Sweet Drop8





 校舎を出て、真っ直ぐ駐輪場へと向かう。
 今朝、幸せな気分で晋と並んで自転車をこいでいたのが嘘のようだった。
 暗雲たる気分で、自転車にまたがると、
「茜!!」
 すぐ後ろで晋の声が聞こえてきた。
 振り返ると、晋が私を追いかけて走っていた。
「晋!」
 呆然と見つめていたが、我に返り、慌てて自転車をこぎはじめる。
「おい!待てよ。くそっ」
 待てと言われて待つ人などいない。私は晋の声を無視して自転車を走らせる。
 晋はすぐに自転車に乗り、追いかけてきた。
 行きは辛い登り坂も、帰りは楽な下り坂に変わる。
 ブレーキをほとんど使わずに落ちるようにして下って行く。しかし、後方から聞こえてくる晋の声は離れるどころか、だんだんと近くなっている。
 きっと、ブレーキを全く使っていないんだ。
 でも、この曲がり道ばかりの坂でブレーキを使わなければ、事故にあうことは目に見えていた。
 だけど、晋に追いつかれないためにもブレーキを使うわけにはいかない。
 私は思い切ってブレーキを使わずに走った。
「おい!危険だぞ!」
 それに気づいた晋が自分のことを棚に上げて注意してくる。
 ガードレールをすれすれで自転車は曲がって行く。走っている本人も冷や汗ダラダラだ。
「無茶だ!ブレーキをかけろ!!」
 晋の警告を無視して、カーブに指しかかった瞬間、
「!!」
 自転車は曲がりきれずに、派手な音を立ててガードレールに激突した。
 私は声も出せずに、道路に放り出される。
「茜!!」
 晋が自転車を放り出して、必死な表情で駆け寄ってくる。
 その瞬間、私の中でなにかが弾けた。
 痛みも恐怖も超え、晋が私に向かって真っ直ぐ走ってくる姿が心に強烈に刻み付けられた。
 好き、私、晋のことが大好きだ!!
 自転車から放り出されて、頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
 だけど、ガードレールにぶつかった瞬間、晋のことしか考えられなかった。今までのぐちゃぐちゃした気持ちがいっぺんに吹っ飛んで、「好き」って気持ちだけが溢れてきた。
「大丈夫か!?」
 荒げた口調に晋の真剣さが伝わってくる。
 私が頷くと、晋はヘタヘタと道路にしゃがみ込む。
「良かった〜」
 顔をくしゃくしゃにして晋が微笑む。
「良かった、良かった」
 何度も晋は連呼する。目の端に涙がにじんでいるのを私が発見すると、晋は照れくさそうに立ち上がり、見事に破損された私の自転車に近づいて行く。
「これは、もう駄目だな」
 自転車は見ただけで、もう乗れる代物ではないことがわかった。
 自転車なんてどうでも良かった。
 自分の体が安泰なこと、そして何より晋が私のことを本当に心配してくれたから。
 私がガードレールにぶつかった時に駆け寄ってきてくれた晋の姿を、私は絶対に忘れることはないだろう。
「晋、ごめんね」
 素直な気持ちをやっと吐き出すことが出来る。
 ずっと、辛かった。なにが辛いのかもわからないほど、辛かった。
 でも、今やっと楽になれるよ。楽になれる方法を知ったよ。
 心の底から上がってくる自分の気持ちに、ただ素直になればいいんだ。
 素直に晋を好きでいればいいんだ。
 晋が沙紀を好きなことなんか関係ないよ。晋が誰を好きでも私は晋が好き。
 複雑に考えなくてもいいの。好きは好き。それだけでいい。
 それだけのことが、今やっとわかった。
「はい、よく出来ました」
 晋が私を責めることなく、花丸な笑顔で褒めてくれた。
 これで、晋は許してくれるんだ。また、いつものように晋と過ごすことが出来るんだ。
 嬉しさと、少しだけ残念な気持ちが入り混じっている。
 結局私たちの仲は進展しなかった。木塚君の言う通り、告白していたら少しは違う仲になれたかな。
 でも、今はきっと出来ないよ。まだ晋と今までどおりでいたいもん。
「それじゃあ、帰りますか」
 晋は放り投げた自分の自転車を立ち上げ、私を後ろに乗せてくれた。
 晋は、いつもの競争では信じられないくらいの安全運転だった。
 そんなところにも晋の優しさが見えて、もっと晋を好きになってしまう。
 沙紀の次でいいから、私のこと好きになってくれないかな、なんて不謹慎なことを考えながら、私は晋の背中にしがみついた。

 錆びた音を立て、自転車が私の家の前に止まる。
「到着!」
 名残惜しい気分で、私は晋の背中に別れを告げた。
「ありがとう、晋」
「どういたしまして」
 恥ずかしそうにお礼を言うと、晋がニッコリと笑顔を返してくれる。
 すっかり、いつもの晋に戻っていた。
「じゃあね、バイバイ」
 挨拶をして、家の方へ一歩踏み出すと、
「ちょっと待った」
 晋が引き止めてくる。
 振り返ると、晋が飴を1つ差し出していた。
「疲れた時には甘い物が1番!」
 数学で居残りした時と同じことを言い、晋は私に飴をくれた。
 クスリと微笑み、飴を受け取る。
「あれ、これって?」
 てっきり、ソーダ味のドロップだと思っていたのに、晋がくれたのは、オレンジロールだった。
「茜はその飴が好きだからな」
 晋に言われて、私は首を傾げる。
 別に私はこの飴が特別好きと言うわけではなかった。
「違うの?」
 首を傾げる私に晋が不思議そうに聞いてくる。
「いつも、その飴を俺から取り上げてたのに」
「あっ!」
 言われて、私は晋が間違えたわけに気づく。
 私はいつも晋がこの飴をお気に入りだと知っていたから、わざとこの飴を晋から取り上げていた。晋は、私がこの飴を好きだから取り上げていたのだと勘違いしたのだ。
 晋は、私がちょっかい出していたのに気づいていないんだ。
「俺の気のせい?」
 ちょこんと首を傾げる晋に私は顔を赤く染め、首を振る。
「ううん、好き。この飴が好き」
 晋がそこまで私を見ていてくれていたことが、純粋に嬉しかった。
 私も晋と同じように、別に好きでもなかったこの飴を、きっと大好きになる。
 飴を口に入れると、幸せが口を通して体全体に伝わっていく。
 これは、晋がくれた気持ち。晋の優しさ。
 今はまだ甘いだけじゃないけれど、いつかとろけるような甘さになると良いな。
 口の中にあるのは、ほろ苦くて、ちょっぴり切ないSweet Drop。



(終)

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