door-reiya5





 この掃除の時間が終われば後は帰るだけだった。今日は唯と一緒に帰る約束をしていたのだが、
「放課後、翔に相談があるんだけど…」
 芹花が思いつめた表情で俺に相談を頼むものだから、俺は無下にそれを断ることができなかった。
「俺が役に立てる相談なのか?」
 思わずそう聞き返す俺は馬鹿かもしれない。でも、俺が相談に乗れることなんてないぜ。
 聞き上手なわけでもないし。適任はもっと他にもいると思うんだが。
「翔にしかこんな相談できない」
 弱々しく呟く芹花がいつもと違って見える。いつもは明るくさっぱりしてるのに、今は頼りなげに見えた。
「お願い」
 芹花にここまで頼まれれば俺だって嫌とは言えない。芹花は昔からの幼馴染だ。見捨てることなんてできない。
「わかった。場所は、そうだな弓道場の裏がいいだろ?」
 俺の提案に芹花が頷く。弓道場の裏は誰も近付かず、人に見られにくいスポットだ。弓道部は活動日数が少なく、月に1回しかやっていないという噂もあるほどだ。それに弓道場は隅にあるので密会には打って付けの場所だ。
「それじゃあ、また後でな」
「絶対に来てね」
 念を押して芹花は教室に戻っていった。
 さて問題は唯に何て言うかだ。素直に芹花に相談を受けたから一緒に帰れない、というのは芹花のことを考えるとためらわれる。芹花は自分が悩んでいるなんて唯に知られたくないだろう。
「嘘をつくか…」
 唯に嘘をつきたくなんかないけど、これは人権問題に関わることだから仕方ないだろう。
 帰れなくなった嘘の理由を考えながら教室へと戻る。教室のドアを開けようとした瞬間、ドアが開いて唯が出てきた。
「ウワァ!」
 思わず悲鳴を上げてしまう。
「どうしたの?翔ちゃん」
 いきなりの俺の悲鳴に唯が目を丸くする。
「いや、何でも…」
 心の準備ができてませんでしたなんて答えられるわけがなく、俺は曖昧に答えを濁した。
「実はだな、唯…」
 俺は覚悟を決めて口を開いた。
「今日の放課後は担任に呼ばれて一緒に帰れなくなったんだ」
 唯から視線をそらしたまま一気に言う。むちゃくちゃ不審な態度だ。
「そうなんだ、かわいそう。翔ちゃん」
 唯は俺の言葉を疑いもなく受け止め、かわいそうまでも言ってくれた。俺は後ろめたさに胸がズキズキ痛んだ。
「悪いな、唯」
 この言葉だけほかの言葉と違って重みがある。いっそここで土下座したい気分だ。
「悪いのは翔ちゃんじゃないんだから、謝らないでよ」
 唯の優しい言葉が今は辛い。悪いのは俺なんだよ、唯。
 俺は心の中で何回も何回も唯に頭を下げたのだった。

