door-reiya10





 世界の崩壊が近付いている。俺はそれをひしひしと感じていた。唯が俺から離れようとしている。それが唯にとっての解放なのか?出口なのか?俺はもう必要ないのか…?
 一日が過ぎていくのが怖い。朝が昼が夜が俺を唯から離していく。俺の中からみんなの中から唯がだんだん稀薄になっていく恐怖。俺にしか感じることのできない恐怖が俺を少しずつ蝕んでいく。
 眠れない夜が続く。目が覚めると唯が消えてしまうのではないかという危惧が絶えず俺の中にある。震えながら夜明けを待った。学校に行って唯を見つけて安心する。
 ああ、この世界はまだ終わってはいないんだ…と。
 狂いそうな日々、それでも俺は演じ続けた。この世界を終わらせないために、唯のために…
 俺は1人の部屋に帰りたくなくて怜哉を連れて部活に出た。しかし透子先輩はおらず、部屋は空っぽだった。
 俺は椅子に座り大欠伸をかいた。それを見て怜哉が顔をしかめる。
「翔、目の下にクマができてるぜ。少し寝とけよ」
 怜哉の言葉に甘えて俺は眠ることにした。夜寝ていない分、授業中とかに寝ているのだがそれでは不充分だった。
 目を閉じると眠気に襲われ俺は1分もたたないうちに眠ってしまった。
「…俺はお前が好きなんだぞ」
 しばらくして、怜哉の声が真横から聞こえてきた。
「それなのに何で無邪気に寝るかなあ?」
 俺はどのぐらい眠っていたのだろうか。熟睡していて、もしかしたら外は真っ暗なのではないだろうか。
 怜哉の言葉も耳に入らないで、ぼんやりと考えていると不意に唇に温かいものが触れられた。何だろうと思いながらも、その柔らかさにうっとりしているとそれはそっと離れていった。俺はもっとその感触を感じたくて追うように目を開ける。
「翔!」
 すると顔に近い距離で怜哉と視線がぶつかり合い、怜哉は顔を真っ赤にして俺から飛びのいた。
「怜哉…?」
 俺はボーッとした頭で唇を押さえ、うろたえている怜哉を見る。俺はその唇を見てハッと閃いた。俺の唇に触れていたものは怜哉の唇であったということを。
 俺は軽いパニックを起こしてしまった。怜哉にキスされたことも驚いたけれど、俺が怜哉の温もりを知っていたことにはもっと驚いた。記憶にはないのに頭の片隅で俺は怜哉の温もりを知っていた。そして、それは不快ではなかった。
「怜哉、何で…」
 俺が信じられないという表情を見せると、信じられないのは怜哉も俺自信もだった、怜哉はたまらずに俺から目をそらした。
「ごめん…」
「ごめんじゃ何もわからねえよ。わけを言ってくれよ、怜哉」
 一言しかいわない怜哉に俺は問い詰める。だが怜哉は何も言わなかった。まつげを震わせ、こらえるように唇を噛み締めている。
「…冗談だよな?」
 俺は怜哉に冗談と言ってほしかった。俺をだましてほしかった。怜哉に嘘だって言われれば、この芽生え始めてしまった感情を切り取ることができるから。
「…ごめん、翔」
 怜哉が謝る。俺は嫌な予感がした。聞きたくない言葉を怜哉が発してしまうような気がした。俺はとっさに耳をふさいだ。
「俺、翔のことが好きなんだ」
 だが怜哉の震える声は俺の耳にしっかりと届いた。俺は絶望を感じた。これで何かが変わってしまう。これで俺は…
「本当は言うつもりじゃなかったんだ。夢の中で終わりにしようと思ったのに…ごめん、ごめんよ、翔」
 怜哉がガックリと膝を落とす。床に座り込みながら怜哉が必死の謝罪を続ける。
「…ここまで友情を育ててきたのに、やっとお前の信頼を得ることができたのに、何で…何で…」
 床の上にポタポタと涙が落ちる。俺はそれを悲痛な面持ちで見つめることしかできなかった。俺だって怜哉を親友だと思っていたのに…それが何でこんなことになってしまったんだ。何が狂ってしまったんだ。
「せっかく望みがかなったのに、それを俺自信が壊しちまうなんて…馬鹿だよ、俺は馬鹿だよ!」
 怜哉が床を殴り付ける。憤りをぶつけるように何度も何度も拳を打ち付ける。怜哉の拳が血に染まっていることに気付いて俺は怜哉を抱き締めたい衝動に駆られたが、それをジッと我慢した。抱き締めれば認めることになってしまう、俺が怜哉を好きだってことを。
「…怜哉、冗談だって言ってくれよ!まだ間に合う、間に合うから!」
 俺の懇願に怜哉は動きを止めた。怜哉が顔を上げる。怜哉の涙は流れ続け、俺もいつの間に泣いていた。
「俺は頭も良くなった、運動もできるようになった…理想のカッコイイ奴になれたよ。でも、それでも1番欲しいと思ったものは手に入らなかった。どんなに強くなっても、たくましくなっても守れなかった。1番大切な人を、好きな人を守れなかったんだ!」
