屋へと続く扉があった。おそらく男はこの小部屋の中へ消えたのだろう。
「待ち構えているのか…?」
 充分に用心しながら、カイルはゆっくりと扉を開く。
 奇襲も予想していたのだが、男の攻撃はない。それどころか、男の姿すらなかった。
「…」
 驚きを隠せず、だが慌てずにカイルは扉を背にゆっくりと小部屋の中を見渡す。
 どこか男が身を隠しているかもしれない。しかし、小部屋の中には、物1つ置かれていなかった。身を隠しようもない。
 カイルは扉から離れ、中へと足を踏み出す。
 やはり、男の姿はない。いったい、どこへ消えてしまったのだろうか。
「シェルク…」
 完全に見失ってしまった。
 体から力が抜け、カイルはその場に膝をつく。もう、力が湧いてこない。
 不意に小部屋の隅に、キラキラと光るものが目に飛び込んでくる。
「なんだ?」
 目を向けると、そこに刃の鋭い細剣が忘れ去られたように、向き出しに落ちていた。
 落とし物だろうか、と考え、カイルは苦笑する。こんなところに誰が剣など落としていくのか。
 忘れていた傷の痛みがだんだん蘇ってくる。カイルは薄れいく意識を引き止めることもせずに、落ちていった。
 細剣がまばゆい光を放ち続けていた。

 目を閉じていても光を感じる。
 チカチカとフラッシュがたかれているようで、その光が気になって仕方ない。
 カイルは、まだ眠い頭を立ち上げ、うっとうしそうに光に首を巡らす。
「…」
 光の正体は剣の刃だった。闇に閉ざされた中で、剣の刃だけが月光よりも明るい。
 どこか見覚えのある剣だ。
 そう、確か洞窟で発見した剣。
「…どうして、ここに?」
 呟き、自分がベッドで寝かされていたことにカイルは気づいた。ここはシェルクの家の、かつては自分の部屋だった場所だ。
 シェルクを抱えた男を追いかけ、小部屋にたどり着き、見失ってしまった。
 そして、この剣を見つけ、意識が途切れた。
「キールが運んでくれたのか?」
「その通りだよ」
 独り言に答えが返ってきて、カイルは弾かれたように声の方へと目を向けた。
「村長…」
 ベッドの傍らに村長が椅子に腰をかけ、カイルを見つめていた。
 前に村を出たときよりも元気そうだが、暗い悲壮感は変わらずに漂っている。体と精神を無理しているからだろう。
「起き上がって大丈夫なのですか?」
 カイルの気遣いに村長は笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。君たちが洞窟に行っている間に休んでいたからね」
「しかし…」
 カイルには村長の体が癒えたようには、とても見えなかった。それでも村長は、強い精神力で体を奮い立たせていた。
「もしかして、村長自らが俺の怪我の手当てをしてくださったのですか?」
 村長に無理をさせている上に、治療までしてもらっているなど、恐れ多い。カイルは姿勢を正そうとして、痛みに声を漏らす。
「こらこら、無理をしてはいけない。カイルは5日間も意識を失っていたのだから」
「5日も!?…すみません…」
 カイルは横になりながら、村長に頭を下げた。5日も面倒をみてもらっていたなど、身に余る思いだった。
「お礼を言うのなら、キールに言いなさい。キールは自分も傷つきながらも、意識を失ったカイルを村まで運んできてくれたんだ」
「…はい」
 深く頷き、カイルは瞳を閉じる。
 やはり、自分を助けてくれたのはキールだったのだ。キールもシェルクの赤い波動に傷ついていたはずなのに…
「その褒美というか、キールにはアリシアに治療を頼んだからね。きっと今頃、喜んでいるのではないのかな?」
 村長の言葉にカイルは目を丸くする。いつも厳格な村長が楽しそうに言っているのが、珍しかった。
 しかし、それがカイルを元気付けようとしているものだと気づき、カイルは頬を緩めた。
「アリシアの治療が何よりの薬になりますよ」
「私の娘ながら、罪作りな子だね」
 2人で微笑みあうと、カイルの心が少しだけ和らいだ。
 シェルクが男にさらわれてから、心の線が張り詰めていた。根を詰めすぎていたのかもしれない。
 その心の線を少しだけたるませようとカイルは思った。今の状況は前よりも遥かに悪くなっているけれど。
「少し眠りなさい」
 カイルの緊張が解いたのが伝わったのか、村長は優しい声でカイルの眠りを促した。
「まだ休養が必要だ」
 村長は、カイルがシェルクの救出に失敗したことについては、何も触れなかった。
 カイルにはそれが歯がゆかった。もっと、きつく責めてくれればいいのに。
 しかし、村長は責めない。カイルに救出を指名したのは村長だ。だから、カイルが失敗したのは、そのまま村長の失敗に繋がっていく。
「村長、俺にもう一度チャンスを下さい。俺は、この手でシェルクを助けたいんです!」
 一度失敗した自分が言えることではないとわかっている。だが、カイルにはシェルクを助ける立場を誰かに取られるわけにはいかなかった。
 昔、交わした約束のために。
「俺がシェルクを助けます!!」
 目に精一杯の力を込め、村長を真正面から見つめる。
 村長は揺るぎもせずに、易々とカイルの瞳を受け止めた。
「…」
 2人の視線が絡まり、部屋に緊張が走る。
「…カイルを信じているよ」
 ふっと目を細め、村長が口を開く。
「君がシェルクを助けてくれ」
「はいっ!!」
 村長にチャンスを与えられ、カイルの瞳が輝く。村長はまぶしそうにカイルを見つめ、瞳を逸らした。
「…」
 その視線の先に洞窟で見つけた細剣に気づき、カイルが首を傾げる。
「そう言えば、どうしてその細剣がここにあるんですか?」
 洞窟の小部屋で見つけたのはカイルだが、どうしてキールはこの細剣を村に持ち帰ってきたのだろうか?
「カイルが、この細剣を手に握っていたから持って帰ってきたと、キールは言っていたが?」
 カイルの質問に驚いて村長が口を開く。
「俺が…?」
 呆然とカイルが呟く。
 カイルには細剣を握った覚えはなかった。細剣を見つけたのは、覚えているけれど、意識はそこで途切れていた。
 無意識に握ったのか…?
 そんなことがあるのだろうか。傷ついた体で知らないうちに細剣を握っていたなど。
「…まあ、いい。とにかく今は眠りなさい」
 考え込んでしまったカイルに村長が口を出す。
 腑に落ちないまま、カイルは頷いた。キールがそう言ったのであれば、きっとそうなのだろう。記憶はないけれど…
 まだ疲れの抜けないカイルの体は、すぐに眠りへとカイルを誘う。
 カイルは、村長に頭を下げ、目を閉じる。
 村長はカイルが眠りにつくまで、優しい眼差しでカイルを見守っていた。
 その部屋の隅で細剣が、自らの存在を知らせるように、キラキラといつまでも光り続けていた。