 そして放課後になり、俺は弓道場へと足を向けた。
 弓道場にはすでに芹花がいた。俺を見つけると安心したようにほほ笑む。
「来てくれたのね、ありがとう」
「約束しただろ」
「うん、でも迷惑そうだったから…」
「そんなことないさ、ただ俺に相談相手が務まるのか不安だっただけさ」
 俺が笑うと芹花は表情を和らげた。
「それより相談って何だよ?」
 できるだけ優しい口調で話しかける。
「実は…」
 と、芹花の言葉がとぎれる。芹花は口を開いたまま、固まってしまった。よほど言いにくい事なのだろうか。
「…」
 俺は芹花が話してくれるのを辛抱強く待った。下手に促したら余計に言いにくくなるだろう。
「…私、向こうに恋人がいるの」
 ためらった後、芹花は小さい声で話した。
 恋人!
 内心、驚きながらも黙って芹花の話を聞く。
「でも、最近彼に好きな子ができたみたいで…」
 なるほど、彼氏に好きな子ができたかもしれないという相談だったのか。それは人に言いにくい。信頼している奴じゃなければ話せないものだ。
 でも俺が相談にのれるかな?自慢じゃないけど恋愛経験など皆無に近い俺が芹花に何を言えるというのだろう。
「私、もうどうしたらいいのかわからない…」
 嗚咽交じりに芹花が自分の想いを吐く。芹花の頬には涙が流れていた。
「彼が好きなの、別れたくない!本当のことを聞くのが怖いのよ。もし本当だったら、私、私…」
 泣きながら芹花は心の底に隠していた想いを吐き出した。それは辛く、悲しく、まるで悲鳴のように聞こえた。
 俺は何て言えばいいのかわからなくて、俺は昔落ち込んだ時に芹花に頭をなでられると安心したことを思い出し、芹花の頭をそっとなでてやった。芹花は驚いたように俺を見上げたが、やがて穏やかな表情を取り戻した。
「私も昔、こうやって翔を慰めたね」
「ああ、あの時は本当に助かったよ。こうされると驚くくらい穏やかになれたんだ」
「そうね、落ち着くわ…」
 芹花はほほ笑み、目を閉じた。俺はそれ以上口を聞くこともなく芹花の頭をなで続けた。
 不思議な感覚だ。昔と反対に俺が芹花の頭をなでることになるなんて思ってもみなかった。俺も成長したってことなのかな。
「芹花、無理するなよ」
 俺は芹花の恋人のことも知らないし、恋人が心変わりしたのが本当なのかさえもわからないが、たとえそれが真実だとしても独りで苦しまなくていいのだと芹花に言っておきたかった。俺は傷ついた心を癒せるような言葉も何もできないかもしれない。でも悲しみのはけ口くらいにはなってやりたかった。
「ありがとう、翔…」
 俺の気持ちが伝わったのか芹花がほほ笑んだ。明るい、いつもの笑顔だった。
「本当に、ありがとう…」
 噛み締めるように芹花が感謝の言葉を何回も繰り返す。
「よせよ、照れるじゃねえか」
 真っ赤になって言うと芹花がクスクスと笑った。
「これくらいで照れないでよね。せっかく見直したのに」
 いつも通りのからかうような芹花の言葉に俺はホッとした。さっきまでの暗い表情が消え、すっきりとしている。
「悪かったな」
 すねたように言う俺に芹花がまた笑い出す。
 しかし、そんな明るい雰囲気も一瞬で消し去ってしまった。
 ガサッ、という草がこすれあう音に目を向けると、そこには放心状態の唯が立っていたのだ。
「唯!」
 驚き、唯の名前を呼ぶ。唯は俺の声にビクッと反応し、クルリと背を向け何も言わず走り出した。
「唯っ!」
 俺は慌てて唯の後を追った。後ろで芹花の声が聞こえたが、構っている余裕などなかった。
 意外に唯の足は速く、俺は途中で唯を見失ってしまった。
「ちくしょう!こんなことなら嘘なんかつかなければよかった」
 今更嘆いても仕方ないが、つい口に出てしまう。
 俺を見つめていた唯の表情を思い出し、俺は顔をしかめた。唯は傷ついた表情をしていた。当たり前だ。俺は唯に嘘をついたんだ。嘘をつかれれば誰だって傷つくんだ。
 唯に謝りたい一心で俺はがむしゃらに辺りを探しまくった。校庭、校舎、校門…どこを探しても唯の姿は見当たらない。
 最後に俺がたどりついた場所は園芸部の部室だった。ここに唯がいなければ、唯を見つけることは絶望的だった。
 俺はここに唯がいることを願いながら、ドアに手をかけたが、
「いやあぁー!!」
 驚くほどの悲鳴が聞こえ、ドアが盛大な音を立てて開かれた。
「唯!」
「!」
 唯は俺を見て息を呑むと、俺を恐れるようにして逃げ出した。
「唯!」
 唯のただならぬ態度に俺の頭は真っ白だった。唯の俺に対するリアクションが理解できなかった。唯は俺を避けるというより、恐れているように感じた。一体どういうことなのだろうか?
「翔君」
 急に声をかけられ、俺はその場を飛びのいた。
「そんなに驚かないでほしいな」
 苦笑まじりの透子先輩の声に俺は少し落ち着きを取り戻した。
「唯に何かあったんですか?」
 それでも早口になってしまうのは仕方ない。俺は詰め寄るようにして透子先輩に尋ねた。
「それは私にもわからないわ。ただ唯ちゃんが泣きながら部室に来ただけなの」
 途方に暮れたように透子先輩が話す。
「ただ凄く興奮しているみたいだったわ。よほどのことがあったのね」
 透子先輩の言葉に俺はうつむいた。俺はよほどのことを唯にしてしまったのだ。謝らなくてはいけない。許してもらえなくても、謝らなくては…
 俺は焦る思いで部室を抜け出し、校舎へ走り出した。校舎に唯はいるかなどわからないが、それでも闇雲に俺は走った。



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