 怜哉の叫びが俺の胸に突き刺さる。ここまで怜哉に想われていたことを俺は知らずにいた、それだけで罪になるのに俺は怜哉を捨てようとしている。怜哉が好きなのにそれを否定して。
「そして俺は大切な人を自分の手で傷つけるんだ。俺が裏切ったから、俺が好きになってしまったから…隠すつもりだったのに!一生隠し通すつもりだったのに!…笑ってくれよ、翔。俺は結局何もできなかった。お前のために何もできなかったんだ」
 怜哉が笑う。自分を嘲るように、自分をおとしめるように。俺は強くかぶりを振る。怜哉にそんな表情をしてほしくなかった。いつもみたいに明るく笑っていてほしかった。
 怜哉は俺を見て薄く笑うと立ち上がり、扉に近付いた。扉を背にして立つと怜哉は涙をぬぐった。
「翔、ごめんな。俺はおまえのことを忘れるよ、おまえを好きだったことを。だから、もし翔が嫌じゃなかったら友人に戻ってほしいんだ。いきなりは無理かもしれないけど、少しずつさ…」
 怜哉が笑おうとしてひきつった顔になる。それは怜哉の精一杯の譲歩なのだろうが、俺は首を横に振った。
「おまえとは友人に戻れない。もう、俺とおまえは他人だ」
 できるだけ冷酷に言ったつもりだった。怜哉が望みを持たないくらい、怜哉が俺を嫌いになるくらい冷たく切り捨てたかった。
 怜哉は蒼白になりその場に突っ立っていた。何を言われたのか理解できなかった、嫌、理解したくなかったのだろう。
「出てってくれ!俺に2度と話しかけないでくれ!」
 怒鳴ると怜哉はやっと俺の言葉を理解したようだった。ガタガタと体を震わせ、喉から込み上げてくるものを押さえるように掌で口を覆ったまま部屋を飛び出していった。
 俺は怜哉が飛び出していった扉を見ながら、これで全てが終わったのだと感じた。俺は怜哉を傷つけ、失った。あんなに世話になったのに、仲が良かったのに、好きだったのに俺から突き放した。
 これが怜哉の解放なのだろうか?長かった闇の出口なのだろうか?そうであってほしかった。これで辛い恋から怜哉と解き放たれたと信じたかった。怜哉がもう苦しまなくてもいいように、傷つかなくていいように。
 俺は願った。怜哉が明るく笑う日が一刻も早くくることを。傷つけた本人だけど、怜哉の想いを受け取れなかった俺だけど、強く願った。
 俺は怜哉が好きだった。きっと誰よりも好きだった。だけど俺には怜哉よりも大切な側にいてほしい人がいた。
 それは唯だ。俺は唯を失いたくない。世界中の何を犠牲にしても唯を手放したくなかった。
 だから怜哉を捨てた。ずっと俺の近くにいて俺を見つめていてくれた怜哉を簡単に残酷に捨てたんだ。
 そうしなければ、この世界が崩れてしまうから。俺と唯の2人の楽園がなくなってしまうから。
「唯…」
 唯に側にきてほしかった。俺の側で俺の頭をなでてほしかった。この苦しみを癒して安らかに眠りたい。唯の腕の中で…
「怜哉」
 しかしささやいた言葉は苦くて、唯でさえもこの苦さを消すことができないと俺は知っていた。
 俺は唯よりも怜哉が好きだ。それを知っていながらも俺は怜哉に応えることができなかった。そうしたら唯は消えてしまう。唯の存在理由がなくなってしまうから。
 だから…
「ごめん、ごめん…」
 俺は狂った機械のように謝り続けた。聞いてくれる人はいないけど、俺のわがままに弱さに迷惑をかけている人みんなに謝った。
「ごめん、ごめん…」
 涙が流れてとまらない。俺の意味のない謝罪の言葉もとまることはなかった…

 霧の中を走っていた。先を走る人の後ろ姿を見失わないように俺は懸命に走っていた。それを誰か知らないままに。
『誰を追いかけてるの?』
 それは絶えず俺に問い掛けてくる思念だった。それが俺の思念なのか、それとも他の人の思念なのかはわからないが、その問いは俺の頭の中を乱していた。
「追いかけているのは唯だ!」
 答えるべき模擬回答を俺は叫ぶが、俺の中にそれを否定する自分がいて、思念はそれに呼応するように俺の叫びを否定する。
『それは嘘だよ。追いかけているのは違う人だってわかってるんでしょう?』
「そんなこと知るもんか!俺が追いかけているのは唯なんだ!!」
『違うよ、それは自分だって気付いてるんでしょう?』
 終わりのない押し問答が続き、俺は頭を振り乱し否定し続けた。それでも俺の足は操られているように止まることをしない。
『どうして自分に嘘をつくの?本当に側にいてほしい人を自分は知っているのに』
 俺のかたくなに否定する理由がわからないのか思念は不思議そうに聞いてくる。
「唯が大切だからさ。怜哉よりも何よりも大切なんだ」
『…怜哉、1番好きな人の名前だね。ここにいると怜哉を深く好きな気持ちが伝わってくるんだあ』
