春は好きじゃない。
 3年前の別れを思い出させるから。
 幼馴染の急の引っ越し。まだ小学6年だった。俺達に拒否権などあるわけもなく、無理矢理引き離された悔しい別れ。
 幼かったけれど確かに芽生え始めていた小さな恋心。恋と気付くこともなく、咲く前に散ってしまった。
 唯一の理解者だった、唯一人の友達だった。激しい喪失感。絶大な孤独。生きていく事すら辛かった日々。
 だけど俺は生きている。しっかりと大地に足を踏みしめて生きている。
 それは、2年前の交通事故のおかげだ。
 入院中に出会ったこいつのおかげだ。
「どうしたの?翔(かける)ちゃん」
 唯(ゆい)の声が聞こえ、俺は意識を現実に戻した。隣の唯を見て俺はほっとした。
 幼馴染のいなくなった穴を埋めてくれたのは唯だった。唯は俺のことをわかってくれた。何も言わなくても本当の俺の気持ちを察してくれた。
 敵の多い中で、こいつだけは信用できる味方だった。
 2年前の交通事故の入院先の病院で知り合った。退院した後もお互いがまめに連絡を取り合っている。
 自宅が遠いので会う機会も少なかった。それでもそれを補うように俺達は電話をかけまくった。一時はあまりの電話料に親に怒られたぐらいだ。
 もし唯に会わなかったら俺は生きていなかったかもしれない。それほどまでに俺は唯に支えられてきた。
「何か考え事?」
 心配そうに聞いてくる唯に俺は笑みをもらした。
「なんでもないよ」
 優しく答える俺に唯は微笑む。
「よかった」
 春の陽気は温かく、軽い眠気を抱えたまま俺は空を見上げた。
 頭上には満開の桜の花がある。ここは桜が綺麗なことで知られる公園だ。といっても近所の人ぐらいしか知らない小さな公園だけど。
 今日は俺が唯の町にやってきた日だった。唯の住む町に行くには2時間程度かかる。それも電車の乗り継ぎが3本もあり、なかなか辛い道のりだ。
 それももうすぐ終わる。4月から俺達は一緒の高校に通いはじめるからだ。俺達の家のちょうど中間にある橘高校だ。
 これからは毎日唯に会えるようになる。そう思うと自然と顔がにやけてしまう。入学式が待ち遠しいくらいだ。
「どうしたの、翔ちゃん?顔が崩れてるよ」
 そんなににやけていたのか。唯が呆れた表情で俺を見ていた。
「せっかくのかっこいい顔が台無しだよ」
 嬉しい事をいってくれる。唯はよく俺を誉めるけど、それがお世辞なのか本気なのかはわからない。
「これから始まる高校生活のことを考えるとついな」
 照れながら言った途端、唯の顔に笑みが広がる。
「私も楽しみ!これからは毎日翔ちゃんに会えるんだね」
 にこにこと幸せそうに笑う唯につられて、つられるもなにももうとっくに笑っていたが、俺の顔がよりいっそう崩れる。それから別れるまで俺達はバカみたいにへらへらとだらしない顔で笑いあっていた。
 今年の春は去年までとは違って心が踊る。春が好きになれそうだった。

 新しい生活が今日スタートする。
 もう俺は昔の俺じゃない。ごく普通の一般人だ。特別じゃない、有名じゃない、どこにでもいる平凡な高校生だ。
 学校に行っても騒がれないし、特別視もされない。周りに上手く溶け込んでゆけるはずだ。
 羨ましがったり、妬んだりする生徒なんていやしない。俺は自然のまま振る舞えばいいんだ。
「翔!」
 後ろから肩を叩かれ、俺は過剰に反応してしまった。
 仕方がない、色々心の準備をつけていた途中だったから。
「どうしたんだよ。そんなにびっくりしなくてもいいだろ?」
 俺と同じ制服に身を包んだ怜哉(れいや)がすねたように口をとがらす。
「ずっと一緒にいた仲なのにさ」