 家の外から向けられる視線に気づき、村長は庭先に出た。
 禍々しい赤の波動。間違いない、魔王の手下であるあの男の波動だ。
「何しに来た」
 男は庭先に静かに佇んでいた。
「別に?お前に会いに来ただけだ」
 男の優しい眼差しに村長は息を呑む。敵である男が、何故このような眼差しを自分に向けるのかわからない。
「何しに、来たんだ?」
 戸惑い、だが視線は逸らさずに村長は再び問う。
 男は村長の戸惑いに気づき、目を逸らし笑みを浮かべる。
「さあな」
「…」
 沈黙が2人の間に流れる。
 村長は緊張しながらも、不思議な居心地の良さを感じていた。いつまでもこうしていたいと思う自分に気づき、村長は軽く首を振った。
 もう、それは無理なことだ。
「何故、あの剣をカイルに渡した」
 カイルが握っていたという細剣。あれは、もう2度と使ってはいけない禁断の剣のはず。
「カイルにあの剣を使って欲しいのか?」
 それだけは、絶対に阻止しなくてはならないと決意しながらも、村長は鋭い視線を走らせる。
 男は答えなかった。薄い笑みをたたえたその表情では、男の心理を探ることもかなわない。
「俺はお前に会いたかっただけなんだよ」
 困ったように男が呟く。自分の気持ちを持て余しているように、眉をしかめている。
「ならば行け。もう目的は果たしただろう」
 村長が冷たく吐き捨てると、男は肩をすくめ、身を翻す。
「今度会った時は、お前を殺す」
 ピクリと肩を動かし、男は振り返る。
 刺すような視線に男は村長の強い決意を感じた。だが、その姿はどこか痛々しい。
 男は何も言わずに去っていった。最後まで笑みを絶やさぬままで。
「…」
 村長は男が去っても、動くことが出来ずに、いつまでもその姿を追って見つめていた。
 村長の体を風が吹き抜けていった。



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