 思念に夏の輝く太陽の下で元気いっぱいに咲いているひまわりのイメージが広がる。これが俺の思い描く怜哉のイメージなのだろう。
『こんなに大好きなのに、どうして怜哉よりも唯が大切なの?そんなの絶対におかしいよ』
「おかしくなんかない。俺の側には唯がいてくれたんだ。辛い時、悲しい時に唯はいつも俺を元気付づけてくれた、かけがえのない人なんだ。だから俺は唯に感謝してるし、唯を失いたくない」
 思念に重苦しい雰囲気が流れた。俺は思念が唯を認めてくれないのがもどかしかった。
 俺は唯よりも怜哉が好きだけど、怜哉よりも唯の方を失いたくなかった。唯は俺のことを誰よりわかってくれるから、側にいてくれるから。
『…唯を失いたくないんじゃない、この世界を失いたくないんでしょう?唯と2人で作られたこの世界の崩壊を恐れているだけなんだよ』
 抑揚のない声に仰天し、俺は何も言えなくなってしまった。それは俺がはじっこに追いやっていた醜い心だったから。
『結局、人を信じるのが怖いだけなんだ。妬まれて憎まれて、裏切られて散々傷ついて、もう人に傷つけられるのは嫌だから、自分を傷つけない唯に逃げているだけじゃない!』
 思念の非難の声が耳に痛かった。それは俺の真実の心だったから。俺にとって唯は絶対の味方、悪く言えば言うことを聞く人形、どちらにしても都合のいい存在なだけだった。
「仕方ないじゃないか!俺の周りには信じられる人がいなかった。芹花は引っ越して俺の前からいなくなってしまったし、俺には信じられる人がいなかったんだ。独りは嫌だったんだ!俺の側にいてくれる人が欲しかったんだよ!」
『じゃあ、怜哉は?』
「!」
 問い返されて俺の体は固まった。
『怜哉はどうなの?怜哉は芹花が引っ越して落ち込んでるのを頑張って勇気づけようとしてくれたじゃない。それなのに気付かなかったじゃない…でも気付いたんでしょう?今まで怜哉がずっと見守っていてくれたことに』
 静かな声が俺の中に流れる。思念の言う通り、俺は怜哉の存在にとっくに気付いてた、怜哉が唯よりも芹花よりも俺のことを心配してくれていたことに。だが、それに気付いても俺は唯を失いたくなかった。
『唯を失いたくない理由。それは罪悪感だよね。あれだけ唯を好き勝手に扱っておいて捨てることなんてできないって思っているんだよね』
「やめろ!」
『自分のエゴだ、欺瞞だよ。そんなことしても自分しか幸せになれない。勝手な自己満足で唯や怜哉を不幸にする気なの?』
 耳をふさいでも思念はハッキリと届く。自分の1番汚いところを暴露されて俺は身を震わせた。
「それでも俺は唯を失いたくない。怜哉の気持ちを否定すれば唯は隣にいてくれるんだ」
『何て馬鹿なの。それで唯をだまし切れると思っているの?』
 思念は呆れたようだった。俺だって馬鹿なのは承知だ。
『唯には全てがわかるんだよ。どうしてだかわかるでしょう?』
 唯には俺の言動が筒抜けだ。俺の心の中さえも唯はたやすくわかってしまう。それが何故なのか、俺は薄々感づいているが否定したい気持ちが大きかった。
『それは…唯が自分だからだよ』
 そんな俺の気持ちを思念が許すわけがなく、思念は俺が心の奥底に隠していた真実を明かしてしまった。
 俺は最後の審判を受けたような気分だった。結果は崩壊。俺と唯の世界はついに崩れてしまうのだ。
『唯は自分の寂しさと弱さが作った自分自身。いつかは消える幻なんだよ…』
 俺が放心状態でいると思念は慰めるように俺を包みこんだ。
『唯は役目を終えたんだ。静かに眠らせてあげようよ、そうしてあげよう…』
 思念の優しい声に俺はゆっくりと頷いた。唯を眠らせる、それが俺にできる唯一の償いなのかもしれない。
 思念は優しく光り、1人の少女の姿に変わった。
「唯…」
 それは唯だった。思念は唯だったのだ。
「唯、俺は唯のことが好きだよ。できれば唯のことを失いたくない。でも、それで唯が苦しむのなら俺は唯にさよならをするよ」
 唯はただ穏やかにほほ笑んだ。俺を癒し続けてくれた微笑みは少し悲しかった。
「今までありがとう。俺は唯に何もできなかったけど、唯のことは絶対に忘れないよ」
 唯は嬉しそうに頷くと、一方を指差した。
 そこには俺が追いかけ続けていた後ろ姿があった。今なら、それが誰だかわかる。それはずっと一緒にいてすっかり見慣れてしまった後ろ姿、怜哉のものだったから。
 俺は唯の横を通り抜け、怜哉を追いかけ始めた。追いつけないかもしれないけど、1度ひどく突き放してしまったけれど俺は怜哉を追い続けるだろう。怜哉をつかまえるその日まで…



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