door-reiya8





 その夜、俺は夢を見た。
 深い深い霧の中を俺は歩いていた。霧が足にまとわりついて歩きにくかったが、誰かを探していたので駆け足で霧の中を渡っていた。
 自分が誰を探しているのか俺にはわからなかった。だけどとても大切な人だったような気がする。今、つかまえなければ俺から遠ざかってしまう人…失いたくはないかけがえのない人だった。
 霧の向こうに人影が見えて、俺はそれが探している人かもしれないと思い走り出した。急がなければ霧の中に消えてしまいそうだ。俺は体中に絡まる霧を振り払ってその人の下へ走った。
 気付くと姿がはっきりとしてきたが、その人は俺に背を向けていて顔は見えなかった。後姿に見覚えがあるその人の腕をつかんだ瞬間、その人は弾かれたように振り返った。
「怜哉!」
 その人は怜哉だった。怜哉は俺を見て安心したように笑った。俺は見慣れているはずのその笑顔が眩しく思えた。何故だろう、怜哉は変わっていないのに…
 俺は怜哉の腕を慌てて離した。何で俺、こんなに意識してるんだ?
「よう、翔。夢の中まで来てやったぜ」
 俺の動揺を知らず怜哉がポンと俺の肩を叩く。その手が少し震えていたように見えたのは俺の気のせいだったのか。
「怜哉…?」
 俺は戸惑っていた。怜哉に今までと違う感情を抱いている自分と俺の夢の中にいる怜哉と。
「これは夢なんだから何でもありなんだ、細かいことは気にするなよ」
 怜哉は明るく笑い飛ばすけど、普通夢だと主張してやってくる友人なんているものなのだろうか。俺には怜哉が意図的に俺の夢の中に入ってきたような気がしてならない。
「気にするなよ、気にすんじゃねえぞ。これは夢だ、夢なんだから全ては嘘、夢幻だ。わかったな?わかったよな?」
 しつこいほど念を押され、俺は勢いに押されるがまま頷いた。そう言われると、よけいリアルに感じちゃうんだけど。
「よし、頷いたな。それじゃあ、これからのことは夢の中で全て忘れるように。間違っても現実に持ち込むんじゃねえぞ」
 あまつさえ凄味をきかせられれば怪しくなる一方なわけで、俺は呆れながら一応頷いといた。そうしなければ話は前に進まないだろう。
 俺は怜哉が昨日の唯との会話の核心を教えてくれるのではないかと期待した。現実では面と向かって話せないから、夢の中でこっそり教えてくれるのではないかと思った。
「ああ、全部忘れる。約束するよ」
 俺は怜哉に約束するが、はっきり言って忘れる気なんてなかった。忘れてたまるか、そんな重要なこと。
「それで何なんだよ」
 俺が期待に目を輝かせながら怜哉に顔を近付けると、怜哉は真っ赤になって顔をそらした。俺は怜哉の過剰な反応に自分まで赤くなってしまった。何で俺たち、意識しあってんの?
 何かが違った。現実とは俺も怜哉も確かに違った。お互いをこんなに意識するなんて、気にするなんて今まで1度もなかった。夢だから変わったのか、それとも気付かなかっただけのことなのか。
 俺は自分の心の中がわからなかった。俺は怜哉を友人だと親友だと思ってる。今もそれは変わらないけど、それ以上の気持ちが俺の中に芽生え始めていた。そんなの変だ、俺には唯がいるのに…
 俺が自分の心境の変化に戸惑っていると、怜哉がそっと俺の手に触れてきた。俺は思わずその手を払いのけてしまう。
「あ…」
 声を出したのはどちらだったのか。怜哉の傷ついた顔を見て、俺の胸はズキンと痛んだ。
 怜哉は払われた手をもう一方の手で包み込み、諦めを目に浮かべた。
「俺、帰るよ」
 短く言い、怜哉は背を向けた。
「あ…」
 俺はどうしたらいいのかわからずうろたえてしまった。
「やっぱ、やめた。夢の中だもんな、これが最後だもんな」
 小さく口ずさみ、気合いを入れると怜哉が俺に向き直った。
「翔!」
「はいっ!」
 にらまれんばかりの怜哉の視線に俺は反射的に返事をしていた。
「俺はお前を抱き締めるぞ!」
 言うが早く、怜哉が俺に突進してくる。
「うわっ!」
 押し倒されそうな勢いに俺は足を踏ん張って耐えた。怜哉は俺を逃がさないようにギュウギュウと拘束する。
「怜哉、そんなに力入れるなって」
