door-reiya3





「フフフフフ」
「エヘヘヘヘ」
 放課後になっても唯と怜哉の表情は緩みっぱなしだった。
「ちょっと、気色悪い笑い方止めてよ」
 隣を歩く芹花が2人を見て顔をしかめる。
 席替えで偶然にも俺たち4人は近くの席になることができてその興奮が冷めず、俺の家に遊びに行こうということになった。俺は別に暇だったので承諾したのだが、ニヘラニヘラと笑っているこの二人を部屋に入れるのはちょっと嫌かもしれない。
「ここら辺、久し振りね」
 芹花が懐かしげに辺りを見渡す。芹花は引っ越す前は俺の近所に住んでいて、この辺りは芹花の馴染みの土地だった。今は高校近くに住んでいる。
 今は俺の家の最寄りの駅で下車し、俺の家へ向かう最中だった。2人の気色の悪い笑いを見て、周りの人達が遠ざかっていく。
「ここが翔の家だぜ」
 怜哉は俺の家を指し示す。本人より早く家を教えるなよ。
「さあ入ろうぜ」
 怜哉は勝手に玄関のドアを開き、ズカズカと乗り込んでいく。
「おい、怜哉勝手に入るなよ」
「いいじゃん、おふくろさんはいないんだろ?」
 怜哉は構わずに家の中に入っていく。
「ここが翔ちゃんの家なんだ…」
 続いて唯が、
「おじゃまします」
 芹花が上がり込む。
「…」
 結局、1番最後に入ったのは家の主である俺だった…何か違うような。
 俺がジュースを持って2階に上がった時には3人はすでに俺の部屋でくつろいでいた。
「ここが翔ちゃんの部屋なんだ」
 唯は顔を真っ赤にして俺の部屋を見回している。興奮しているのか、時々「ワー、キャー」とか騒いでいる。
 怜哉は本棚から漫画を取り出して読んでいた。熱中しているのか俺がジュースを渡しても黙ってジュースを受け取るだけだった。
「ありがとう、翔」
 唯一、芹花だけがまともだった。
「懐かしいわね、翔の部屋」
「何も変わってないだろ?」
 懐かしがってる芹花に聞くと、芹花は部屋をグルリと見て少し考え、
「漫画があるくらいかしら」
 と答えた。確かに昔は漫画がなかった。親が教育に良くないとか言って禁止したのだ。
「ピアノもあるのね」
 芹花はどこか愛しげにピアノを見つめる。部屋の端っこにポツンとあるピアノは、昔よく芹花と怜哉に聞かせていた馴染みのあるピアノだった。今は弾くことはないけれど…
「もう弾けないのね…」
 残念そうに芹花が言うのを俺は曖昧に頷いた。
「事故だもの、仕方ないわね」
「…」
 本当は事故のせいではなく、精神的なものだった。ピアノを弾くのが苦痛でいたら体がピアノを拒否していた。医者は事故の後遺症と言うけれど俺は知っている、俺が望めば俺の指が動く事を…だが、俺がピアノを求める日はもう2度とこないだろう…
「私、弾いてみたいな」
 俺の部屋を見回していた唯が無邪気な声を上げた。
「え?」
「翔ちゃんのピアノを弾きたいな」
 固まってしまった俺に唯がおねだりをする。いつもはそのおねだりを見ると何でも許してしまう俺だが、これだけは話が別だった。
「でも唯はピアノが弾けないんだろ?」
「弾けないけど、翔ちゃんが弾いていたピアノを私も触りたいの。お願い、翔ちゃん」
 唯の可愛いお願いも今の俺には迷惑なだけのものだった。このピアノを誰にも弾かせるつもりはないし、蓋を開けるのも嫌だった。これは封印されたものなんだ。
「いいじゃない、弾かせてあげなさいよ、翔」
 渋る俺に何も知らない芹花が無責任に唯にピアノを弾かせろと言う。芹花は俺の思いがわからないからそんなことが言えるのだ。
 俺は俺のこの気持ちを誰かにわかってほしくて部屋の中を見回した。誰かに唯に弾くなと言ってほしかった。
「怜哉…」
 漫画を読んでいる怜哉に目がとまった。怜哉ならわかってくれるかもしれない。ずっと一緒にいてくれた怜哉なら俺の気持ちを理解してくれるだろう。
 期待に満ちた目で怜哉を見ていると、気付いたのか怜哉が漫画から顔を上げた。そして俺を見てニッコリと笑って、
「唯ちゃんに弾かせてあげろよ」
 期待を裏切る言葉を吐いた。怜哉の言葉に俺は雷を受けたようなショックを感じた。怜哉までもが唯に弾かせろと言うなんて信じられなかった。怜哉ならわかってくれると思ったのに…
「弾いてもいいよね」
 黙り込んでしまった俺を見て了解したと思ったのか、唯が立ち上がりピアノの方へ近付いていく。
 ピアノに近付いていく唯を俺は震えながら見ていた。止めたいのに声が出ない。俺は目を大きく開けて、近付いてくる唯を見続けた。
 そして唯がゆっくりとピアノに触れる直前、
「やめろ!」
 俺の鋭い声が飛んだ。ビクリッと唯がピアノから遠ざかる。
 唯が驚いて振り向き、
「!」
 俺を見て息を止めた。俺の鋭い目に唯は恐怖していた。
「翔、どうしたのよ…」
 芹花が俺のただならぬ様子に恐る恐る声を掛ける。
 俺は2人のおびえきった様子を見て、ハッと我に返ると、
「ピアノには近付かないでくれ」
 絞り出すような弱々しい声で2人に頼んだ。
「翔ちゃん…ごめん」
 唯が泣き出しそうな表情で謝った。
「唯ちゃんが謝る必要はないだろ」
 怜哉が漫画を放って立ち上がると唯の下へと歩く。
「翔が昔にこだわってるだけさ」
 唯を通り抜けてピアノの傍らに立つ。俺は嫌な予感がして立ち上がった。
「やめろ!怜哉」
 叫ぶと怜哉がピアノに置こうとした手を止めた。
「触らないさ」
 怜哉は薄く笑って手をヒラヒラと振る。俺は安堵のためかその場に崩れ落ちた。頭がキンキン痛かった。
「翔、大丈夫」
 頭を押さえうめく俺に芹花が不安そうな顔でのぞきこんでくる。俺は答える事もできず頭を抱え込んでいた。
「今日はもう帰ろうぜ。翔も具合が悪いみたいだからさ」
 怜哉の言葉に唯と芹花は反対もしなかった。
「翔ちゃん、ごめんね」
 唯は謝り、部屋を出ていった。その後俺を見て、だが何も言わず芹花が出ていく。
「翔…」
 最後に怜哉だけが残された。
「昔の傷はまだ癒えてないんだな…」
 怜哉が俺を見て辛そうに顔を歪めた。俺は頭が痛くて怜哉の声をまともに聞くことさえできなかった。そんな俺を見て怜哉がますます顔を歪める。
「…俺がその傷を癒せればいいのにな」
 怜哉は自分の言葉に笑って頭を振った。まるでそれができないと知っていて自分を嘲るようだった。
 パタンと扉が閉められる。向こうで怜哉たちが階段を下りる音が聞こえる。それがずっとずっと続いていくかのように思えた。



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