目が覚めると、そこは病院だった。
「翔ちゃん」
目の前には唯がいた。唯が俺を見て泣いている。
「唯…」
俺は恐る恐る唯に触れた。ここにいる唯が幻でありませんようにと願いながら。
唯の頬は涙で濡れていたけど人の持つ温かさがあった。これは唯だ。本物の唯だ。
「唯!」
俺は布団を跳ね除け、痛みも忘れて唯に抱きついた。
「唯!唯!」
俺は唯をもう二度と逃がさないように強く強く抱きしめた。
「痛いよ、翔ちゃん」
唯は文句を言いながら、それでも抱かれるままに俺に体を預けている。
唯の鼓動が俺に伝わってくる。それは雨の日に感じたようにぴったり重なっていなかったけど、それが唯が俺ではなく唯自身だということの証明のようで俺は嬉しかった。
今この胸の中にいる人が死ぬほど大事な人だという実感が俺の胸を満たす。唯のぬくもりが俺の胸を暖めた。唯の吐息が俺の胸に息を吹きかけてくれた。俺は自分が元に戻っていくことを感じた。
唯がいなくなって俺は駄目になった。そして今、唯が側にいるだけでこんなにも力がわいてくる。
俺には唯が必要なんだ。こんなにも誰かを愛しく想ったこと、独占したいと感じたことなどない。
「翔ちゃん、ただいま…」
唯が俺をぎゅっと抱きしめたまま、囁いた。俺はその声に子供のように泣き声を上げてしまいそうになった。あんなに望んだ人がここにいるんだ。
「お帰り、唯…」
俺は震える声を抑え、ありったけの想いを込めて唯に言葉を送った。
ずっとずっと唯のことを諦められなかった。みんなが唯のことを忘れても怜哉が唯の帰りを諦めても、俺だけが唯の帰りを諦められなかった。俺はそれをバカバカしいと思ったけど、しつこい奴だと思ったけど、だから唯が帰ってきたんだ。唯を想い続けて本当によかった。
「また病院で会っちゃったね」
唯に言われて、俺はこの病院が唯と出会った病院だということに気づいた。
2年前、俺が透子先輩に開くことを望んだdoorから唯は生まれた。あの時は俺の弱さから唯を生み出したけど、今は俺の唯への想いと唯の俺への想いが唯を新しく誕生させた。
「ここからはじめよう。俺たちのことを…」
唯が優しく微笑んでゆっくりと頷く。
「これからがはじまりなんだね」
そう、全てはこれからがはじまりだ。俺の人生も、唯の人生も、2人の恋も…
「その前に」
唯がいたずらを思いついたような笑みを浮かべる。何だろうと思う前に唯が素早く俺の唇を奪う。
「ゆ、唯!」
慌てる俺に唯はにっこりと笑った。
「大好きだよ、翔ちゃん!」
快晴の下、俺たちは弁当を食べていた。
場所はもちろん屋上だ。
芹花は恋人と別れた途端、弁当を作らなくなった。本人が言うには、「彼氏がいなかったら作る意味なんてないでしょ」だそうだ。女の恐ろしさを痛感する一言だった。
怜哉は相変わらずでっかい二段式の弁当を飢えたガキのようにガツガツと食ってる。はたから見ると卑しくも感じる。
そして、俺と唯は、
「っ!…何だこれ」
俺は口の中に入れた謎の物体の正体を唯に尋ねた。
「玉子焼きだよ、翔ちゃん」
唯はあっけらかんと答える。玉子焼きもわかんないの?とバカにしているようにも見える。
「これが…玉子焼き…」
俺は絶句してしまった。今口の中にあるものは俺が知っている玉子焼きとは異なるものだった。
「うん!翔ちゃんの好きな甘いのにしてきたよ」
張り切って言う唯には悪いがこれは玉子焼きとは言えないと思う。
「おいしくない?」
不安そうに俺を見上げる唯に俺は容赦のない答えをつきつける。