 骨がきしみを上げるほど力を込められて苦しかった。怜哉は俺の声を聞いて少し力を緩めた。
 俺はホッとして怜哉を見た。怜哉は真っ赤な顔を俺にこすりつけていた。何か俺、幸せかも…
 ボーっとそんなことを考えている俺に気付いて俺はこのままじゃいけないと思い、身をよじらせた。
「動くなっ!」
 怜哉が俺を見上げキッとにらみつけると共に腕に力を込めた。ギシギシと俺の体が悲鳴を上げる。俺は堪らなくて動きを止めた。
「もう少しだから、さ…」
 怜哉が静かに目を閉じ、俺にもたれかかった。
「もう少し…」
 怜哉は寝ているように安らかだった。俺の胸は安心できるのだろうか。俺も怜哉を抱いて安心できるのだろうかと思い、俺は怜哉の腰にそっと手を回してみた。触れるか触れないかのギリギリの抱擁に、怜哉は赤子が母親に抱き締められたような笑みを浮かべた。俺の胸はまたドキンと高鳴って、俺も静かに瞳を閉じた。
 霧の中に俺と怜哉だけがいる。2人しかいない、不思議なムードの流れる空間に俺は流されているのかもしれない。それとも夢の中ということで俺は変わっているだけなのだろうか。
 しかし夢は覚めるものだ。ほら、目覚めの音が霧の中に響きはじめたじゃないか。
「これは…?」
 聞き覚えのある音に俺は我に返った。怜哉の腰に回していた手を慌てて離す。
「これは目覚まし時計の音だな」
 怜哉は夢から覚めたようにぼんやりとしたまなざしを俺に向ける。
「もうすぐ、夢から覚めちゃうな…」
 名残惜しそうに怜哉は俺から身を離す。
「翔、これが最後だ。これで俺は自分を解放してみせる。俺はもうおまえから自由になる。だから…最後だから言わせてくれ」
 サッと怜哉の面持ちが真剣そのものになる。切羽詰まったものを感じ、俺は身構えた。
「俺は翔が好きだ。翔のことがずっと好きだったんだ」
 怜哉の曇りのない言葉を聞いて俺はショックを隠し切れなかった。真っ直ぐ見つめてくる怜哉に耐えられず、俺は視線をそらしてしまった。
「こんな事聞いても迷惑なだけだよな。でも、これで最後だから、望みのない恋は捨てて、また友達に戻るからさ」
 怜哉の明るい笑顔が痛々しかった。怜哉は無理して笑ってる。泣きたいのをこらえて俺のためだけに笑ってくれているんだ。
 俺の中に苦いものがこみあげてくるが俺は怜哉に何もしてやれなかった。俺には怜哉に応えることができない。
「夢は終わりだ。これで魔法も解けたんだ…」
 怜哉は俺にふられたのに晴れ晴れとした表情だった。この恋は怜哉にとって相当辛いものだったかもしれない。だから決着がついてスッキリしているのだろう。重い荷物を下ろしたように。
「じゃあな、また朝に会おうぜ」
 怜哉は手を振り、霧の中に消えた。今度会う時は今あったことがなかったように、ずっと前からの友人の関係を続けていくのだろう。だけど俺には、怜哉がいくらそう振る舞ったってこの告白をなかったことになんてできない。今までの友人関係に戻れるわけがない。
 だって俺は意識してしまったから。怜哉に友人以上の想いを抱いてしまったから。それでも怜哉の応えられなかったのは俺の中でそれをストップする部分があったからだ。応えてしまったら、俺は怜哉と引き換えに何かとてもかけがえのないものを失ってしまうような気がしたから…
 それは怜哉よりも大切なものだから、俺の1番近くにあるものだから、だから仕方ないんだ。俺が怜哉に応えられないのも。
 それなのに俺はどうしようもなく深い喪失感を感じてしまう。目から涙があふれ出る。どうしてだろう?どうして俺は泣いているのだろう?
 きっと大切なものを失ってしまったからだ。もう2度とそれは俺に戻ってはこないだろう。
 俺の意識は急速に薄れていった。目覚めの時が来ていることを俺は知った。目覚めたら全てを忘れてしまおう。こんな悲しいこと忘れてしまえばいいんだ。そうすれば怜哉とも友人に戻れるはずだから…
 俺は夢から覚めるのを待ちながら、頭の隅で俺が夢の中で探していた人は怜哉だったということに気がついたのだった。
 涙が一筋夢の中に落ちていった…



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