 怜哉は俺の幼馴染だ。幼稚園から俺達はずっと一緒だった。
 高校も勿論一緒。しかし俺は何で怜哉が俺と同じ橘高校に行くのかがわからなかった。
 俺の行く高校は時間はかかるし、特別学力も運動も良いって訳でもない。怜哉なら近くでお手軽な学校が他にわんさかあったはずなのだが、何故か橘高校に決めたんだよな。
 俺は唯目当てだし、それに…知ってる奴がいる高校には行きたくなかったから…
「な〜に暗い顔してるんだよ。せっかくの入学式だってのによ」
 ピンと俺の鼻を弾き、怜哉はニンマリと笑う。
「新しい制服だってバッチリ似合ってるじゃん。唯ちゃんきっとお前に惚れ直すぜ」
「なっ!」
 顔を真っ赤にすると怜哉は腹を抱えて笑い出した。
「早く行こうぜ。俺も翔の愛しの唯ちゃんに会いたいからさ」
 走り出した怜哉の後を俺はため息をつき、追いかける。
 怜哉は完璧に俺と唯の仲を誤解している。俺と唯は付き合ってる訳ではない。だが一回唯に会わせたら、怜哉は絶対に付き合ってると言い張るのだ。怜哉の目には俺達がラブラブに見えたらしい。
「早くしろよ、翔。電車来ちゃうぞ!」
 改札を通り、ホームに駆け上がる。怜哉は足が速いから追いつくのが大変だ。
 ぎりぎりで電車に乗り込み、俺は扉にもたれかかった。今日は早めに出ていたので乗客も少ない。
「お前、運動不足なんじゃねえの?」
 笑いながら言う怜哉に俺は苦笑した。
「お前と比べたら誰だって運動不足だよ。」
 怜哉は毎日朝夕2回ジョギングをしているのだ。それだけではない。週一で空手道場にも通っている。
「まあ努力しているからな」
 得意そうに笑う怜哉に俺は頷いた。
 確かに怜哉は努力している。もともとこいつは運動神経が良くなかった。
 中学初めくらいまでは、いわゆる運動オンチだった。
 それが理由だったのか、怜哉はいじめられっ子だった。いつもいじめられて、べそべそ泣くような意気地無しだった。俺と引っ越していってしまった幼馴染の背後によく隠れ、俺達に助けを求める奴だった。だが、いじめはいつまで経っても収まりはせずエスカレートする一方だった。
 だが、幼馴染が引っ越した後ぐらいに怜哉は変わった。精神的に強くなった。身体的にも強くなろうと特訓し始め、それがジョギングであり、空手だった。
 いじめっ子を殴った時には驚いたよなあ、まさか怜哉にそれ程の勇気があるなんて思わなかった。いじめっ子たちも反対に怜哉を恐れるようになったしな。
 それで怜哉に対する見方が変わったのも確かだった。今までは守ってやらなきゃいけない存在だったのが、いきなり自分よりも強くなったんだからな、戸惑ったりもするさ。
 今怜哉に勝てるとすれば、背の高さぐらいだよな。こいつ、頭も良いもんな、羨ましい限りだよ。見た目は女の子みたいに可愛いのにさ。
 ちらりと怜哉に目を向ける。怜哉は窓の外を熱心に見ている。
「同じクラスになれるといいな」
 急に言われた俺は驚いた。
「えっ?」
 とっさに言葉が出ないでいると怜哉はクスリと笑う。
「緊張でもしているのかよ。それとも唯ちゃんのこと考えてたのか?」
「馬鹿、違うよ」
 俺を見て怜哉はもう一度笑うと、
「唯ちゃんと同じクラスになれるといいな」
 さっきと同じ言葉を言った。少し違った風に聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
「お前ともな」
 俺が答えると怜哉は嬉しそうに頷いた。こういう所は昔と変わっていないと思った。



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