「まずい!」
力の限り叫ぶと唯が不満そうに唇をとがらせる。
「な、何で!?翔ちゃんの好みにあわせたのに」
唯の言う通り、玉子焼きは甘かった。…だが、これは甘すぎるぞ。
「甘いのにも限度があるだろ」
思わずジト目になってしまう。食べる俺の身にもなってくれ。
「そんなに甘くないよ」
「…砂糖がジャリジャリするぞ」
唯の抗議に俺はジャリジャリと砂糖を噛む音を聞かせる。砂糖入れすぎた。
「でも翔ちゃん、甘いのが好きだって言うから…」
「甘すぎだろうが!!」
唯の言い訳を口の中の砂糖を飛び散らせながらピシャリとはねのける。
「何言ってんだよ、翔。それぐらい愛の力でなんとかしろよな」
「そうよ、唯ちゃん一生懸命作ってきたんだから、文句言わずに食べなさい!」
今まで黙々と自分の弁当を食べていた芹花と怜哉が口を出してくる。周りは唯の味方ばかりだ。俺は素直な意見を言っただけなのに、何故俺が怒られなければならないんだ。
「ごめんね、翔ちゃん。家で練習してくるから」
すっかり落ち込んでしまった唯の頭を優しくなでてやる。
「ゆっくりでいいからな、時間はいっぱいあるんだ」
俺の言葉に唯が嬉しそうに微笑んだ。
そう時間はたっぷりある。
これからも、いつまでも、ずっと…
「いっぱい練習して美味しい玉子焼きをずっと翔ちゃんのためだけに作ってあげるね!」
唯の笑顔が太陽の下まぶしく光る。俺はデレデレと唯の笑顔を見つめた。
「あーあ、翔の奴デレデレだよ」
怜哉が見てられないという表情で、食後のフルーツに手を出す。二段式の弁当とは違う入れ物だ。フルーツ入れにはでかすぎるだろう、その入れ物は唯の弁当箱ぐらいある。
「まだ食べるのか?」
「あったりまえじゃーん!!」
げっそりした表情の俺に向かって怜哉は笑顔満面に答える。
「俺もうまい弁当食べたいな…」
「翔!」
弁当をうまそうに食べる怜哉を羨ましげに見て、ポツリと吐いた失言に芹花の怒りが落ちる。
「唯ちゃんが一生懸命、翔のことを思ってお弁当を作ってるのにその態度は何!お弁当を作るのって大変なんだからねっ!!」
「すまん、芹花。俺が悪かった」
芹花の怒りを静めるため、俺は地に頭を擦り付けてひたすら謝った。
「わかればいいのよ、わかれば」
謝ると芹花の怒りは収まり、俺はほっと胸をなでた。
「翔ちゃん、かっこ悪い」
その様子を唯が楽しそうに見ている。前は俺と芹花が話しているだけで暗い表情を浮かべていたのに、今では面白がるばかりだ。
「翔ちゃん雑魚って感じぃ。怜哉、幻滅ぅ〜」
怜哉、それは誰の真似なんだ。気持ち悪いぞ。
「ほんっとうに情けないわ」
唯一、真面目に言う芹花に俺の胸はグサリと傷つく。
「どうせ、俺はかっこ悪いし、雑魚だし、情けないですよーだ」
俺がいじけると唯がそっと俺の両肩に手を乗せてくる。
「でも、そんな翔ちゃんが大好きだよ!」
唯のいきなりの告白にさすがの俺も予想できず、真っ赤になってしまう。
芹花と怜哉は俺たちに付き合ってられないとばかりに昼飯に集中している、ように見せかけてこっちを気にしてるんだろうな、絶対。
「…俺も唯が好きだよ」
唯だけに聞こえるように囁くと、唯も頬を赤くして嬉しそうににっこりと笑った。
そして俺たちはお約束のように2人の世界に旅立つのだった。
この際、芹花と怜哉が笑いをこらえていることは無視することにしよう。
(終)
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